今日は二年に一度の大型神田祭。しかも江戸遷都400年記念だそうだ。お天気も上々で午前中から寝ている訳にはいかない。そこで午前中は神田泉公園付近でお神輿を堪能して、秋葉原の牛丼でおなかを膨らまし、電塾に出かけた。
恒例の自己紹介は今回はプログラムも盛りだくさんであり皆さんの自己主張があまりにも多いためだろう、途中から早川塾長から異例の「今日は自己主張なしの自己紹介だけ」という制限がついてしまった。(もちろんほっておけば、時間はどんどんずれていくそうな状況だったのでこれは当然)次回は電塾の開始時間が1時間速められるのだろうか?
レポートで書ききれない、あるいは電塾を代表して言うにはあまりに個人的な意見ではあるがやはり私としてはくすぶらしては置けないので、ここで5月の電塾で感じたことを日記として書き記しておきたい。結果としては第一部のソースプロファイルの有効な活用、という部分に収束していくのだが、そこはレポートを参照していただくとして(レポートにしてはやたら詳しく書いておいたので)まず、第三部ではここまできたカメラ付き携帯電話の画像品質と題して山田久美男氏の講演が行われたが、ある意味メールも出来て、時計内蔵、目覚ましにもなり、ファックス代わりにもなり、カメラ、懐中電灯、住所録、カレンダー機能などを搭載し、GPS機能を持ち、将来的には非接触タイプのメモリーカードも埋め込まれた、PDAどころか、それがないと個人としても認識してもらえないような化け物に進化していく様子が目に浮かび、国民のコードネームはまさしく携帯番号で代用出来るな、とおもう。
あと足りないものはナイフにのこぎり、つめ切り、はさみ、ペンチ、ドライバー、虫眼鏡くらいだろうか?
本題に入ろう。実は今日は私は最新携帯電話も気になっていたのだが、郡司氏の講演をいちばん楽しみにしていたのだ。郡司氏はよく、プロファイルは○○もみそも一緒でLabも同じといわれる。なぜそうなのか私には理解し難かったのだが、今日になってやっとわかった。私はその上に付随しているCMYKで仕事をする時に、というフレーズを聞き逃していたのだ。
であればわかる。プロファイルやLabとして、同じ数値を出しても、CMYKの数値は違う場合があり、印刷機が安定しているのならまだしも、不安定な場合、各インキごとのドットゲインの差や、トラッピング、果ては刷り順などで、これがかなり違った色彩を再現してしまう可能性があるということに警鐘をならしているのだ。(このあたりはとても詳しくお話してくれた)RGB to Lab と Lab to CMYKはイコールではないのだ。RGBから思考を始めるカメラマンにとってはLabとはインデペンデントな頼れる存在なのだが、CMYKから考え始めると、バランスが違うのに、Lab上では同一の数字、同じ色彩と言われる不都合が起こるのだ。こんなところでやはり郡司氏は印刷畑からカラーマネージメントにたどり着いた方だな、と思ったりもした。立場が違うと見る場所がかなり違うのだな、と思う。(ご本人は決してそうは思っていらっしゃらなさそうだが)私達(少なくとも私)は画像を作る際、Labって結構頼りになる存在なのだ。(もちろんPhotoshop の内部エンジンはLabで稼働している。つまりプロファイル変換を駆動するエンジンにはさまざまあるとはいえプロファイルが参照するいまのところ唯一の“暫定”とはいえ、共有カラースペースなのだから。)
全てをここで新たにレポートする訳にはいかないが、もう一つの警鐘として、カメラマンがインプットプロファイルをつくるとやり過ぎる可能性があるという点に触れていた。しかしながら色彩を揃えることは必要あるとも認め、これはプロファイル運用ではなく、個別カスタマイズとでも呼ぶべきと提案されていた。たしかに、オーバーコレクションは私も賛成しない。というよりも大嫌いだ。
しかし、インプットプロファイルも確かにICCの基準にのっとってつくられた物なので私はプロファイルと呼んで構わないと考える。(最もこれにはこだわる訳ではないが)私見で恐縮だが、私はとらえ方として、カーマネージメントを理解した上で、アドバンス的に使用するべきものだと思っている。プロファイルとは万能の打ち出の小づちではけしてなく、使いようによってどうにでもなる、鉄人28号のリモコンみたいなものだ。使い方を知らなければ、恐ろしい結果を招くのだともおもう。郡司氏の意見は十分に理解出来るのだが、それを使用する立場が違うのかもしれない。インプットプロファイルの目指すところは個別カスタマイズである、という意見には大賛成。しかし、これはカラーマネージメントから独立してあるのではなく、標準化、基準化を求めるカラーマネージメント(つまりカラマネって単にスタートラインを揃えようとか、最低限の基準値はここだよ、ってあるエリアを指し示しているものだと考えるのだ)から、さらにアドバンスな所、個人技を思いきり披露出来るようなところ(だって商売は人よりよく見せることで仕事を得、高い値段を確保出来るものだもんね、これが無かったら、カメラマンはおしまいだよ)で使用するべき物だろうと思うのだ。値段がとても安く、質よりもスピード、といわれれば、カラマネで最低限のラインとして、65点は保証されたデータを作る。カット¥10000頂けるのなら、クライアントさんにううむ、なるほど、とうなずいてもらえる品質の絵を提供する。そのためにはカラマネだけではだめで、まさにそこに個人技もあったりする。でもこの“最低限ライン”は年々きっと上がっていくんだろうなと思ったりもする、今日この頃だ。共通のものは大事。[平均化]もある意味重要。しかし何でもかんでも平均化させてしまった結果は今の日本を見ればなんだこんなものか、と思う。(でしょ?)
その他に、全てを覚えている訳ではないが、印刷で出てもRGBではでない色は結構あること、 AdobeRGBまでは8ビットでハンドリングしても可、カメラマンにとっては印刷しやすいRGBデータを流通させるこれが大事なことだとも、やはり画像の仕上げの肝はシャープネスにある、とも言われた。
ただ一つこの中で気になってしまったのは、全ては印刷されるべきデータは、という但し書きをつけてお伺いしなければ、また違う理解をしてしまいそうなことだ。確かに我々は紙媒体に印刷するべき元データを作るのをなりわいとしている。しかし、汎用データ、(というものが何をさすのかいまだ定かではないが)未来に向けて記録、保存するべきデータの有り様を思う時に、これらをうのみには出来ないと思う。…これは立場の違い、利用方法の違いに付いて考察している