コリア!病院へ行く


昨日、というかもう今日になるのだが李君と別れてホテルに戻り、日記を書いたりして寝たのが2時過ぎ。結構酔っぱらっていたらしく、インターネットに接続するために机の下からケーブルを引っ張っていた時、足を机の柱に思いきりぶつけてしまった。その後風呂に入り、寝たのだが5時半ごろ激痛で目が覚めた。右足のひざの横がとてつもなく痛い。試しに立って見てようとしたがそれさえ出来ないのだ。

私は骨折などした事がないのだが、これはひょっとしたらひびでも入っているのではないかと不安になる。朝、李君と朝食を食べようと約束していたので彼に電話をして湿布薬を買ってきてもらったが、それだけではどうにも心もとない。海外旅行保険の会社に電話をして病院で必要な書類などを確認し、タクシーを呼んでもらい、病院に行った。幸い大きな外科病院がホテルのすぐ近くにあり、結構速いスピードで診察をしてもらった。これも李君が適切に通訳をしてくれたおかげだ。

此処が痛い、というところにいきなり注射され、たって見ろという。なんとあれだけいたくて右足では立てなかったのに、すんなり立津古とが出来た。その後レントゲンという順番。

昨日、日本の私のスタジオは100カット近くの撮影をこなしていたらしいのにぼけっと垢すりなどで遊んでいたたたりかしら?

今日はレントゲン台の上で綺麗なオネイサンに、上を向け、横になれ、うつぶせになって足をもて、と昨日に引きつずきグレコローマンスタイルで転がされる。韓国ってこういう事になる国なのかしら? でも今日のオネイサンは優しくて大好き。

幸いレントゲンの結果は問題なく、もう一本お尻に注射されて退院。病院代が4600円だったのだが、診断書…これが必須だと保険会社のお姉さんに言われていたのだが、は1万円もした。これって…保険など思いつかない方がよかったのか?

づっと李君に介護してもらいながら、セミナーの打ち合わせ、セミナー、(もちろんJ00さんという見事な通訳つき)とこなし、反省件食事会となる。みんながんがん飲んでいるのだが、あたしは鎮痛剤の事もあるのでお酒抜き。何だかつまらない。明日は5時起きで成田に帰りそこから横浜に直行していとこの結婚式だ。

今回のお土産は韓国の病院の診察カード!韓国はサイトシーイングはいっさいなし。何時の日かリベンジを!!

コリア!

電塾に置いて東京ではなく、離れた場所でのセミナーというとなぜか温泉。この元凶は中部電塾の夏の台合宿にあるのは周知の事実だ。最近、東京でもこんな事が合ってもいいのじゃないかと思う私はすっかり毒されているのかもしれない。

今日は韓国、ソウルにいるのだが電塾として関与する第一回目のセミナーのトリを勤める事になり、はるばるオリンピックから帰国した選手団にこっそり混ざって韓国入りした。時間が中途半端で午後の1時にソウルに入り、打ち合わせが夕方6時という事でサイトシーイングに出かけるには時間が短く、私の師である永嶋氏に習って垢すりに行って見た。

ホテルで紹介してもらい、オネーチャンのいる床屋はどうかとしきりに進める運転手の誘惑を振りきって東大門近くのお店でぼろぼろの垢すりを初体験した。この辺は尊敬する永嶋氏とまったく同じ経験だった。

びっくりするくらい垢、(これはごみ?)がでる。横になれ、後ろ向きになれ、ひっくり返れとグレコローマンで得点をたたき出すようにごろごろしているうちに気が大きくなり、ついつい足裏マッサージまで追加してしまった。

気がつくと請求は10万ウォン。お進めコースで6万8千ウォンのつもりがびっくりした。デモその差は日本円で3千200円。ま、どってことないか。

6時には無事ホテルに帰り、打ち合わせ。久しぶりに委君と合って12時まで飲む事になった。

いろいろと韓国の事情を聞きながら、一人進歩的?な立場になってしまった彼の身の振り方を思うと何だかいろいろと考えさせられる。

サンダーバード

八戸の三日目。電塾運営委員のPhotoshop エキスパートの方が楽しみにしていたというサンダーバードを見に行った。昼の間は全て吹き替えなので、字幕スーパーのレイトショウを狙って映画鑑賞。夕ご飯をお兄ちゃんのお宅でご馳走になり、すっかり満腹で映画館に向かうが、映画館には誰もいないのだ。八戸は一昨年、あまりの不興で全ての映画館を閉じてしまい、これだけの街に一件も映画館がない状態が続いていたいたのに市民が立ち上がり、ついに複合施設を完成したというのだが、こんなに人がいなくては来年は待たなくなっているのではないかという思いで不安になってしまった。ぜひ、来年も再来年も元気でいて欲しいものだ。
サンダーバードはきちっとお子まま向けの仕上がりで、まだ登場人物紹介といったところ。きっと続編も作るのだと思う。ペネロープが何だか昔と印象が違って少々まごついたが、あたしはこのお色気いっぱいのペネロープも好き。パーカーと元のサンダーバードにいないブレインズの息子とアランは実に出来がよい。ミンミン(だったっけ)も少し大きくなって、魅力的。でも人種が違うんじゃないかしら?このあたりは永嶋さんと討議しなくては。

兄ちゃんの誕生日

翌12日はもちろん八戸で目を覚ますが、ぐっすりと眠り、すでにお昼ころ。のんびり起きた後は「グレイス」に行って靴を2足作った。日本にも数少ないシューマスタの称号を持つ店主に足を測ってもらって、中敷を作ってもらうのだ。これが実は私がどれだけ歩き続けても疲れることがない理由だ。
あたしのお兄ちゃん、“松男”のお誕生日。実家でかあちゃん達とまたまた宴会をやってしまうが、プレゼントに選んだ卓上の拡大鏡がむちゃくちゃに受けたのが嬉しい。

今日もビールと日本酒を目一杯いただいて眠る。

帰省

“ぺこ”を車で病院jに預け、“アトム動物病院”さんのサイトの写真のうち数点の色温度を調整し、家のそばの万蔵そばでおそばとビール。午後2時の新幹線にのる。もちろんの車内は満杯だが、また、ビールを2本飲んでしまう。またまた締め切りが迫っている原稿を校正しているうちに爆睡。それでも“はやて”は走り続け、車窓に岩木山が見えるころに、目が覚めた。車内であたしが寝る前から叫びつつづけている子供はまだ叫んでいる。今年は青森県八戸市も34度を越し、熱くて熱くて眠れないと脅かされていたのだが、自宅側の新井田川の河原に立と寒いくらい。自宅に荷物を置く暇も無く、そさくさと飲みに出かける。

八戸で音楽をなりわいにしている嵯峨君を中心に10人ほどのメンバーがそろい、いきなりウエルカム宴会。ほとんど今日しか一緒に飲む機会がないと言うことで鬼とケンカするような勢いで焼酎を11本並べて飲みつづける。東北の歌姫K子ちゃん、すし屋の娘、チャコちゃん、楽器商の戸川さん、永いつきあいになるボーカルの加奈ちゃん、続々と集まってくる。最後に飲んでいたのはジュニアという不思議な飲み屋で、そよ風にのって、や伊東ゆかりの夢見る思い、シャボン玉ホリディーのエンディングテーマのスターダストなどがかかっている。もちろん、このお店の本職はJYAZZバーなので、本来はJAZZがかかっているはずのお店。あたしのシュミに合わせてくれているのだ。八戸に帰るといつもここに寄る事になっている。さすがに朝3時ころにはすっかり寝ている菅野君に二十年ぶりに合ったギター弾きの小山君、飲み屋の大将花田君に、“久田”とあたしだけになってしまった。確か電塾運営委員のPhotoshop エキスパートの方が八戸は不親切、燃えない「冷たい」街だ、とおっしゃっていたが、が、けしてそんなことはけしてない!!ただ、“乗る”のが不得意なだけ…あたしは違うらしいけど。一夜に燃えた八戸の夜でした。

マシンは壊れる

 やはり私のマシンは起動ディスクがすっ飛んでいた。久しぶりに聞く、からん、からんという音は実にいまいましい。もっとも、私は常にまったく同じ起動ディスクのコピーを同じマシンの中に別のハードディスクに保持している。そして基本となるデータ、作業中のデータは全て1T(テラバイト。もう珍しくも何ともないですね)のメインサーバ内にRAID5で保管されているので、個人のマシンが吹っ飛んでも復旧には問題がない。
 はずだったのが、なんとエマージェンシー用の起動ディスクからも起動できなくなっていた。普段持ち歩いているパワーブックG4/1.25Gもほとんど同じ構成なので、取り合えずそのコピーで起動させる事は出来たが、メインの起動ディスクはやはり一から鍛え直す事になり、締め切りを二つも抱えたお盆休みの直前はとてつもなくいそがしい事になってしまった。その中でもほっとする事がひとつ。通常なら5本もインストールしなくてはいけないメインのアプリケーション類が一気にインストールできるAdobe Creative Suite。この効果はとても大きかった。
 
 フロスト警部の日記に、書きたい事多くある時はそれだけ書くんだ、というお話しを読んだ。まったく同感である。これはすぐにも書きたかったのだが、あたしは電塾のレポートを書いているので電塾明けは結構頭がいっぱいで日記まで気が回らない、といよりも全部そっちで書いてしまって抜け殻になっているのだもの。
 久しぶりにお互いにエールを送り合い、(二人とも申年で仲が善いんですよ)しこたま飲んだ一日でした。なんとなあ熊田熱射病から抜けきれていない…

高千穂


あたしは高千穂に中学生のころからあこがれていた。天孫降臨の場所、という事以上にあの盆地、渓谷、そしてやや荒々しさを持ちながら神々しい山並みの眺めが大好きだったのだ。(いや、まだ一度もその地を訪れた事はないのだが、多分ドキュメンタリーや山好きのお兄ちゃんの本で知っていたのだろう)
昨日、懇親会、二次会、ラーメンとお付き合い願ったお二人のうち、電塾のBBSにも時々登場している長谷さんが私を高千穂に連れていってくださるという。実はレンタカーでも借りていこうかと思っていたのに、ナビゲーション機能付きの運転手と4WDという最強の組み合わせが突然私の目の前に現れたのだ。彼のご好意に完全に甘え、さっそく、デリカで高千穂に向かう事になった。

途中、阿蘇の全容を見せていただいたりしながら、最初に天岩戸神社にむかう。天岩戸は神域で撮影禁止との事でさっさとパスして天安河原に向かう。奥深い流れの上流にそれは位置し、八百万の神々が岩戸開きの相談をしたというところ。なぜか石が積んである。日本は泉はみんなトレビの泉にしてしまうし、河原なんでも賽の河原にしてしまう傾向があるようだ。クマンバチのような蜂に襲われて永瀬さんに退治していただいたりしながら、往復で6キロ近くの石段の上がり降りしてもまだお腹は空かない。昨日のラーメンがまだお腹にのこっているようなのだ。
メインの高千穂渓谷に入るが、さすがに男二人でボートに乗るのは遠慮した。歩いてその深いV字型の渓谷の造形美を楽しむ。流しそうめんをやっていたが、それはさておき、私は高千穂牛の牛丼、長谷さんは鱒寿司そして二人ともビール。なかなか良い感じになってきた。
国見ケ丘に登り、連なる山並みと雲を楽しんでいるうちに遠くからごろごろと雷の音が聞こえてきた。
そろそろ引き上げないと、雨に降りこめられそうなので、撤収する事にしたが、個人的には国見ケ丘の眺めがもっとも気に入った。私はきっと、これを見たくて高千穂にきたのだ。
帰りはいくつかの石橋、灌漑の用水路などを見学して空港に向かう。南九州の石組みの文化を改めて見せつけられた思いがする。高千穂は九州のどの空港からも同じように遠いのだそうだ。

念願の高千穂を堪能した私は長谷さんに感謝しながら、また飛行機に乗って東京に帰る。一日仕事をしないで会社に行かなかったのは久しぶりの事だ。しかし帰って見ると、軽い熱射病にかかっていたらしく、とにかくビタミンと睡眠をとる事にした。
ただし、気になる事がひとつある。会社の私のマシンが起動しなくなり、かたかたいってるのだそうだ。あれって起動ディスクのバックアップを取ってあったっけ?

デジタルカメラセミナー in 熊本 松本コロタイプ。


朝8時15分の飛行機で熊本に向かうが、私はマシンをひろげたまま、爆睡してしまった。そんな私をのせたまま、飛行機は居座る熱帯低気圧のおかげで少々遅れたものの、無事機熊本に到着。早速肝心のセミナー用ディスプレイの設定にかかる。マシンを取り出し、起動をしてここではたと気がついた。電源のプラグについているアダプターが違うのだ。これでは充電できない。すでに機内で少々バッテリーを使用していたので、多分のこりは持って1時間半。取り合えず省電力モードで駆動する事にした。

プロジェクターはナショナルの製品だが、ナチュラル、というモードは sRGB なのだそうだ。確かにそのモードでまともな色彩を得ていた。しかし、190人近い受講生の数があり、かなり後ろの方まで人数がいるので、画面を大きくしないといけない。当然暗くなってしまう。天井の照明を全て消す事で何とかバランスを保った。しかしこれがさらに災いを呼ぶ事になってしまった。

壁に張り出したサンプルでお話しが出来る場合は、マシンを立ち上げずに行い、時間を稼ぐ。しかし、省電力モードのマシンはふと気がつくとスリープしてしまう。全ての照明を消しているので、マシンがスリープすると会場が真っ暗にってしまうことが判明した。仕方なくまた、パワー全開モードに戻してセミナーを続行するが、スリープという手を使えなくなるとやはり消費量は激しく、前半だけで残量が28%と表示され、仕方なく近所のヤマダ電機にスタッフに走っていただく事にした、ノだが、会場の中にすぐそばに事務所があり、アダプターを持ってきて、お貸ししてくださる方があり、やっと私は安心してセミナーをつずけることが出来るようになった。
救う神もこの世には存在しているのだ。

チェックインしたホテルは熊本城の目の前。窓を開けるとご覧の通り。何だか日中にこの部屋で過ごさないのは何だかもったいないほど。

おかげさまでセミナーは滞りなく終了し、懇親会、二次会と熊本の夜は馬刺しと焼酎で更けていく。

最後に熊本ラーメンを食べにいったが、私がみそラーメンを注文したら、ホンマモンはこれや、と別のラーメンを差し出され、結局私はラーメンを2杯食べてしまった。

三回忌


 三年ぶりにあるクライアントさんが撮影を依頼してくださった。今回も立ち会いで、新商品のプレオープン用の撮影。三年前というとまだ私達が練馬に住んでいた頃。思い出して仕事を回してくださる、という事は私達にとってとても幸せな事だ。仕事が始まってしばらくして、あの猫ちゃんはまだ元気なんですか?と聞かれた。彼女は“おかく”の事を覚えていてくれたのだ。印象的な猫だったので…と。
 こちらに越してからいくらも立たないうちに死んじゃったんですよ。
 そのことをお話しすると、残念がってくれた。彼女も今年、まだ年の若い猫を失ったばかりだという。しばらく仕事そっちのけで、向日葵の日記の話題に興じてしまった。
そう。2年前の8月3日朝早く、“おかく”は私達の元から去った。特に何をするわけではないが、今日は“おかく”の三回忌だった。
 向日葵の日記を5月に書き終えてから三ヶ月経った。ほとんどの思い出を書き終えてしまったと思っていたらこんな日に“おかく”のことを覚えていてくれる方にまた合う事が出来た。どこまでも一筋縄では行かない猫だね。
 臆病猫の“ぺこ”がいるので、いまのところ新しい猫を飼う気が起きない。というよりも練馬の内にいた頃と違って猫との出会いが少ないのだ。家はいつも入り猫。私達が選んで猫を飼うのではなく、猫達があたし達のところを“選択”してやってくるのだ。
 また誰かに“選択”してもらう時がきっと来ると思う。それまでは“ぺこ”と“久田”との三人の暮らしが続く。思い出をほとんど書き記したにしても、あたしは今でもその思い出の中でふわふわ遊ぶ事が出来るし。
 そろそろ向日葵の日記の中の誤変換を直そうとお思うのだが、それもそのまま。

水漏れ。

スタジオのエアコンのドレンホースが外れ、1時間ごとにバケツを交換する事故があり、自宅のエアコンのドレンホースがつまり、水浸しになった事は前の日記にも書いた。昨日はマンションをでるときに、一階のロビーで天井から水漏れしているのに遭遇した。
今度は何がああるのかと思っていたら、大阪の親戚でとても親切にしてくださっていたおじさんが亡くなったという。翌日がお通夜なのだと聞いた私は、スタジオ改造計画の最後の仕上げ作業を深夜まで行い、夏の礼服を新調し(明日の11時仕上がり)、お昼ころに出かける予定だった。しかし夜になって、お通夜が明日だというのは誤情報で、実は今日すでに終わっていて明日は10時半からお葬式だという事が確認された。なんてこった。
仕方なく冬物の礼服を取り出し、台風で蒸し暑い大阪に向かって5時起きで新幹線に乗ることになった。ああ、熱そう。準備のなんやかやで寝たのが2時半。新幹線の中は爆睡できた。
83歳でなくなったおじいちゃんだが、お別れに数人のお孫さんたちが泣きはらし、お棺のの中のおじいちゃんに触っているのが印象的だった。奥様はその陰に隠れて目頭を押さえておられた。私の知る当人らしく、お孫さんたちにも優しいおじちゃんだったのだろう。
12年ほどもご無沙汰していた親戚のうちにそのままお邪魔し、12年分の昔語りをして東京に向かう。結局帰りは最終列車の一本手前になってしまった。