ラーメンの本竃


 宮城県と岩手県の県境近く、気仙沼と広田の間くらいに(この二つの町は鹿野家がどちらもすんでいたことのある町なのだが)唐桑半島がある。リアス式の海岸線なので海岸線としての景色はかなり期待できる。さらに、ここにの岩石は日本には珍しく、大理石が大量に含まれている。大理石とそれ以外の部分の侵食の差が激しく、そのせいで普通のリアス式海岸より、さらに複雑な地形を形成しているのだ。
 なぜこんなことを書いているのかというと、昨日、ラーメン屋さんの取材で仙台まで行ってきたのだ。撮影が早めに終わったら、唐桑半島まで足を伸ばし、民宿にでも泊まって久々にゆっくり風景でも撮影しようと思っていたのだ。全体の撮影は順調に進んだが、しかし、夕景の撮影に手間取った。日が暮れてなお、形をとらえることのできる絶好のタイミングは17:50ころにやってきたのだ。唐桑まで行く気仙沼線は17:55の発車。タクシーさえ殆どこないバイパス沿いで撮影していたので、今回はあきらめ、すごすごと東京に帰ることにした。当然タクシーは捕まえられず、バスも無く、帰りは岩切駅まで、重い三脚とスタンド、カメラを抱えて歩くはめになった。ま、カメラマンにとって、こんなことは日常茶飯事なのだが。
 今回、近くまで行ってしまったことで、久々にこの半島のことを思い出した。いつか行きたい唐桑半島。魚も旨いし、牡蠣は名物。地のカレイなどほっぺたが落ちるという。もう少し暖かくなったら、ナンとしても行ってみたいものだ。
 とまれ取材した店は行列ができていて、私も1時間ほど並んだのだが、おいしいラーメンを食べることができた。本竃(ほんかまど)という名前の店だった。そのラーメンの写真を掲載。

札幌のボルゾイ達

すぐにさぼってしまう癖がついてしまった。とは言え、このところBBSの書き込みが詰まってしまっていたので、つい日記まで手が回らなかったのだ。
さて、山田奥様のリクエストにあったグランとケイオスの写真をまとめて公開することにした。お暇な方は

http://homepage.mac.com/handy3/PhotoAlbum1.html

をのぞいてみてください。感激の“久田”も写っています。
実はこれEF75~300ISレンズを使ったのですが、さすがに1/8sはきつかった。40枚位撮って生き残ったのがたったこれだけ。でも私の腕でこんだけ残ったのはやはりISレンズのおかげというべきでしょう。

ケイオス達がまっすぐ、なにか希望に燃えた目をしているのは節子さんが用意したおいしそうなジャーキーのせい。(さすがにツボを心得ていらっしゃる)それにしても素晴らしい目の光輝きです。

ところで確か同時に撮影していた皆さま。ケイオスとグランの写真を山田奥様が見たいとおっしゃっております。お世話になったお礼に写真を集めてお送りしようと思っています。鹿野までご一報を。

札幌でデジ研!


 1月24日金曜日から始めることにしよう。午後から化粧品の撮影。幸いなことにスムーズに仕事は進み、夕方にはCD-Rとプリントを納品して完了する。こんな時、デジタルのお仕事はじつにありがたいな、と思う。モニタで確認した仕上がりを印刷環境でどう変化するかをその場でシュミレートし、お客様に渡してしまえるのだもの。安心して土日をお休みできるというものだ。
 夕方から札幌デジ研(デジタル研究会)のセミナー用に5時間のプログラムを1.5時間に圧縮する作業に入るが、この辺りから、1月25日土曜日になる。明け方4時ころに作業が完了し、自宅に帰る。われながら、今回のプログラムコンバートはうまくいったと思う。全体を圧縮しつつより、平易な言葉を使い、初心者にもわかりやすい、という目標にかなり近づけたのではないか?と自己満足しつつ、ベッドに入る。
 そうそう、このベッドだが、実は最近買い替えたのだ。ここ数年、いくら寝ても疲れが取れない。時には寝過ぎると、余計に腰や肩が痛いということが続いていた。年のせいだと簡単に思っていたのだが、ある日ベッドを触ってみてびっくり。私の寝ている場所の足下とか、体重のかからないところはそうでも無いのだが腰の辺りは押すとスプリングがへこんだまま、返ってこないのだ。約15年間、80Kg近い体重を受け続けて来たのだものな。無理も無いだろう。そこで奮起して御徒町“タケヤ”にベッドマットを買いに行ったのだ。こんどは多少大目に寝てしまっても、体がだるくない。寝覚めもずっと良くなった。それなりに効果は上がったようだ。予想よりも安く上がり、しめて65000円。
 もし睡眠で疲れがとりきれない方でベッドがへたっている場合は、一刻も早く買い替えることをお勧めします。
 閑話休題
 浅草橋から羽田空港まで約小一時間。京成線で飛行機に乗り込む。ワインオープナーもナイフに入るとは知らなくて石川は没収される。ノートブックタイプのコンピューターも電源を入れて確認させられる。電源を入れると、シャットダウンするためにまた5分ほど時間がかかってしまう。何とかならないものか?
 飛行機はやんごとなく、新千歳空港に見事にランディングし(最近の飛行機は良くできているのか機長の腕が良いのかほとんどショックを感じなかった)、北海道の地に下り立ち、早速たばこをふかしに外にでる。しかし、寒くてすぐに退散。一路札幌デジ研の開催地、新札幌市のテクノパークに向かう。
 途中雪が降り出したが、さすがに地元の方はほとんどスピードを落とさずに乗り切り、あっという間に現地に到着した。飛行機の時間差のせいで早川塾長の基調講演は聞き逃したが、フジフィルムの竹村氏の講演は聞いて良かったと思う。私たちが普段、心理量的にとらえている“色彩”というものを科学的、数量的に説明してくれたのだ。ためになるとともに、自分の理解は間違ってはいなかったな、という自信もいただく結果となった。この講演はもっと時間をとって2月の電塾inPage2003の中でも再度行われるので、興味を持ったかたがたはぜひ、参加していただきたい。
 私は、といえば、せっかく1.5時間にまとめたのプログラムだが、さらにお話をしながら1時間にまとめる、という芸当は不可能で、思いつきで前、後編に振り分けることにしてしまった。ということはまた北海道に来ることができる、ということか?。いやいや、集まったかたがたの熱気を受けて、高圧縮のお話をしてしまうより、中身をきちんとお伝えすべき、と感じたからだろう。そのためには下手に圧縮をせず、十分に時間をかけて、きちんとお伝えしたい。ということで、今回はプログラムの前半1/3を行うことにした。カラーマネージメントの有用性と必要性、モニタキャリブレーションまでを日本初のモナコオプティクスのデモを交えて行った。のこりのワークフローはぜひ!次回に!!
 さて、すべてのプログラムが終わり、ジンギスカンである。北海道に来たらば、何はさておきサッポロビールとジンギスカンである。電塾の新年会、をかねて、札幌のカメラマンのかたがたと、飲む。食う。飲んで食う。時々ビールをこぼして、また、飲んで食う。ホテルにチェックインしその後場所を変えてまた飲む。新潟の風間氏が持ち込んだむちゃくちゃうまい日本酒を明けてまた飲む。そうこうしているうちに1月26日になる。そうなるとやはりラーメンだ。すすきのをかき分け、客引きにも目もくれず、ただひたすら753というラーメン屋を目指す。中には1時間以上並んでラーメンを食った猛者もいた。
 
 朝、ホテルの前で待望のケイオスとグランに会う。このために札幌に来たんだ!もうあちこちで紹介されているので知っている人も多いかと思うが、山田氏が飼っているワンちゃん。この日記の写真が彼らだ。ちょっとぶれていてごめんなさい。いきなりパウダースノウの降るホテルの前庭でボルゾイ2匹をかっこんでカメラの放列。よくみると結構名前のあるすごい人たちが写真を撮っているのだ。山田氏に叶わぬまでも私も少々撮影。いちばんいいカットが手ぶれしていたのが残念。
 私と石川は皆と離れて別動隊となり一路、夕張の炭坑後を目指す。もちろん、写真を撮るためだったのだが、なぜかこれもいきなり宴会になり、昼から4合飲まされてしまう。断らないあたしもあたしだが…。でも少しは撮影したんだよ。その内にどこかで発表しようっと。

 帰りの飛行機の中は爆睡して、スチュワーデスのお姉さんの顔もおぼえていない。北海道は美味かったし、大いに酔った。いいところだ。気候的にもなんか東京よりもずっと温かかった。(もちろん、都市部だったり、その日の陽気にもよるんだろうけど)また行きたいと念じつつ…北海道の皆さま。お世話になりました。感謝。感謝。

AF-S DX Zoom Nikkor 12~24mmF4G(IF)

 うれしくてうれしくてしょうがないことがある。とてもうれしいのだが、あまり話題になっていない(というか冬休みに重なってしまったということもあるだろうが)ので少々取り上げてみたい。

 昨年の発表なのだが、ニコンは AF-S DX Zoom Nikkor 12~24mmF4G(IF) という超広角レンズの開発を発表した。ついに、ついに、という感じだ。APSサイズのCCDを持つデジタルカメラの最後の弱点を克服しようというねらいだろうが気になったのはもっと根本的な部分だ。イメージサークルの問題もあるのだろうが、デジタル専用レンズという部分が最も気なる。デジタル専用のレンズという要求はデジタル開発の黎明期から存在していたが、いくつかの理由が重なり、ついに開発に入ったのだと思うと感慨深いものがある。
 その一つは先程のAPSサイズゆえの画角の問題。これでニコンさんは当分APSサイズにこだわるという姿勢を前面に押し出したのだろうか?。
 第二に受光素子の超微細化に伴い、従来の解像能では画像解析力にレンズが追いついていかなくなり出した、という事実があるのではないだろうか?
 第三に銅鏡内部の反射や、焦点を結ぶ位置の問題などがアナログに比べ遥かにシビアになり今まではそれでも無視しても構わないレベルだったものが、解像感の向上により、いい加減に無視できなくなったのではなかろうか?
 第四に、このレンズを出荷しても十分にペイできるだけのそのレンズを受け入れるボディがすでに市場に出回った、(あるいはその数に到達するという見込みができた)という理由も見え隠れする。何しろ、 FUJIFILM Fine Pix S2 Pro やコダック製のデジカメにももちろん搭載できるのだ。

 何れにせよ、この開発発表はついにデジタルがメーカーにも、ユーザーにも完ぺきに受け入れられる時代が来たのだと言うことをはっきりと指し示しているように思えてならない。他社もこの動きに追随するのは確実だ。(というよりきっとすでに準備しているに違いない)
 35mmデジタルカメラを牽引してきたニコンがこの開発発表によってはっきりとメーカーとしての姿勢を打ち出したのだ。(もちろんニコンに何を確認したわけではなく、私が勝手に感じているのだが) 夢にまで見たデジタル専用レンズ。デジタルのために、隅々まで鍛え上げられたレンズの登場を心から歓迎したい。

 そういえばつい最近までニコンさんは別ラインのレンズを発売することの難しさを、キヤノンさんはフルサイズの受光素子をカメラに乗っけることの難しさをしきりに強調していたものだが、あっさりとこの辺りをクリアーしてきたなあ。どこのメーカーもまだまだ隠し球をいっぱい持っているんだろうなあ。  楽しみ楽しみ。


4Gのマイクロドライブ

 IBMのマイクロドライブが2Gになるとか4Gになるとか、いわれて久しい。
 1000万画素オーバーのデジカメを使用するとあの大容量1Gのマイクロドライブが35mm版のフィルム2本分にしかならない今日この頃。(そのためにマイクロドライブを4枚も買い足してしまった)やっと日立から4Gのマイクロドライブを開発中といううれしいニュースが発表になった。スポーツや報道を撮っているのならわからないが、コマーシャルやスナップなら十分な注意をして使用すれば問題はない(というか自己責任の範疇に入る)と思っている。
 2インチのハードディスクも登場するようで、iPODは何処まで小さくなるのだろう?でもそうなるともう一つ考えられることがあるのではないか?それはCF(でなくてPCでも良いのだが)カードスロットとFireWireのスロットを持ったデータバックアップ用の超小型のハードディスクだ。普段はポケットの中に入れておいてバックアップ。まとめてコンピューターにFireWireでつなげることが出来るようにする。あるいはFireWire800はTCP-IPを乗せることが出来るようなのでカメラから直接外部ハードディスクに取り込むなんてことも出来るかもしれない。それがiPodだったらもっとうれしいのに。
 12インチのPowerBookG4にカードスロットが付くのが早いか、iPodにカードスロットが装備されるのが早いか、さもなくばiPodが直接デジカメにつなげるようになるのか?どれも実現しない夢なのか?
 確か4~5年前はデスクトップ機に搭載されたハードディスクが500Mから1Gになり、話題を呼んでいたのに、容量はとどまるところを知らない。

ISレンズ


 先日ブライダルの撮影をしていて CANON EOS 1Ds を使用し、70~210mmの望遠側で盛大に手ぶれを起した。画像がここまで大きくなって解像韓が上がると、私の腕もここまでか、と思ったのだが、せっかく科学の力でピントが良くなったのだから(事実1Dsの場合はオートフォーカスしか使わなくなった)ここはもう一つ助けてもらおうと75~300ISを本日(正確にはもう昨日になったのだが)古いレンズを下取りに出して買ってきた。
 まだ細かいテストは出来ていないのだが、さっきうちの“ぺこ”を撮影してみておどろいた。300mm相当でF5.6(開放)シャッタースピードが1/2。もちろん手持ちだが、泊まっている!間違い。止まっている。よく見ると不規則にぶれているのだが、写真として許容できる(私にとっては)範囲に収まっているのだ。 簡易USMだったり、開放F値が暗かったり、最短焦点距離が1.5mもあったり、そのわりにかなり重かったりして、普段なら絶対に買わないレンズだが、[スナップ]撮影でいざ手持ちをしなければいけないときに、しかもそういうときって決まって暗いのだ。何とかその状況でも絵にしてくれるレンズであるなら、そんなものはあっという間に「ドーデモいいもんね」といえる。
 実はそれ以上テストしてないのは、今日はバッテリーが切れてしまったのだ。軽く考えていたので、予備を持ってこなかったんだもの。
 明日は早く会社にいこうっと。
さてさて、どんな結果を出してくれるのか?

デジタルカメラのフォーマット

今日うんぬんしたいのは画像形式のフォーマットのことではなく、単に比率のフォーマットのお話。

突然ですが、35mmサイズのフォーマットは横長(あるいは縦長)に長すぎると思いませんか?
立て位置で人物を撮影するにしてもちょっとポーズを付けるとすぐ画面からはみ出してしまう。
横位置では集合写真ならまだしもほとんどの場合ワイドとも言えない中途半端さ。
実際には必ずといっていいほど左右はトリミングされて使用される。

人間の目は左右に並んでいる。故に横長は正しいんだという説も聞いたことがある。しかし、どうしてもそうは感じない。ところが、これが映画だとそんなに不自然ではないのに。この感覚の不一致の原因は鑑賞する画像の大きさにあるのではないか?。そう、巨大な画面を目一杯に見たい時であれば、このフォーマットは悪くない。思い起こせば、35mmってもともと映画のためのフォ-マットで、巨大なスクリーンに写してみるためのファーマットだったのではなかろうか?。

手元で、あるいは普通に鑑賞するときにサービスサイズや四つ切りなんかはもっと寸胴だけども特に違和感を感じない。立て位置になっても不自然ではない。どうやら小さな画像の場合はこの当たりが「ちょうどよい」フォーマットなのだ。つまり6×4.5サイズ。ノートリミングで使うなら実にフィットするサイズだ。普段遣いのモニタのフォーマット、プリントのフォーマットしかり。絵画の世界でも標準フォーマットは「F」サイズで6×4.5に近い。特殊な形として風景などに使われる「P」というちょうど35mmフォーマットに近い比率は存在する。(これは風景用に使用されることが多い)さらにパノラマに近い「M」というやたらに横長のサイズも存在するが、めったに使われない。(フランス語の“海”を意味する単語の頭文字らしい)限られた大きさの中に少しでも多くの情報を効率良く詰め込もうとすると縦横の比率はもう少しちじまっても良いと思いのは私だけではないだろう。

どこかで35mmサイズが伝統になってしまったのは実は歴史によくある「間違い」が定着してしまった現象ではないか?とさえ私は思っている。(少なくとも“成り行き”だったような気がする)こんな“間違いかもしれない伝統”になぜ新興のデジタルカメラ達までも縛られる必要はのだろう?

実はコンシューマー用のデジカメの比率って(6:4.5=4:3)ちょっと寸胴に過ぎるとは思うけど、35mmのフォーマット(6:4=3:2)よりははるかに使いやすく感じるのだ。個人的には6×7というフォーマットはあまり好きでなく、これだったら6×6のほうが好きなのだが、実践での使いやすさにおいて、やはり6×4.5がもっとも使いやすく思える。

すでにこのフォーマットに目がなれているカメラマン達もいて、これを変更すると彼らにとっては彼らにとって死活問題だというお話も聞いたことがある。本当にそうだろうか?人間って、反転して逆さに映っている4×5のファインダーさえ、なれてくるとあっという間に。順応出来る。6×4.5も使えば、6×6も6×7も6×8も6×9も使う。(あ、6×9って2:3で35mmmとおんなじですね。でもって6×8が6×4.5になる。ややこしいですね。)多分少しの訓練でなれてしまうだろうとおもわれる。そう考えるとこの説もたいした問題ではないような気がする。

この問題って、あまり話題にならないことなので、ちょっと提案してみたい。(以前もっちーさんとお話したことがあるんだけれども)デジタルカメラがどんどん完成型に近づいている今、この問題をほおって置くのはもったいない気がしませんか?。デジタルカメラのフォーマットでもっとも使いやすく感じるのはどんな比率か。今一度考え直してみる良い機会ではなかろうか?「間違った伝統」に流されてしまうのではなく、実質を論じてみたいと思う。35mmサイズが悪いと言っているわけではなく、それもある意味必要なのかもしれないが、「標準」的なフォーマットとはけして思えないのだ。カメラメーカー任せではなく、使うた立場からのより良いフオーマットを提案したいものだ。私は3:2、つまり6×4.5のホーマットを推奨しますが皆さんはどう感じますか?

PowerBookG4

日本人好みの12inchのPowerBookG4、良いですねえ。デユアルモニタに出来るのなら何たって2キロを少しオーバーしただけの重量だもの、普段は軽い持ち歩き用のマシン。仕事の時は液晶モニタを持っていって遠からず日本でも発売になるであろうモナコの液晶センサを使ってキャリブレイトして、移動用のメインマシンとして使用できる。もちろんスタジオ用のメインマシンとしては考えていない。それはやはり用途が違う。でもスーパードライブも付けられるし、(出張先でCD-Rを焼けて、DVDで映画も見られる。ハードディスクはATA100なのでディスクアクセスにも不満はなし)スペック的に劣っても17inchよりもはるかに魅力的。Bluetoothも標準搭載。バックアップがDVD-ROMになったのもうれしい。

ってスペックを見ながら一人で喜んでいたが、つい最近私のiBookはバッテリーがへたり、買い替えたばかりだってことを思い出した。これって初期バージョンのiBook500MHzだから売ってもたいした値段にはならんだろうなあ。

そこで負け惜しみにCFカードスロットがついていないし、(う~~んこれは大問題だ。iBookと同じでこれは私には我慢できないかもしれない)第2世代でクロックが1GHzに上がったら買おうなんて言ってしまっている自分に気がつく。でも第2世代になってもCFカードリーダーは付かんだろうなあ。

仕事始め

2003年の春が来て今年も一年の仕事が始まった。

 今日からは以前の日記に戻ることにする。ただし不定期です。仕事仕事に追われた日の日記は後から読んでも詰まらないし、さすがに何を書く気力もない日もあるのだ。ところで電塾には全く関係ないのだが、そろそろ私の心の整理のために“おかく”日記を、これはハンディのサイトに用意します。準備が出来たらリンクを張りますので、興味のある方はぜひ覗いて下さい。

 そうそう、昨年暮れにCANON EOS 1Dsを入手しました。これもそろそろレポートをと思っています。
 久しぶりに出社すると、スタジオは心底冷えていた。ビルとしては一週間のお休み。私は休みの間も何度か出社していたがさすがに新年以降はほとんど会社に行っていなかったので、ビル全体が冷えまくっていたようだ。熱源という熱源を付けても(といってもガスストーブとエアコンだけだが)夕方までたってもまだ寒かった。ビルで越した冬ということでこんな新しいことも経験できた。2~3日で暖かくなると良いのだが。

 早速複写をしたり、納品書の整理をしていたのだが、どうもサーバの調子がおかしい。私のマシンだけ、OS9で起動しているときに、データをサーバから落とせないのだ。操作は出来るのだが、600MB程度で(普段なら1分程度)8時間もかかるという。実際256KB程度を落とすのに5分もかかっていた。データアップは問題ない速度で出来る。他のマシンからももちろん上り下りとも、OSに関係なく、いつも通りにアクセスできる。私のマシンの、それもOS9.2.2環境の下りだけがおかしいのだ。こんなことってあるんだろうか? 検証用のディスクにOS9.2.2を新規でインストールしてみたが結果は同じ。今年のつまずきその1と行ったところ。途中であきらめ、新年納めのデータ処理、などなどを地味にかたずけ、今日はおしまい。

 アップルは躯体の色が動作状況によって変化するボディを用意しているらしい。もちろんiTuneの様にそれ自体を楽しむことも可能。いろいろ考えるね。まさか今回の新型ではないだろうがこの特許はすでに昨年にとられているようだ。

Photoshop Elements の本を書き上げた。

 新年の2日3日と久しぶりに仕事を持ち帰らないお正月を過ごした。ニョウボ殿の実家で飲んで食って寝てまた飲んで寝て食う。確か昨年はiBookを持ち込んで年賀状書きと校正をやっていたような気がする。その、ちょうど一年ほど前にどたばたしていた事件。

いつものことだが安請け合い

 たしか2001年の2月か3月、まだ早い春のころだったと思う。早川、阿部の両氏に紹介されグラフィク社の大田さんとお会いして、プリンタ使いこなし術の本を書いてみないか、と言う打診があった。以前にも雑誌、ムックなどにテキストを提供したことが何度かあり、(そのおかげで元々文章など書くような人間ではなかったものが、ついその気になってしまったのだろう。そう言えば事の始まりはこの露悪趣味丸出しのこの日記シリーズだったかもしれない)その10~15倍くらいの文章量。普通は情報集めから始まってだいたい1週間くらいで書きあげていたので、20週間、つまり半年もあれば書き上げることができるな、と安請け合いしてしまった。その後いくつかの経緯がありウィンドウズも含めた各メーカーのプリンタを一気に使いこなすという構想はあまりに広大すぎ、相性問題まで発展することは確実で、手に負えないだろうという事になり、一時おあづけの形になった。少々ほっとしていると、Photoshop Elements という新しいソフトが発売になり、この解説を書く、というアイディアが浮かび上がり、前回のプリンタ使いこなしに変わり、Photoshop Elements の解説本を書くことになった。

本を書くなんて、実際はとんでもない仕事

 たかが、とまでは思っていなかったが、半年で何とかなると相変わらず楽観していた。当時はセカンドカメラの桜井が、“お客様とお付き合いしながら、お客様を満足させる撮影(仕事)とはどういうものか?”ということに目覚め始めたところだったので、これ幸いにほとんどの撮影を任せ、ポイントだけ私も参加するというスタイルを取る事ができ、彼が当社のスタジオにいてくれる間に(桜井は当時すでに本来のスタジオにあと半年で復帰することが決まっていた。)一気に書き上げようというもくろみではあったのだ。
 しかし、一冊の本を起承転結を付けて、ある決まり(知らなかったが、最初に総ページ数とかが決まってしまうのだ)の元に書き上げるということがどんなに大変なことか、ということを初めて味わうことになる。しかもこの本はウィンドウズ対応で書かれるという事で、作業がやりにくいったらありはしない。こういった仕事は矢張りマックが向いているとつくづく思わされた。けしてウィンドウズ機が嫌いというわけではないが、それぞれ得意科目はもっているようで…だからこそ共存している意味があるのだが…無理にこれで画像処理をしなくてもいいのに、と思う。
 いやいや、こんなことは些細なことで、各章を通しての表現の統一やら、方法論の準備やら素材の選定、まさしくほんの価値を決定する内容の詰め。これらをしているうちに時間は情け容赦なく過ぎていく。おまけにあたしは思いきり読みやすくしようと(内容として)見開き2ページに項目をまとめて書き出したが、そうすると内容の多いページと少ないページが発生し、それは編集上は“読みにくい”あるいは“みっともない”ページになるのだそうで、その辺りも書き直し、全体の分量も多いということでこれも書き直し。
そうこうしているうちに月日はどんどん、どんどん過ぎてゆく。2001年中に書き上げるはずの約束が、翌年の正月に突入してしまった。その間、8ヶ月ほど睡眠時間は削り尽くすところまで削り、無駄を省き、ニョウボ殿と時間配分でぶつかりながら、写真学校、関西電塾、中部電塾等をこなしていく。(何処で仕事をしてるんだ??)

災難は忘れたころにやって来る

 2002年1月始め、つまりちょうど1年前の今日あたり、松の内にほとんどの章を完成させるが、更にページ割りに変更が入ってしまった。というのはかなり削ったり余裕を持たせたつもりだったのだが、ページ当たりの文章、写真の量がそれでも多く、再レイアウトに時間がかかるということだ。そうそうしているうちに組み版を担当して下さっていた方の体調が思わしくなく、別の方にバトンタッチするという大変なことになってしまった。あたしの原稿がそんなにひどかったのかしら? ちょっと気になる。
 これで組み版をすっかりやり直すことになり、実際に校正作業に入りだしたのは3月に入ってから。この間、スタジオと自宅は3回の引っ越しを続けていし、新潟電塾は始まるし、であたしはてんてこ舞いしていたわけだ。校正作業は思いの外たいへんで、ミスを見つけては画像を差し替えたり、文章を訂正したりと、もうすっかり忘れてしまった部分を何とか思い出しながら作業する。第1校のころは校正を手伝ってくれた“久田”もネコ問題やら引っ越しやらで忙しく、手伝ってもらえるような状況ではない。何事も自分でちゃんとやらねば、ということだったのだが、結果的に刷り上がりを見て、いきなり前書から校正ミスを発見することになる。

 更に思わぬもめ事まで発生し、(表紙をどうするかって事だけど)最後は何をやっているのかわからない状況になり、あっぷあっぷして、ふと気がつくと本は完成していた。何事も最後はあっけないモノだ。

こんなおまけが

 1年がかりで書き上げた本だったのだが、ついに出版!となったとき、アメリカでPhotoshop Elements v2が堂々発表になった。ま、バンドル版を対象に書いていたし、おまけにPhotoshop Elements 特有の機能に関してはベイシックな部分に出来るだけしぼって書いたので、さほどのことはないが、やはりショック。このバージョンアップは(しかもメジャーバージョンアップだぜ)いつものスケジュールに比べて1年以上早いジャンか!というわけで出版記念パーティも、サイン会もなく、(当然だ!)静かに初出版。 ま、こんなもんでしょう。長い間いろんな人に励ましてもらい、最後にはおめでとうを言っていただけました。早川塾長、阿部助教授、モッチーさん、永嶋さん、…スタジオバクに帰った桜井君、最後のどたばたをサポートしてくれた石川君、づっと私を癒してくれた“おかく”。みんなみんなありがとう。