“ぺこ”の宝物


“久田”が何かあのライブでもらってきた小型のマラカスは“ぺこ”の大のお気に入り。音がするのところころ転がってくれるのがいいのだろう。しかし、ある日を境にそのマラカスが見当たらなくなった。
そこで時間が出来た日に大捜索をする事になった。
ずいぶんベッドの下を掃除していないことに気がつき、試しに棒を突っ込んで見ると、埃の中から出てくる出てくる。
私が無い無いと言って探していた掃除機のアダプター、ソフマップの抽選で外れたドラえもんのウマカ棒。以前のお気に入りだったスーパーボール。私の枕の中身の塩ビ製の中身。それに私が散らかしたビニール結束具。“久田”が無くした指輪。そして問題のマラカス。
何でもかんでも遊んでいるうちにベッドの下に転がし込んで、そのまま忘れ去っているらしい。
残念ながらすっかり忘れていたへそくりのたぐいは出てこなかったが、ベッドの下が綺麗になって少し満足。

久しぶりに、実に久しぶりにお休みをした日曜はずっと雨が降っていたので、白い巨塔を2本、四話分を鑑賞し、こんな事をしていた。

“ぺこ”のいたずら。


自宅用に固定になってしまっているiBookがある。
突然ディスプレイがブラックアウトしたり、ほんの少しの振動でフリーズするようになってしまっていたし、さすがにG3/500MHでNikon Capture4.1やPhotoshop CSは駆動するものの、使い物にはならない。
そこで“久田”の自宅用のマシンとなったのだが、朝起きると、そのiBookのキーボードが飛び散っている。どうやらこれで爪研ぎをしたものらしい。どうしても見つからなかった英数キーをテーブルの裏のさらにそのおくから発見して何とか修復をした。
いたずら好きの“ぺこ”は最近“おかく”のような顔をする事がある。“おかく”が乗り移ったのかと思うほど、ものすごく賢そうに見えてしまうのだ。それなりに熟成してきたのだろうが、その顔が2分と持たないのが何だかいかにも“ぺこ”らしい。

中部電塾

今回は私の建築写真というテーマでのセミナー。自分が普段やっている事をそのままお見せできればいいと思っていたが、どうも中途半端でおわってしまったような気がする。というのはやはり普段の仕事は集中している中でいくつかの事を同時進行させながら処理をしており、説明しながら処理をするのは勝手が違っていたようだ。明部と暗部を合成する方法、色温度の差を収集させながらトーンを統一させる方法など、仕込んでおいた部分はかまわないのだが、細かいところのチューニングを説明し出すとうまく行かない。
なれたつもりでもプロを相手にするセミナーは肩が凝るものだ。
それと今回はあまりに新製品の情報が多い。Nikon D2X 、CANON EOS 20D、 FUJIFILM Fine Pix S3 Pro 、コニカミノルタα7デジタル、イストD、ニコン クールウォーカー、匠プリント。実はこれだけで4時間は使ってしまう内容だもの。

あまりの腰の痛さに、今回は我が大蔵省である“久田”に特別にグリーン車で行ってこいと暖かいねぎらいの言葉をかけてもらい、往復ともらくちんをさせてもらったのだが、実は帰りの切符を9時32分で取ってしまっていた。これは朝の9時32分だったのだ。当然、帰ろうと思い名古屋の新幹線のホームに行くとそんな電車はない。当然、(半日前にでているのだもの)乗り遅れているわけなのだがあ
まりに時間の照合があった所為か、車掌さんは空いているところにどうぞ、といってくれた。ありがたい事だ。感謝。

中部電塾では結構ショッキングな出来事があり、少し頭がくらくらしているが、取り合えずこれで一連の騒動が終わる。この件につてはまた後ほど。

このところ、満タンになったサーバの移行に手間取っている。ハードディスクからハードディスクへの移行なのでそんなに大変では無いと思っていたのだが、ところがどっこい。問屋が卸さない。
当社のサーバはギガビットに変え、1ギガバイト1分の転送速度を誇る。ほとんどローカルディスクと変わらぬ速度だ。しかし、120GBのディスクが8っこあるのだ。一個に関して2時間はかかる。しかもパーミッションの設定で転送できないデータがあちこちに隠れていた。そのほとんどはノートンが作ったファイルで、これに当たると転送が止まってしまう。いちいち、不可視ファイルをはずして転送しなくてはいけない。

というわけでいまだにサーバの移行は現在進行形。実に手間のかかる仕事になってしまった。

便利なようで、以外と存在する落とし穴。あたしはコンピュータの専門家ではないので、こういった時につらい思いをし、またひとつ賢くなったと慰めている。

お通夜

足の痛みはやっと和らいできた。もう普通に歩ける。何とか建築の撮影の塊(一気に二口も入ってしまったので)もこなす事が出来たと思ったら、私の空手の先生、…空手を習ったわけではなく、高校から大学にかけての人生でいろいろお世話になったかたが、空手と整体の先生だった、という意味なのだが…が急になくなった。打ち合わせを午前中に変更してもらい青森へ。

作曲家の嵯峨、化学者の阿部、カメラマンの私は高校から大学にかけて、いつも一緒の仲間だった。三人とも、サハラ、というジャズ喫茶に入り浸り、そこのマスターがかの恩人、太田氏だった。いつの間にかカウンターに入るようになり、シェーカーを振るようになり、そこで大人になっていったように記憶している。

10年ぶりになるのだろうか、久々に雁首をそろえた私達は通夜の後、朝4時近くまで飲み続けた。思いでは止めどなく、お互いの近況を離し合うだけでも時間はどんどん過ぎていく。私はホテルで1時間も寝ないままいちばんの新幹線で東京に向かう。10時に約束があったのだ。

新幹線の座席で3時間身動きもせずに爆睡していたが、その所為か腰が痛い。結構狭いマンションの撮影を行い、夕方までに完了させたのだが帰ってから、後ろを振り向く事も出来なくなってしまった。夜には横なっていてもつらく、ろくに眠れない。

また、中野の中国式治療院…整体、針、カッピングなどをしてくれる…のお世話になる羽目になってしまった。おかげさまで今日はやっと歩けるようになる。通常の方法ではもうダメージから回復できない体になってしまったのだと痛感する。

マスター。彼は私に写真を教えてくれた。最後は FUJIFILM Fine Pix S2 Pro を使っていたという。でたばかりのデジカメ実践ガイドブックを手向けてきた。合掌。

火事!!


前日の電塾で少し飲みすぎた私は今日はゆっくり寝ているつもりだッたのに早朝7時半ごろにけたたましいサイレンの音で目を覚ました。家のマンションの窓の下に消防車が集まっている。まだ寝ぼけたまま外にでるとあたしのマンションのすぐ裏から真っ黒な煙がモクモクと上がっている。正真正銘の火事だ。しかもそのすぐ表はガソリンスタンドなのだ。そう思うと結構怖い。
しばらくばかのように見ていたが、放水はなかなか始まらない。実は裏からも始まっていたのかもしれないが、マンホールを開け、ホースをつなぎ、さらに延長する様子を見ていると確かに動作はきびきびしているのだが、私が見ている側の放水が始まったのは消防車が集結してから約40分経った後。

ちょうど自宅用のデジカメはなく、携帯電話の画像ですいません。ちょっと汚いけど臨場感はあります。ちなみに右の端っこに写っているのが私が住んでいるマンションです。すでにこの時に日記に乗せる事を考えて写真を撮ってしまった自分が何だか情けない。

放水が始まった後も交通規制はなく、乗用車やトラックがホースを踏んで走っていく。1時間以上たってから交通規制が敷かれた。
燃えていたのは裏のメッキ工場。当然さまざまな薬品があり、煙の色がさまざまに変化する。どうも有毒ガスも発生しているようでその頃からやじ馬も整理させられ始めた。確かに何だか目が痛い
実はその会社の社長さんが家のマンションに住んでいるらしい。聞き取り調査などをされたりして、鎮火し始めた頃に自宅に帰る。解団式を行い最後にかんかんという音を残して、彼らが帰っていくころはすでに4時間を経過していた。
お昼のニュースでこの映像が流され、7件まで延焼したと聞いて驚いた。いやいや、凄いもので、あの火と放水の後は何も使い物にならないだろうと思う。改めて火事は怖いとおもう。
今日はその後エアコンのクレーム交換があったりして何だかゆっくりできなかった。

私の友人に作曲をなりわいにしている梶という男がいる。
学生時代、いろんなばかな事をしたが、こんな事があった。
いつものようにばか飲みした彼は、当時いつも集まっていたマンションに帰ってきた後、119板に電話をかけ、
「梶です」
と言ってそのまま寝てしまった事がある。電話は逆探知され、
「火事はどこですか!」
とせっぱ詰まった声がかかってきた。
その前のいきさつを知らない私達はおちついて
「梶は此処です」
と答えた。
「どんな様子ですか?」
「寝てます」
「ふざけないでください!」
「いや、確かに梶は6畳間で酔っぱらって寝てます」
「?…」

よいこの皆さんはマネしてはいけません。
お後がよろしいようで…。