飲みすぎに注意!

 やはり起きれない。頭ががんがんし、食欲も無い。昨日飲み過ぎたようだ。特に最後の焼酎が2杯ほど多かったようだ。しかし今日は午後1時から代々木のレンタルスタジオで撮影が入っている。久田を拝み倒し、遅刻の許可をもらう。ダカラと麦茶を大量に飲んでひたすらアルコールの中和と排出に全力を挙げ、11時には何とか立ち上がることができるようになった。セットはすでに昨日作ってあったのでうんしょと担ぎ(食欲はまだ無いのでもちろん昼抜き)スタジオ入りをした。
 私の行いが良いのか、いきなり最初が揚物のバーガーでちょっと「うっ」とくる。もちろんクライアントには悟られないように美味しそうだと連発し、コロッケバーガーさんに「ハイ笑って~」「うん!その笑顔最高お!」と言って撮影する。3時くらいには完璧に体調も回復し、お腹が空き出したので、「このフランクフルトちょっと味見」といつもの銚子に戻ることが出来たので良かったが…。
 この日も単品メニュー12カットにイメージ2カットを撮影し、無事に撤収出来た。
 やはり撮影の前日の飲み過ぎには注意しましょう。

のんべの鹿野

 月曜日は毎週のようにセミナーがある。7月から始めた「新・優しい電塾」だ。今週は8月のセッションの最終回とあって、セミナー終了後皆さんと飲みに出かけた。
 カメラマン一人と製版オペレーター、そして私。セミナーはそんなに堅苦しくしてるわけではないが、高価な受講料を払ってくださっていることを考えると、おちゃらけている時間はもったいないので、勢いがっちりと四つに組んで行うことになる。そんな中では、自分の感想やおかしな事例などをお話しする事があまり出来ないが、セミナー終了後はさすがにリラックスしてお話が出来る。特に今回は製版系の方とカメラマンの組み合わせだったので、私が出る幕無く、お話が進むこともあり、興味深かった。何しろ製版オペレータとカメラマンが直にお話をする機会というものは、あまりないのだもの。カメラマンの方は茨城から毎回3時間をかけて受講しに来てくださった。頭が下がる思いだ。(しかもあたしと同じお年)

 9時にはお開きにしないと、自宅まで帰り着けないとのことで、早い時間に終了した。しかし、私の方が幸せな気分になり、ちょっと飲みたりなくなってしまい、なじみの「権兵衛」さんにちょっと寄り道。

 何だか再開した日記では鹿野は毎日のように朝まで飲みまくっているようだが、先週から今週にかけては特別だった事を言い訳させていただく。22日は何しろなじみの寿司屋の大将が体を壊したといっては出かけ朝までのみ、23日は東京のセミナーをおえて二次会、24日は京都は笠井さんにお会いして北野天満宮側のお茶屋、25日は台風に足止めされて、祇園、そして今日、29日はこんな具合だ。約一週間で5日間も朝まで飲んで、しかもセミナーを4回(あたしのセミナーは最近短くて4時間、長いと7時間になってしまう)朝からこなしている。こんな中で連載の原稿も書いているし、もちろん撮影も行っている。ホントに毎日これだけ飲んでいたら絶対に身が持たない。先週は特別です。さすがに今日はかなりからだが怠く、そろそろ体調をリセットさせないと…。

京都二日目


京都2

 一昨日の国際フォーラムでのセミナーに引き続き、本日のセミナーのお題は、基礎の基礎からカラーマネージメントを通り、デジタル撮影まで。最後にPhotoshop CS2のデモとてんこ盛り。朝10時から、夕方5時までの(もちろん昼食はいただくが)拷問的なセミナーだ。お相手は、印刷会社のオペレーター、営業さん。やるほうも結構大変だが、聞いているほうも机にかじりつきで、結構つらかったと思う。
 セミナーが終了し、反省会?と言うのか二次会でまた盛り上がってしまい、気がつくと18時58分の新幹線を乗り過ごしてしまった。(実はこれがむちゃくちゃラッキーだったのだ)
 19:00の便以降が台風の影響でみな運休となったのだ。当然、これに間に合って乗車していたら、「列車ホテル」という名の冷房も効かない新幹線の(ほとんど横にもなれない)監獄に朝まで閉じこめられるところだったのだ。
 この時点では、運航再開のめどは立っておらず、いつ新幹線が動くともしれない状況だったので、あたしはさっさとあきらめて、蓑内氏にSOSを打診。すぐにウエスティン都ホテル京都(都ホテル)を確保してくれ、金城君と私との三人で、今度は祗園のディープな世界にナイトダイビングと相成った。
 なんとそこは、ちょうど昨日の昼間にロケをしていた場所で、昨日はすだれの奥はどんなんかなあ、とおもっていたまさしくその場所に今日は座っている。
 この日も二時過ぎまで飲み続け、よくぞこんなけ飲めるものだなあと我ながらに感心する。(実はこのところ3連チャンでセミナー×深夜までの飲み、ということを繰返しているのだ)。
 都ホテルは20年ぶりくらいで、改装後は初めての宿泊だったが、相変わらず快適なホテルだ。新幹線の駅からちょいと遠いのが玉にキズだが…。おかげさまで、朝9時までぐっすりと眠ることができ、逆にリフレッシュすることができた。

 昨日のチケットは、通常は翌日はのり遅れた場合の自由席券として使えないのだそうだが、当然その後の列車は運休していたので、本日の指定席券に振り替えてもらうことができた。
 

京都第一夜


京都にいた。

 学校アルバム組合のセミナーの集合時刻が9時と早いため、前泊となり、せっかくだから直近に仕入れたシグマ10~20mmの性能テストを京都のお寺さんで行おうと、Nikon D2X をもってきた。夕方あこがれの笠井さんと一緒に食事をする約束をしていたのだが、笠井氏、横島氏が京都駅まで迎えてくれ、そのまま、ロケ場所に案内してくれた。私ごときにありがたいことだ。
 笠井氏も、テストをする機材があると言うことで、一緒に撮影。私が10~20mmの超広角機のテストなら、笠井氏は250mmや360mmの超望遠レンズをあおって撮ると言う、全く性格が異なる撮影だったので、いったんお別れし、私は山門等を横島さんとニコンの12~24mm とシグマの12~24mm等とレンズを付け替えて撮影。また合流し、祗園の町並みを撮影して、氏のオフィスにお邪魔する。CRTとLCD 合わせて3台のAdobeRGBを再現可能なディスプレイが並べられた机に呆気にとられ、膨大なカメラのストックに感嘆した。残念ながら最後まで心を許してくれなかった(けれどもずっと75cmの距離に寝ころんでいた)大吉君にお別れをし、上七軒という歌舞練場に併設されたビアガーデンに向かった。奥様もご一緒で、今日アシスタントを付き合ってくれた金城君、横島さんのお友達であり、大阪でスタジオを経営している中村さん、そして明日のセミナーの主催者である、蓑内印刷の蓑内さんという総勢七人の宴会が始まった。

 ここはビアガーデンと言っても元々が置屋さんで、浴衣姿の舞子さん、芸子さんがビールを注いでくれると言うありがたいお店。地元の笠井氏、蓑内氏は今回初対面だったのだが、いきなり意気投合し、(おまけにお二人とも芸子さんたちを良く知っていてお久しぶりだのしばらくだの言っており、うらやましい限りだ。私などは直接芸子さんとお話するのは初めてなので、すっかり緊張して、柄にも無くかしこまってしまっている。)
 宴会は深夜に及び、千代菊姉さんと言う皆さんのお知り合いの芸子さんのお店に場所を移し、これであたしもとうとう京都に一見さんでは無く、訪れることができるお店ができたわけだ。

セミナー

 月曜日はハンディで行っているレギェラーのセミナー4時間、火曜日は印刷会社のオペレーターさん向けのセミナーで、これが10時から5時まで、しゃべりっぱなし。今日は新幹線にのって京都に向かい、ウナギ弁当を食って(早々、最近また東京駅のウナギ弁当が復活したのだ)明日のセミナーに備える。

 せっかく京都に行くのだから、笠井さんにお会いしようとアポを取ると、運良くスケジュールは空いているとのこと。ゆっくりお会いするのは何年ぶりのことだろう?

 最近はまっている、超広角ズームレンズの収差(色収差もそうだが、いわゆる「ゆがみ」というヤツ)のチェックをするために、京都のお寺さんをいくつか回ろうと思い、早めに京都に着くように新幹線の切符を取ったところ、笠井さんが車で案内してくれると言う!お会いできるだけでもうれしいのに、ありがたいことだ。

50歳の心構え?

 新・デジタルフォト講座がやっと発行され、新・優しい電塾も何とかスタートすることができた。これで、この6ヶ月間のどたばたはようやく収まったことになる。そこでこれからは心を入れ替えて(何度心を入れ替えたことか)また日記をこつこつ書いていこうかと思う。ちなみにお仲間のフロスと警部が退官されたので、寂しくなっていたが、今回新しいお仲間を迎えることになったので、それもきっと励みになってくれると思う。

 私はとうとう50歳になる。実は早生まれなので、私自身はまだ49歳なのだが、まわりのクラスメィトは皆軒並み50歳で、小中学校、高校で東京同窓会やら地元八戸の同窓会やらで、今年はすでに3回の同窓会をこなしており、9月には大学時代の同窓会も予定されている。今、こんな年になって見て考えることは、60歳で定年なんてとんでもない。昔はいざ知らず、いまでは70歳位までは現役じゃないと、って感じてしまう。ここまで来ると、また誕生日はお祝い気分となってきたのがまた不思議だ。これを開き直りと言うのだろうか? 私たちの師である早川塾長は赤いちゃんちゃんこをまとうべきお年になられたが(おめでとうございます!!)そう簡単に引退はさせない。引退は70になってから…。

 そういえば電塾に参加し出したのが私が40歳のころだから、デジタルフォトに手を染めて、10年が経過したことになる。ものすごく早いような、つい先だってのような気もする。この10年間、初めてパーソナルコンピュータに触り、マウスをもち、フィルムではなく、CCDに露光し、イルミネーターとルーペを捨て、ディスプレイで仕上がりを確認し、デジタルプリンタを導入し、カラープリントを自家処理にしてきた。初期投資が、当初軽く一千万円を越していたものが、今では200万円もあれば可能になってしまった。(むちゃを言えば、10万円のデジカメを買って、それでデジタル開始と言う事も…)投資価格はこの10年間で1/5以下に下がったと言えるだろう。しかし、値段が下がるとともに、基礎的な部分に対する投資をおろそかにする風潮が多く見受けられるようになってきたような気がする。ディスプレイや、キャリブレーター、ビデオボード、そして観察環境などだ。これはデジタルカメラ以前の問題で、ここを作らずにはどんなに高価な機械を購入しても役に立たないこともあれば、50万円程度のデジカメでも、充分に仕事をこなせることもあるのだ。
 
 それ以外にも、写真を撮影する上の露出やホワイトバランスの問題。チャンとやっていれば、今のデジタルカメラは、きちんと記録してくれるのに、そこをおろそかにするから、後処理も大変になるのだもの。