TNGとは

 アップルコンピュータ、アドビシステムズ、大日本スクリーン製造、モリサワで共同発足したプロジェクト、TNG (The New Generation)についてどういう見解をお持ちですか?という質問を受けた。

 私は以前から、この運動にかかわっていた、という程ではないが、取りあえず動向は知らされていたということもあり、応援はしているのだから、見解といっても、いいんじゃないの?と答えるべきなのだが…。実は、やっとここまできたのか、というのが正直な感想。ホントはApple社はOSXを発表すると同時に、このような運動をスタートさせるべきだったのではないかと思っているのだ。(そう感じている方々はきっと多くいらっしゃると思うOSX、Adobe InDesignが発表され、一年後にはカラーマネジメントの気運が高まり、OpenTypeFontが発表された、この2年間のブランクをどう埋めていくのか、その戦略と方法論として、これで十分かと訪ねられれば、まだ、物足りなく感じてしまう。もっと周りを巻き込んで、大々的に(9月30日までではなく、また、もっと多くの会場での開催が望まれる)打ち上げて欲しいものだと思う。にしてもこの動きは結果的には、ターゲットがどれだけ新規の客を取りこめるか、ではなくクリエイターのMac離れをどこまで食い止めることが出来るか、という、かなり消極的な戦略も見え隠れする。私がうがち過ぎなのかも知れないが。

質問その2 一気にDTP業界が変わるのだろうか?。

 とてもじゃないが私ごときにお答え出来る問題ではない。が予測はある程度成り立つかもしれない。あるいは希望を語ることは許されると思うので、個人的な感想を少しこぼしてみたいと思う。

 今後このDTPプラットフォーム(何しろOS9はすでに過去の遺産と化している。今はまだ使えるが、2~3年後にはとてもじゃないが、メインのOSとしては使い物にならんだろう)をデファクトスタンダードにしたいという動きは当然であり、理解出来る。
 ともあれ、MacをDTPで使い続けるためには、いつかはOSXに乗り換えなくてはならず、そのためには新しいデファクトスタンダードが必要なのは事実だ。一気にかどうかわは知らないが変化するのは確実だと考える。
 以前DTPのデファクトスタンダードを作り上げたのも、牽引したのもAppleをコアとした、モリサワ、Adobeのタッグチームだった。これにリップメーカーが加わり、昔の夢よ今一度、というのか、現状を見ると、生き残りをかけた戦いにのろしを上げたと私は理解している。そして、印刷業、写真、製版、デザイン業界のデジタル化は、ここまできて、やっとその全てがデジタル化されたといえるのではないだろうか?(つまり入力がデジタル化されることにより、過渡期であったEPSワークフローなどが整理され、新しい環境に見合ったワークフローに進化するということだ)
 個人的にはAdobe InDesignは嫌いではない。というよりもカラーマネージメントがきちんと動く環境で、画像データををRGBで、しかもPSDごと読み込めたり、OpenTypeフォントの採用など、コンセプトはかなりお気に入りだ。ただ新しいワークフローの常で、受け入れ体制、当初のバグなど、実際に稼働させるための問題点は山積みだろう。

そう。周囲の環境(つまり、今ある印刷機とかセッターとか、プルーファーとか、RIPとか機械的な部分と、それに携わるカメラマンも含めたオペレーターたちの問題)とのマッチングをどう解決していくのか、という大きな難関が待ちかまえている。今となってはイバラの道かもしれないが、なんとかうまく解決し、新しいデファクトスタンダードになり得るように、私は期待している。なぜなら、マッキントッシュというコンピューターを私は大好きなのだ。しかし、この試みが失敗すると、どうなるのだろう? 今後のDTPにMACが使われなくなる可能性も大いにある。(OS9としてはしばらく生き残るとしてもだ)私は当然、必要なところではWindowsも使用しているが、MACがこの世から消えてなくならないように、結構せっぱ詰まった気持ちで心から祈っている。

この日記を書いているうちに、Adobeシステムズの発表で次期Photoshop はOS9をサポートしないとの発表が飛び込んできた。これが、ますますMAC離れを生むのか、OSXへの移行を促すことになるのか…私は後者にかけたいと思う。そのためにも周辺機器、ソフトウエアー開発の早期のOSX対応が待たれる。(何せこんなことを言っている私の環境でもOSXでドライヴ出来ない出力、入力機のために、…さほどに古いプリンタではないのに…いまだに2台のOS9駆動のマシンが残っているのだ。)私達はいやおうなしにOSXに移行せざるを得ない事になったのだ。この意味においても、このうようなムーブメント(移行するための手助けとなる動き)が現れてきたことを、改めて歓迎したいと思う。ただ、また次期OSX(パンサー)がコアシステムからひっくり返すようなことにならないことを祈る。マイナーアップデートの度に一から書き換えなくてはならない各ドライバ開発者の嘆きもわからないのではないのだ。必要があってそうしているのだろうが、Appleとしても変える必要がある時などは出来るだけ早い情報公開ををするなど、さらにデベロッパー、エンジニア向けの開発しやすい環境を整備するように望みたい。

美樹ちゃんと石井さん。


私が練馬にある中堅の印刷会社の外注カメラマンだった頃、知りあったカメラマン二人が、同じ週に個展を開いた。島村美紀という、元々うちでアシスタントをやってくれていた、非常に作家性の高い子だったのだが、さっさといくつかの賞をとり、もう個展も7~8回、グループ展を含めると十数回の展覧会を開いている。なぜか、気が合うことに、二人とも廃虚好き。朽ちかけたもの、荒涼とした風景が好きで、しかもモノクロ好きと来ている。今は大変身してしまったかっての無人島に一緒に撮影に行ったこともある。女性とは思えない(という表現はどうかな?、)大胆な“静かなのに動感のある”構図が得意だ。久しぶりに10点ほどの新作を堪能してきた。

もう一人、石井さんという、私の兄貴分に当たるようなカメラマン。先の外注カメラマン時代によくご一緒させていただいたのだが、実は私の初期の撮影技術は皆、彼から盗ませていただいた(なんかみょうな表現だね)。彼の写真の仕上がりがとても気に入ったので、いつもすぐそばで撮影し、そのライティングやら、露出の決定法やらをまねしたものだ。写真学校にも、カメラマンに付いたことも無い私にとっては素晴らしい先生だった。いつか、石井氏から、マネッコ鹿ちゃん、といわれたことがある。当然そんなことには気がついていたのだろう。それでも自由に見せてくれたことに、今でも感謝している。

多分、もう十年ぶりになるだろう。久しぶりにお会い出来て、また、彼が結構あたしと同じような視点で風景を見ている事を知り、何となく嬉しくなった。崩れた壁のしみとか、焼けたドラム缶、腐食したペンキとかそういったものを切り取っている(カメラマンや絵描き、イラストレーターって結構こういうことをしているらしい)

そんな懐かしい知り合いにはしごをした一日だった。

日経新聞ネタ

本来ならフナイ電気がDVDレコーダー業界に参入とか太陽誘電がDVDの月産を2倍にしたとか、じつはPCサーバの出荷数が昨年度3.1%減少しているとかの話題を取り上げるべき所だろうが今日目を引いたのは大田区の中小企業が中心になり、廉価版の水上飛行機を開発しようという動きだ。私の癖で、新聞は最終面から順に読むという悪癖のおかげで、最後に目に飛び込んできたのだが、まともに読む方は当然、最初にひっかかっていることと思う。もともと、川崎重工などの大きな企業、また、零細でありながら、高度な技術の集積した地域、第二次世界大戦中はひそかに零戦のパーツが組み立てられ、深夜に川崎街道を牛車でひそかに運ばれたという(音がしなく、しかも振動も比較的少ないというのがその理由のようだ)日本を代表する基幹技術の集積地である。墨田区などもその範疇に入るのだろうが、(実際細かい技術などは依然この当たりに集約しているようだ)セイコウ社の移転などで今は見る影もない。

大田区、特に鎌田辺りは、いまだにそういった高い技術を持った零細企業が集まっていることは周知の事実だろう。一時の携帯電話の振動モーター然り、水中プロペラの研磨技術然りだ。しかしそれらはあくまで受動的なものだった。今回の記事は底辺から持ち上がった話だいうのがもっとも注目すべき点だと思う。なんと三年計画で水上飛行機を開発、製造、しかも独自のエアラインさえ、念頭に置いているというのだ。(当面は自動操縦の無人艇を開発、その技術を売りながら、実際に創業し、4~5人乗りのレジャー、海難救助、離島などの災害救助を目的とした飛行艇を開発、将来的に80~100人乗りの中型輸送機を念頭に置いているという壮大なものだ。)日本は抱えている人口に比べて、飛行場が異様に少ないのは事実。しかし、天然の良港に恵まれていることも事実。もちろん湖も多く所有している)そして日本は旧くは二式大艇、新明和・海難救助艇(名前が違うかも知れない)P3Cオライオンを始め(古い情報ですいません。たしか今はもっと新しい水上艇が開発されていたはずですがどうにも名前が出てこない)高波高時の水上離発着技術に関しては世界の最先端を行っていたはず。陸地の少ない日本としては、当然着目すべきポイントだろう。

とすると、わざわざ、都内の空撮に調布まで行かなくても、その当たりの岸べから発着できるわけだ。(そんな簡単なもんじゃないか)写真にあまり関係ないかも知れないが、何かわくわくする話だと思いませんか?

つい話がそれそうなのでもとに戻すが、こんな動きが何だかとても頼もしいのだ。日本という国を象徴化しようとか、そういうことではないけれども、戦後の(戦前も含めて)焦った教育の結果、この現状をかんがみて、しかし、それらは何もすべてが失敗したわけではなく、今、このお寒い状況の中からも何とか芽を出そうとしている動きがあること、その種は蒔かれていたこと(実際の思惑とは別に、あるいは少数の方々の本来の思いが)まだまだ頑張ってみる価値が自分たちにはあると(思いたい。いえ、そう信じなくては)感じることの出来るニュースのような気がしたのです。

未来は私たちが開きましょう。お仕着せでも良いじゃありませんか?出来ることが残っているうちは。まだまだ捨てたものではありません。って実はつい最近まで落ち込んでいたのかも知れませんね。
実は今日、最近知りあったサーバ運用とポップデザインをお仕事にしている方とエプソンの唐沢さんと飲んで、良い気持ちでうちに帰り、たまたまこんな記事を見つけてしまったんで、つい一人で盛り上がっているのです。

とても個人的なもう一つの5月の電塾レポート


今日は二年に一度の大型神田祭。しかも江戸遷都400年記念だそうだ。お天気も上々で午前中から寝ている訳にはいかない。そこで午前中は神田泉公園付近でお神輿を堪能して、秋葉原の牛丼でおなかを膨らまし、電塾に出かけた。

恒例の自己紹介は今回はプログラムも盛りだくさんであり皆さんの自己主張があまりにも多いためだろう、途中から早川塾長から異例の「今日は自己主張なしの自己紹介だけ」という制限がついてしまった。(もちろんほっておけば、時間はどんどんずれていくそうな状況だったのでこれは当然)次回は電塾の開始時間が1時間速められるのだろうか?

レポートで書ききれない、あるいは電塾を代表して言うにはあまりに個人的な意見ではあるがやはり私としてはくすぶらしては置けないので、ここで5月の電塾で感じたことを日記として書き記しておきたい。結果としては第一部のソースプロファイルの有効な活用、という部分に収束していくのだが、そこはレポートを参照していただくとして(レポートにしてはやたら詳しく書いておいたので)まず、第三部ではここまできたカメラ付き携帯電話の画像品質と題して山田久美男氏の講演が行われたが、ある意味メールも出来て、時計内蔵、目覚ましにもなり、ファックス代わりにもなり、カメラ、懐中電灯、住所録、カレンダー機能などを搭載し、GPS機能を持ち、将来的には非接触タイプのメモリーカードも埋め込まれた、PDAどころか、それがないと個人としても認識してもらえないような化け物に進化していく様子が目に浮かび、国民のコードネームはまさしく携帯番号で代用出来るな、とおもう。
 あと足りないものはナイフにのこぎり、つめ切り、はさみ、ペンチ、ドライバー、虫眼鏡くらいだろうか?

 本題に入ろう。実は今日は私は最新携帯電話も気になっていたのだが、郡司氏の講演をいちばん楽しみにしていたのだ。郡司氏はよく、プロファイルは○○もみそも一緒でLabも同じといわれる。なぜそうなのか私には理解し難かったのだが、今日になってやっとわかった。私はその上に付随しているCMYKで仕事をする時に、というフレーズを聞き逃していたのだ。
 であればわかる。プロファイルやLabとして、同じ数値を出しても、CMYKの数値は違う場合があり、印刷機が安定しているのならまだしも、不安定な場合、各インキごとのドットゲインの差や、トラッピング、果ては刷り順などで、これがかなり違った色彩を再現してしまう可能性があるということに警鐘をならしているのだ。(このあたりはとても詳しくお話してくれた)RGB to Lab と Lab to CMYKはイコールではないのだ。RGBから思考を始めるカメラマンにとってはLabとはインデペンデントな頼れる存在なのだが、CMYKから考え始めると、バランスが違うのに、Lab上では同一の数字、同じ色彩と言われる不都合が起こるのだ。こんなところでやはり郡司氏は印刷畑からカラーマネージメントにたどり着いた方だな、と思ったりもした。立場が違うと見る場所がかなり違うのだな、と思う。(ご本人は決してそうは思っていらっしゃらなさそうだが)私達(少なくとも私)は画像を作る際、Labって結構頼りになる存在なのだ。(もちろんPhotoshop の内部エンジンはLabで稼働している。つまりプロファイル変換を駆動するエンジンにはさまざまあるとはいえプロファイルが参照するいまのところ唯一の“暫定”とはいえ、共有カラースペースなのだから。)

 全てをここで新たにレポートする訳にはいかないが、もう一つの警鐘として、カメラマンがインプットプロファイルをつくるとやり過ぎる可能性があるという点に触れていた。しかしながら色彩を揃えることは必要あるとも認め、これはプロファイル運用ではなく、個別カスタマイズとでも呼ぶべきと提案されていた。たしかに、オーバーコレクションは私も賛成しない。というよりも大嫌いだ。
 しかし、インプットプロファイルも確かにICCの基準にのっとってつくられた物なので私はプロファイルと呼んで構わないと考える。(最もこれにはこだわる訳ではないが)私見で恐縮だが、私はとらえ方として、カーマネージメントを理解した上で、アドバンス的に使用するべきものだと思っている。プロファイルとは万能の打ち出の小づちではけしてなく、使いようによってどうにでもなる、鉄人28号のリモコンみたいなものだ。使い方を知らなければ、恐ろしい結果を招くのだともおもう。郡司氏の意見は十分に理解出来るのだが、それを使用する立場が違うのかもしれない。インプットプロファイルの目指すところは個別カスタマイズである、という意見には大賛成。しかし、これはカラーマネージメントから独立してあるのではなく、標準化、基準化を求めるカラーマネージメント(つまりカラマネって単にスタートラインを揃えようとか、最低限の基準値はここだよ、ってあるエリアを指し示しているものだと考えるのだ)から、さらにアドバンスな所、個人技を思いきり披露出来るようなところ(だって商売は人よりよく見せることで仕事を得、高い値段を確保出来るものだもんね、これが無かったら、カメラマンはおしまいだよ)で使用するべき物だろうと思うのだ。値段がとても安く、質よりもスピード、といわれれば、カラマネで最低限のラインとして、65点は保証されたデータを作る。カット¥10000頂けるのなら、クライアントさんにううむ、なるほど、とうなずいてもらえる品質の絵を提供する。そのためにはカラマネだけではだめで、まさにそこに個人技もあったりする。でもこの“最低限ライン”は年々きっと上がっていくんだろうなと思ったりもする、今日この頃だ。共通のものは大事。[平均化]もある意味重要。しかし何でもかんでも平均化させてしまった結果は今の日本を見ればなんだこんなものか、と思う。(でしょ?)

その他に、全てを覚えている訳ではないが、印刷で出てもRGBではでない色は結構あること、 AdobeRGBまでは8ビットでハンドリングしても可、カメラマンにとっては印刷しやすいRGBデータを流通させるこれが大事なことだとも、やはり画像の仕上げの肝はシャープネスにある、とも言われた。

ただ一つこの中で気になってしまったのは、全ては印刷されるべきデータは、という但し書きをつけてお伺いしなければ、また違う理解をしてしまいそうなことだ。確かに我々は紙媒体に印刷するべき元データを作るのをなりわいとしている。しかし、汎用データ、(というものが何をさすのかいまだ定かではないが)未来に向けて記録、保存するべきデータの有り様を思う時に、これらをうのみには出来ないと思う。…これは立場の違い、利用方法の違いに付いて考察している

サーバーの大移動 その5 最終章 handy monitor

 古い画像を開いていくと98年ころから、handy monitorというプロファイルが埋め込まれている。これはもちろん、Monacoを使い始めた頃のことで、自分で作ったモニタのプロファイルだ。それ以前のデータにはもちろんそんなものは存在していない。すこしほっとしたのはそれ以前のデータもAppleRGBとして開くと、それなりに見ることの出来るデータに仕上がっていたことだ。もちろん中にはナンジャこりゃ?というデータも存在する。特に色補正をかけた物たちがそうだ。色相・彩度の観念を理解する以前(いや、いまだって聞きかじっている程度なのだが)のデータを見ると穴があったら入くなる。
 ま、そこまで古いデータは致し方ないとして、問題は98年ころの私のhandy monitorというプロファイルが埋め込まれたデータだ。なんと、あたしはこのプロファイルを埋め込んでお客様にデータを渡していたのだ。(周囲のPhotoshop がv4かv5の時代だ!)気になってこのプロファイルを開いてみて、AppleRGBとほとんど相似形をしている事を確認して一安心。当時は「sRGBは印刷には使えない」といわれ……あたしも言ってた……ほとんどのオペレーターはAppleRGBかモニタRGBを使用していた。つまりプロファイルを破棄されても、AppleRGBで開かれていれば、大きな問題なかったということになる。考えてみれば当然でMonacoで、わたしが使用しているモニタを測色しているのだもの。AppleRGBとPhotoshop 4.0以前のモニタRGB(これはまさしく個人のモニタを参照したカラースペースだといえるがほとんどのモニタの特性が似通っているため、最終的にはAppleRGBに収束させても差し支えなかったのだろう)も私が作ったプロファイルもよくにていたために、結果論としては問題なかったのだろう。

 たしかにAppleRGBで開けば、当時の思い出とともに、確かこんな色だったよなあという状態で開いてくれた。(良かった良かった)でもこれってとんでもないエゴイスティックなデータの渡し方だ。(カラーマネージメントが正しく機能していれば、絶対だめ、ってわけでも無いだろうが、“受け渡されるプロファイルはパブリックなものであるべき”というプロファイルのあり方を考えると、やはりペケだとおもう。)これは私のモニタのある時期の状態(とんでもなくローカル)を他人に押し付けたことになる。(しかも継時変化を起こして色空間のデータに変化があってももプロファイルの名前は一緒)幸いモニタの状態がさほど悪くなかったことや、やはりAppleRGBが主流だったことに助けられた、あくまで偶然にこの結果になっっていたのだろうが、とんでもないことをやっていたものだ。

 そして1999年以降はAdobeRGBのタグが付き出すようになった。善かれと思っての結論だったのだが、当時は時期尚早だった気がする。当然デザイナーさんとは「色空間のすり合わせ」はもちろんしたのが、先方はそれを徹底することは出来なかったようだ。(当時の印刷上がりがそれを示している)しばらくして、社内は AdobeRGBだが、外にでるデータは最後にプロファイル変換を施し、AppleRGBで納品するようになった。悲しいことにその頃はPhotoshop のデフォルトがsRGBになり、またガンマ値の違いが問題になる。2001年ころから外に出すデータのデフォルトをsRGBに切り替えた。この時の問題はAdobeRGB to sRGB(AppleRGBでも同じだが)のプロファイル変換は最低限のマナーだと思うのだが、これとてデータにダメージを与えてしまうのは否めない。(AdobeRGB to AppleRGBのプロファイル変換時にグリーンとその周辺がねじれてしまう)しかし AdobeRGBをsRGBやAppleRGBとして開かれることを思えばこの程度のダメージは黙認するべき問題だったのではないだろうか? 当時はまだAdobeRGBは「パブリックなカラースペース」だとは言い難かったのだ。 

 Photoshop が6.0となり、各ドライバもプロファイルを理解するようになりカラーマネージメントが実用的なものになり出したのはつい最近のことだ。もう AdobeRGBだsRGBだと騒ぐ必要もないのだろう。ディスプレイがキャリブレーションされ、カラー設定が「元画像のプロファイルを参照」するように設定されていれば大元のプロファイルは何だっていいのだ。(プロファイルの重さを考えると AdobeRGBやsRGBの方が格段に軽いので実用的なのは事実)それでもまだ、カラースペース、カラーマネージメントの理解不足によるトラブルは後を絶たない。本来カラーマネージメントなどはバックグラウンドで働き、そのスイッチを入れたら、後はオペレーターが何も気にしなくてもよい、というものにならなくては意味がないと思うのだ。裏返せばグローバルスタンダードにならなくてはその存在意義が危うくなってしまうという…その基盤を確保してこそ、生きるシステムだと認識する今日この頃である。

 カラマネの第一義の目標は標準化であり、基準化で、いつでもどこでも、だれでも、一定のカラースペース基準値を参照して作業するということを目標としているわけで、実はほかに何も無いのだ。ところが、本来アドバンスなところにあるはずの、さらに高みに上るための個性化、個人的プロファイルの応用法という問題をつい同時に取り上げてしまうために混乱がおこっている。(よく会議で紛糾するほとんどはこういった原因が多い気がする。どちらも間違っていないのだが、立場、基盤としているところが食い違っているのだ)現状では自分がやってきたことも含めてカラーマネージメントを語る、あるいは実践する際に基本とする標準化とアドバンスであるべき、プロファイルの個性化が同時に顕現しているのが混乱の原因であるような気がする。こんな混乱はさっさと終わらせてしまいたいものだ。