“ぺこ”を病院に預ける

ゴールデンウィークに家族旅行をする事になったため、“ぺこ”を病院に預ける事になった。旅行自体は2拍3日なのだが、それが連休の真ん中に当たるため、病院が連休に入る前に預けなくてはならない。
そこで二日も前に“ぺこ”を病院に連れていき、“歯磨き”と耳の後ろに出来た“おでき”をとる手術、つめ切りをお願いした。自宅に帰って猫がいない、というのは何だか不自然だ。考えてみるともう20年も猫と一緒の生活をしてきているのだもの。

学校アルバム

学校アルバムのキョウコロさんで写真館のカメラマンさん相手のセミナーをやってきた。基本的に“写真”は個人的、あるいは作家的な側面が強く、アルバムはパブリック、というか、共通意識がないと作れないものだ。いや、底なしの金と手間ひまさえ、さえかければ、印刷はどうにでもなる。しかし、ページごとに一括スキャニングという手法で単価を下げてきたアルバム業界にとってはデジタルになったからといってそんなことをしては自分の首を絞めてしまう結果が目に見えている。
 では今までどこが原稿の適正化をしてきたのだろう?最近になってやっと解ったのだが、それは写真現像所。プリンタとネガフィルムの進化と、そのオペレーターがその原稿の[平均化]、というか一括処理を可能とする中間作業を支えてきたのだ。
 しかし、デジタルになり、その存在が飛ばされてしまった、あるいはすでに価格競争でそういったオペレーターが仕事を出来る場所がなくなってしまったため、誰かがそれをやらなくてはいけない羽目になってしまったのだ。誰もその作業をやらなければ、その結果は目に見えている。
 そこで、どこが、あるいは誰がその最適化をするのか、という問題が表面化してくる。バランスの悪いデータを納品して仕上がりが悪いという写真館、まともなRGBデータが入ってきてもろくなCMYK変換を出来ない印刷屋。最悪そんな図式も見えてくるし、もっと最悪なのはまともじゃないRGBデータを訳も解らずCMYKに変換してただ印刷するだけの印刷会社。まさしく、あたしたちがたどってきた道とまったく同じだ。
 お互いに責任をなすりつけ合うのではなく、自分のやるべき領域を責任持って仕事をすれば手間もかからなく、そこそこの仕上がりを期待できるのがデジタルのはず。
 カメラ側は、最低整ったRGBデータをその全てに関してバランスをとり、納品するデータの資質をそろえる。(たとえば顔写真だったら、顔の大きさはもちろん、明るさ、シャドウのつき具合、背景の明るさ、色相彩度などを整えるのは当然だ。)バランスのとれたデータを受け取った印刷側はその画像に対し、適切な変倍、シャープネス、CMYK 変換を行う。それで仕事はまともに進むはずだ。
 バランスをとれないデータしか出してこないところは仕上がりが悪い。これは当然。(もっと高いお金を払えば、修正してくれるかもしれないけど)どれだけ良いデータを納品しても仕上がりの悪い印刷会社にはもう頼まない、これも当然。
 実はこの世界って、そんなにパブリックルールを大上段に構えなくとも十分に行ける世界なのかもしれない。それでもパブリックルールに乗っ取ったほうがはるかにシンプルに作業を完了できるだろう。
 最初は学校写真の世界であたしに何が出来るのだろうと思っていたのだが、最近になって、カメラマンと印刷会社の距離が近いこの世界だからこそ、うまくパブリックルールを標準とする事が出来るのではないかと思うようになってきた。つまり、独創的な、というか、独断的なルールはどこにも置かせない。どの印刷会社に持っていってもそのまま通用するルールを(それもコマーシャルの世界で今模索している…いや、今まさに標準化にこぎ着けようとしているルールをそのまま適用するのだ)標準とし、まさしく印刷のうまい下手で会社を選ぶ。データの仕上がりが下手なところはどこに行ってもやはり下手。それを持ち上げるには自分が努力する以外にはさらに画像処理をお金を払ってしてもらう以外にない。
 なんかきつい言い方だが、良いデータはお金をかけなくても良い印刷物になり、ルールから外れたデータはそれなりに良い仕上がりをさせるためには手間もお金もかかる。当たり前の事だ。
 競争はそのスタートラインがそろったところから始まる。それでいいのではないか。そう思い出している。
 風邪はまだ治らない。アダムスの勉強会行きたかったのに。

風邪引いた

 4月に入り、日々の仕事に追われて、気がつくともう24日になってしまった。金曜日の夕方に寒けがすると思ったら、思いきりくしゃみの連発。ついこの間まで女房がひいていた風邪が今度はあたしに襲いかかったらしい。相変わらずふてぶてしい風だ。だまって下を向いているだけで鼻水が落ちてくる。まさしく、これは参った。だって明日はセミナーがあるんだもの。また例によって2~3時間は話続けなくてはいけないのだ。(毎回の事だが、いつも時間をオーバーし、2時間時間を与えられると三時間はしゃべってしまうのだ。まとめる、という事がなかなかにできないあたしはこの道の専門家にはなれそうもない。)
 どうやら気落ちした理由はほかにもある。実はこの日記の裏日記、、というか、死んでしまった“おかく”を偲んで書き続けてきた“向日葵の日記”を書き終わってしまったのだ。まだ全てをアップしているわけではないのだが最終章を書き終わってしまった。懲りもせず、プロフェッショナルDTP に連載を始めてしまったので、この手も仕事にすこしばかりケリをつけてやろうと思ったのがいけなかった。書き終わった途端に背中の肩甲骨の裏側辺りから何かが抜け落ちたような思い。肩の荷が下りたのとは少し違う。

命日


 朝9時上野発のスーパー日立11号に乗り、いわきへ向かう。父ちゃんの命日で、特に何回忌、というわけではないが、八戸に住んでいる母ちゃんが墓参りに行きたい、というのでそのお供をするため。このところ、“おかく”もいなくなり、新幹線も八戸まで通ってしまったし、あたしのうちも浅草橋で、上野、東京駅まで近くなったので、墓参りに行っていない。車で帰っていた頃は込んでいる東北道を避け、常磐道で八戸に向かった関係で、常磐道をおりるとそこは宮城県いわき市四倉。都合よくあたしの父ちゃんの墓がそこにあるのだ。それで8年くらいは墓参りを“久田”と“おかく”と共にかかした事が無かったのだ。
 しかし、帰省のために、車の中で丸1日、実家に帰り着いて一日眠り、翌日は家族と食事をするも、翌々日はまた丸一日車の中。渋滞がひどい時は28時間ものろのろ運転をした事もある。特に家の場合、運転手はあたし一人、という事もあったし、道が特に混む(この民族の大移動、世界でもっとも渋滞密度が高く、規模が大きいのではないだろうか)お盆しか帰れないという事情があり、ついに折れてしまった。それが、自宅→上野が0.3時間。上野→八戸2.8時間。八戸→実家が0.5時間。合計3.6時間でその間は寝ようが酒を飲もうが、飯を食おうがやりほうだい。(実はほとんどテキストを打っているのだ。とてもカメラマンとは思えない)こんなに楽な事はない。おまけにちょっと目には電車の方が高そうだが、実際に往復丸四日間の食費やおやつを考えるとほとんどとんとんだ。そしてその間、あたしの時間が全く使い物にならないのと、事故の危険にさらされる事、移動が往復でも約7時間で済んでしまう事を思うと倍以上か四五倍の価値がある。 たとえば、今までは深夜に出発したり、早朝に出発したりしていたのだが8時に起きて9時の新幹線に乗り、12時には八戸について、母ちゃんと昼飯。夜は田舎の友人とのみに行く。つまりこの日の昼から帰省が完了しているのだ。車の場合だと早朝4時に東京を出発。運が良いとお昼ころ墓参りをして、仙台が夕方。よく早朝に実家に帰り着き、その日は丸一に寝っぱなし。運が悪いと翌日の昼過ぎに付いた事もある。当然さらに翌日になって、初めて帰省が完了し、その翌日にはもう東京に向かうが、これで5日間を消費してしまった事になるのだ。
 そういった理由で唯一のデメリットは墓参りが不可能になってしまった事。ま、それでもこうして別口で行くのも、また良いんじゃないのかしら? それにしても便利になったものだ。この常磐線はその昔、あたしがまだ予備校生だった時代に、よく実家に帰るのに使用した。“久田”にとってももともとは葛飾とは言え、実家が松戸に移動して以来、常磐線はなじみの路線だったという。当時の常磐線周りの八戸行きは12時間はかかっていたと思う。(しかも硬いイス、おまけに乗客の柄は最低ランクだった。)今は直通は多分ないと思うが、車両はきれいだし、イスも座りやすい。今は傍若無人な宴会も影を潜めたらしい。
 父ちゃんの命日はゴールデンウィーク直前で、東北地方では桜が満開となり、おまけに春の花がまとめて咲き出すとても良い季節だ。こんな季節に仕事を離れ、一日を過ごさせてもらえるのは父ちゃんのプレゼントかもしれない。今日一日は気温が20度前後でのどかに晴れている。

写真の定義



関西電塾のBBSに面白い話があったので私からも一言。答えにはなっていないかもしれませんが…

以下のような“悩み”が投稿されたのです。

–村田の疑問です
写真は本来、光画といわれるphotographから意訳された言葉です
つまり、光を使って画像を作るのを写真と考えています
CGはコンピュータを使って無から作っている画像と考えています
今、デジカメで撮影されたデータをどこまで触れば写真で無くなるのか
別に写真である必要は無いという考えは今は無くして考えます
デジタルになった段階で写真でないという考えも無くします
中略…何をすれば写真で無くなるのでしょうか?
撮影した画像が1ピクセルででもあれば写真なのでしょうか?–

これに対し、いくつかの回答、意見が寄せられました。私も私なりに考えていた事がありますので、少し悶着してみたいと思います。

 写真の定義もいろいろあるのでしょうがもう少し世界を広げてみるとよく解るのではないかと思うのです。アナログ時代、デジタルを問わず、画像とは包括的な言葉だと思うのです。アナログ時代は絵画がその中心にあり、その周辺に写真、イラスト、動画などがあったのでしょう。これがデジタルとなると、その中心が写真、CGとなってきたように思われます。ただしこれらは重なり合うもので切り離して考えるような種類のものではないと思うのです。

画像⊃写真、イラスト、絵画、映画などであり、この図式はデジタルでも全く変わらないとおもうのです。この二つの図式は全く重なり合っており、頭にデジタルが付こうが付くまいが、写真は写真。ただ、絵画の中にも写真を模倣したものがあり、写真にも絵画を模倣しようとする動きはあるでしょう。

表現したいものがあり、それに最短距離で到達できる方法を選択する事に私も全く異論はありません。写真にCGを持ち込んでも構わないし、逆もまた真なりです。

いずれ、派生は写真だが私の作品はイラストです、とか、イラストから派生したけれどもこれは写真です、というような作品も現れてくるかもしれませんね。
 写真といってもたかだか200年程度の歴史です。(カメラオブスキュラというその原理は古くから知られていたけれども、ダゲレオタイプが世に現れたのが1830年過ぎで、photographという言葉が定義されたのが1839年でしたか、今まで全盛だったロールフィルムがイーストマンコダックによって発売されたのが1888年。この頃になってやっと現在の写真に近くなります。それでもバルナックが35mmカメラを試作した時はASA感度が3とか5だったそうです。ライカが1925年。ツアイスが1956年。たった50年前の事です。カラー写真が始まった時に思いきりたたかれていませんでしたっけ?)写真はその師匠である絵画に対し引け目を感じながらも技術として、芸術としてその文化をはぐくんできたのです。そして乳剤がガラスに硝酸銀からトリアセテートフィルムにハロゲン化銀とさまざまに進化したように、今度はCCD(Charge Coupled Device)あるいはCMOS(Complementary Metal Oxide Semiconductor)といったものに進化(少なくとも変化)し、それゆえの新しい方法論を私たちは模索する事になるのでしょう。
 袋小路にはまろうが、さらに進化をしようが、邪道だと言われようが構わないではないですか。この若い表現術である写真…私も光画という表現は好きですね…はデジタル化するによって、さらに広い表現方法をその中に取り込もうとしているのだと思います。
 デジタルは写真が進化する過程の通り道であり。私たちは運良くその時代に立ち会っているのです。そう考えるとどんな事にもトライしてみたくなりませんか?
 インクジェットプリントも、従来の写真ではありませんが、これからの写真にはなるかもしれませんね。(対局はPictrographyだったと思います。銀塩の形をしたデジタル…)私は新しいメディアとして(今更ですがデジタルをそのままデジタルとして表現しようとしている点がすごく気になってるんです)
 ある意味、“写真”から離れてしまっても、それはその時の事、また、“写真”を引きずって進化してもそれなりの答えを得る事が出来るような気がしています。そういった意味で、写真のデジタル化が楽しみなのは私だけでしょうか?

どこでも補助光”


地下鉄の検査場のロケがあったが、どう算段しても(つまり予算と当社の事情、その日、その時に人員を割けないという)一人で撮影に行かなければならなかった。撮影自体はデジタルの恩恵でさほどに難しくは無いのだが、広い場所を一人で移動しなくてはならないのが頭痛の種だ。そこで一計を案じた。荷物運びに使用している台車にスタンドとストロボをくくりつけ“どこでも補助光”を作ってみたところかなり具合が良い。これをもう少し機能的に進化させた台車って誰か作ってくれないかな? もっとも、全てエレベーターが使え、スロープがある事が条件になる。(今回のロケ地はまさしくそういった場所だったのだ。)おかげで二日のロケを一人で170カット取りきり、現場で基本処理を終わらせてしまった。必要は発明の母?

“ぺこ”の事

ここのところ頻繁に落とし物をしている。先日のマイクロドライブに続き、今度はロケでPowerBookG4用のACアダプターを無くしてしまった。これ結構高いのだ。早速秋葉原の中古店で同じものを購入し、これはもうけ物と一安心していたが実はこれ、全く同じ形をしているのに45ワットの物だった。以前のPowerBookG4用のもので、今は消費電力も上がり、65ワットのものが必要なのだそうだ。それでも動くので、ま、いいことにしよう。それにしても“安物買い”をしてしまった。反省。
 “ぺこ”をつれて久しぶりに“アトム動物病院”へ行くと、院内がとてもきれいになっていた。リニューアルしたらしい。新しい先生も増えていて、元気が良い。三週混合ワクチンを打ってもらい、つめ切り、耳のおでき、歯の様子などを見てもらう。血液検査では白血球が多いのが気にかかる。肝臓の値も少々高いので、様子を見る事になる。いつまでも子供だと思っていた“ぺこ”も、もう7歳ですでに成猫を越えシニアになってしまっているのだ。
 今までは一年に一度のワクチン位しかお世話にならなかったのだが、そろそろ、猫ドックを始めたほうがいいのかもしれない。

小林響


旧い知り合いに会える、というのは楽しい事だ。それが当人の久しぶりの個展で十数年ぶりなるとまた、感慨が深い。今日オープニングだったのだが、その級友というのは小林響というファッションを主に撮っているカメラマンで、コマフォトなどにも登場しているので知っている方は多いと思う。彼のライフワークであるアジア、アフリカの原住民の肖像写真で今回は4×5を使用していた。相変わらずこくの深いプリントでアナログの権化を目の当たりに見る思いがした。今回も、力があり、美しいプリントは見るものをを圧倒する。もっとも彼の肖像写真自体が鑑賞者を脅迫するような勢いを持っているのは事実だが。
最初に彼を有名にした屋外に白ホリをたらしてポートレイトを撮る、という事に私は少々かかわっている。アベドンをやりたかったのはその頃初めて知ったのだが、どうやったら屋外にロールペーパーをたらせるか、という彼の問いに、それならイレクターで作るのがもっとも安く、欲しいサイズを手に入れる事が出来るだろう、と助言したのがあたしだった。まさかアフリカまでそれを持っていくとは思わなかった。彼が気にいって使用していたマミヤのC330もあたしがC220を使用していたのを見て、気に入ったらしい。
もっとも実際にはあたしが彼の内部でどれだけかかかわっていたのかは解らないが、その時代(彼が現像、プリントを初めて、それからアフリカにものすごい思いをして言った頃)に少々かかわり合いがあったのだ。
この個展は5/13日まで開催されていますので、ご興味のある方はぜひ!
横浜ポートサイドギャラリー http://www.ycs-ap.com

“ぺこ”のおっぱい


こんな写真を載せて良いものかどうか?この写真、家の“ぺこ”のおっぱいだ。向日葵の日記にも書いたが、彼女は自分で自分の乳を吸う。そのため、子供を産んだ事は無いが、おっぱいが大きい。この子はオカマの“ごんちゃん”ちゃんに育てられ、彼が死んだ後は自分の乳を吸って育った。そのため、実際にミルクがでるおっぱいを吸った事が無いのだ。ついにそのおっぱいの撮影に成功した。

お米の焼酎


今月の電塾のお話はレポートとして毎回アップしているのでそちらを見ていただくとして。最近おいしいお酒にで合ったいきさつを簡単に。
山形のお米を磨いた焼酎で名前を秀洋という。これを手に入れたいきさつがなかなか面白い。実は結婚式の撮影のお礼に頂いたものなのだ。
私は今でも結婚式の撮影を個人的に受けている。新潟での結婚式に声をかけてもらい、出かけていったところ、花嫁の支度室(いつもここからとり始めるのだが)にお邪魔したら、見覚えのある花嫁がメイクをしているのだ。あたしゃ、なんと挨拶したらばいいのか解んなくなって一瞬絶句してしまった。(ま、また結婚式を挙げるの?って)
なんの事はない、その次の瞬間には以前撮影させていただいたその花嫁のお姉さんがドアを開けて入ってきてあたしに挨拶をしてくれた。そういえば、前回の結婚式のときにそっくりな妹さんのお会いしたっけ。(ホンとびっくりしたんだから)
その前回と今回の花嫁のご実家からそのお米の焼酎を頂いたのだ。(ご実家はお酒の卸をしていたらしく、両花嫁も、ご両親も、おばあちゃんもお酒がお強い)それがあまりにうまかったのでインターネットで検索し、ついにゲットした。
秀洋というお酒なのだが、これには弟がいて、名前をシーハイル蔵王というんだって。シーハイルなんてすっかり聞かない名前だね。飲み比べるために両方同時に購入し、同時に封を切ってためしてみたのだが、兄が40度、弟分が30度というかなりきつめなのだが、個人的には兄の勝ちだった。この酒はストレートで飲む時はかなり高いアルコール度数で良い味を出す用だ。ただ、蕎麦茶割りにした時は弟の方が飲みやすい。どちらが良いかなんて難しいものです。