リースの終わり

私のスタジオでは長くPictrography4000がプルーフ出力機として頑張ってきてくれた。しかしついにリースが終わり、追加リースに入ることになった。今まで月に5万円程を支払い続けてきたわけだが、追加リースの場合は約¥60000程で、一年間リースできる。それはいいのだが、エプソンからPX6000sが発表された。これはまさしく私の仕事のために作られたようなプリンタだ。プルーフとして、A4からA2サイズのカット紙が使え、A2ノビのロール紙で不測に事態や展示用のプリントも十分な大きさでプリントできる。基本的に日々のプルーフに使用するため、スピードの方が重要なので、4色インキでハイスピードのプリントをプリントサーバーを通じて運用することが出来る。A3でも約45秒のプリント時間だ。(ヘッドはPX10000と同じ大きさ)ランニングコストも今よりもはるかに安くなる。ただ、実際に稼働させてみたことが無いので、テストできるまではなんとも言えないが、のどから手が出るようなプリンタが手に入れやすい値段で(価格.comではもう¥170000程度の値段が掲示されていた)発表されたことは衝撃だ。これって、三ヶ月ちょいのリース料ですんでしまうのだもの。

何にしても色々な機械が世代交代をする時期にきたのだろう。長い間メイン機として活躍したNikon D1X もスタジオ専用になり、ロケにはCANON EOS 1Dsがメインになった。そのロケにNikon D2H が追加されようとしている。Photoshop も今回はバージョンアップではなくPhotoshop CSとしてAdobe Creative Suitteの基幹コンポーネントとして新生するらしい。これまではどちらかというと特殊な物だったデジタルは一気に“普通の”“当然な”ツールとなっていくようだ。

さらば9500


最初に買ったMACはパフォーマ5210。500Mバイトのハードディスク、PowerPC75MHz!メモリーは不確かだがけれども確か最大32MBだか64MBも積めたと思う。このマシンでシステムクラッシュを死ぬほど経験し、コンピューターアレルギーと闘ったものだ。じつは私は元本アマチチュア無線をやったり、ラジオの製作を毎月購入したりするいっぱしの電機オタクだったのだが、トランシーバーを自作する時についICに手を出してしまい、そのままLSI(断っておくが麻薬ではない)を採用してしまったのだ。5極管は判る。だがICは理解に苦しみ(アンプリファイア自体が一つのパッケージになっているのだもの)LSIにいたり私の思考能力はパンクし、理解から完全に外れてしまったのだ。それ以来、音楽やったり(もちろんウッドベースを片手にフォークソングからジャズに行くあのお定まりのコース)絵を描いたり(東京芸大に4回落ちて仕方なく武蔵野美術大学に行くというこれもおさだまりのコース)してそれらを封印してしまったのだ。まさか40近くなってからそんなコンピュータなんて?! 私の知っているコンピュータは未来をつかさどる巨大で複雑怪奇で近寄り難いものだったのだ。(その割に大学ではチョムスキーを研究したりしてたけど)
とにもかくにもパフォーマで少々の自信をつけ?、本格的にPowerMAC 9500 120MHzを導入することにしたのだった。フルメモリー(とは言え、当時は16MBを12枚という構成でそれでもメモリーで100万円はしたはず)搭載しPhotoshop の必需品サンダーパワーを(このビデオボードが40万位したはず、このビデオボードは最終的に3枚うちにある)搭載し、後にPowerPCG3/266に換装され、最終的に300万を軽く越す金額を湯水のように投入したマシンだった。3年後くらいには64MBを16枚、増設したっけ。この頃は64MBのメモリーも1枚3万位だったと思う。
古くからコンピュータをいじっている人間はこのての昔話が好きだ。私も例外ではないのだが、かなり言い古されたお話ではある。なぜ今更こんな話をしているのかというと、この10月からリサイクル法が改正され、適当に捨てられなくなり、ついにあわてて、粗大ごみとして捨てることになったのだ。確かモニターが50万位していた。(これはもちろんもう発色もむちゃくちゃになっていた)また、かなりムズガルようになってしまい、なだめるのに一苦労するようになり、二回に一回は起動しなくなってしまったのだ。その頃に買ったスキャナーやプリンタはすでにこの世のものではない。初期投資の300万ほどのマシンが、と言うか、金額的なものよりこの7年間、一緒に苦労し、徹夜をし、戦い、働き続けたマシンを一個800円で粗大ごみにしてしまう私。それにしかならないマシン。物欲の強い私としては(愛着も強いのだ)とても悲しかった。スペースの関係でもう置いておけないのだもの。
そういえば“おかく”もこのモニタとマシンの上で良く幸せそうに寝ていたっけ。

この日記は先月書いていたのだけれども携帯電話の画像をとり出せなくて、今月にはってしまいました。やっとミニSDカードのカードリーダーを買ったのです。ソフマップで1980円。

ウエルカムパーティ


今日は個人的な知り合いでもあるコニカミノルタの山野氏のウエルカムパーティ。午後の2時に江戸東京博物館の前で山野氏と待ち合わせ。光陽社の柳沢氏、あたしに“久田”の4人という異様な組み合わせで見学に入った。ここは期待したよりもはるかに面白く、時間が足りないくらいだった。久々に素晴らしい蒔絵の数々、江戸の生活を再現したミニチュア、羽村の堰から引っ張り込んだ用水、江戸市中を走る上水。当時世界から孤立していたにもかかわらず、世界最高水準の都市として存在していた水の都の姿に見入ってしまった。最後は時間がなくなり駆け足で明治期の銀座、浅草などを見学した。途中から早川氏も追いつき、合流。また機会があったら、いこうっと。
もし、個人的に行く方のために、情報を少し。5時間は見学する時間を持ち、my双眼鏡(拡大率はそんなでなくても良いから、明るく見やすいヤツを)、高感度で明るいレンズ。出来れば手ぶれ補正機能のついたカメラ。(暗いんですよ。かなり)これらをお忘れなく!。
その後、カメラマンの吉田君、うちの石川、コニカミノルタの永井さん、菊岡氏などを加えてちゃんこ鍋を囲むことに。デジタルカメラや写真その物の話題はあちこちに跳び、久々に、電塾、と言う訳ではない、個人的なおつきあいを楽しむことが出来た。最後はみんなでハンディまで乱入し、山野氏の冷却CCDを搭載した転載撮影セットの話題、分解フィルターの話題、電塾で紹介された「ピンボケ→手ぶれレスキュー」の話題などで盛り上がり、午後の10時を過ぎて、やっと解散となった。こんなおつきあいはめったにできない機会だったので、いちばん楽しんだのはあたしだったのかもしれない。

時はあっという間に過ぎていく

中部電塾から日記をさぼり始めて夏がきて、その夏もあまり暑くならないうちに秋がきてしまった。今回もいい訳が用意されている。また、本を書くという話が持ち上がり、その構想をまとめているうちに帰省の時期がきて、大騒動の旅行から帰ってくると、さる中規模スーパーマーケットの撮影を全部やらないかとの声がかかり、それにかかり切りになってしまったのだ。
もしその話がGoになっていたらば、まだまだ日記は再開できなかったろうと思う。再開することになったということはその話はポシャったということだ。
今まではべつに公開してもかまわないことが多かったのだが、さすがに今回ははばかることもあり、書きたくてもかけない状況もまま、あったので、お休み、と言うことになってしまった。

さて、再開しようにもこの数日さほど面白い話もなく、取りあえず向日葵の日記を8話ほど一気に追加したので、ぜひ、そちらも合わせてお楽しみくださいませ。

不定期“カノッサンの屈辱”は再開です。