今日はグルメ日記プラスサムシング

 今日は新潟のお友達から頂いたお酒を飲んでいる。高値錦というお米で醸造した想天坊というお酒。とにかく封を切った途端の福々しい香りが部屋中に広がったことに驚いた。さらに一口含むと実に複雑、芳醇な味わいがする。通常あたしは何か食いながら酒を飲むのだが、そのつまみの必要性を感じないほどに味わい深い。加藤さんに感謝。単体で味わいが深いのでプラスアルファの必要性を感じないのだろう。
 このプラスアルファ…プラスαという言葉は良く使われる。私も、常用句のように使っているが、これは以外と知られていないようだが、日本でしか通じないのだそうだ。これも気まぐれ博物誌で読んだのだが、英語が日本に入ってきた当時に、字の下手な外人が書いた「X」の文字を見誤ったもの、野球のスコアボードの最後の「ばってんゲーム」のXをαと勘違いしたというような記録があるらしい。
 数学の世界ではサムシングをプラスするという式で+Xというように使われているので本来の意味通りであればプラスサムシング、あるいはプラスエックスといわなくては通じないようだ。というわけですでに和製英語になっているのだから使っちゃいけないというわけではないが、英語圏の片方とお話しするときは「プラスアルファ」は通じないので要注意だ。
 ちょっと調べてみると「プラスアルファ」という言葉を社名や商品名に使用している例が多く見つかった。すでに完全に市民権を得ているようだ。
 でもあたしはこれからは使わないようにしようっと。

右腕のしびれ

右腕のしびれ
ここ2週間くらい、ずっと右腕がしびれている。その原因になかなか思いつかなかったのだが、枕が原因ではないかと思うようになった。実は2週間くらい前に、“ぺこ”(久しぶりに出てきました、あたしのうちにただ一匹生き残っている臆病ねこ)があたしの枕に嘔吐し、乾かしてもそのにおいがとれないので、仕方なくその辺にある「枕のようなもの」を代理で使っていたのだ。
 (この「~のようなもの」という表現、いつもニュースで「バールのようなもの」で窓や金庫をこじ開け、「鋭い刃物のようなもの」あるいは「拳銃のようなもの」で人を脅す。なんといっても「バールのようなもの」という表現は今でも使われる。これはバールに近いものらしいのだが、バールと特定できていない場合に使われる言葉のようだ。その意味で、今回使用した「枕のようなもの」とは、本来枕ではないのだが、「枕に見立てて使用できそうなクッション」という事になる。何ね碁といってるんだか…)
 早速枕を購入する事にしたのだが、調べてみると、テンピュールを始め、ロフテー、セラピューティカ、マニフレックス、と百花繚乱状態。先日北海道に行ったときにANAのカタログにセラピューティかが持っていたのでこれにしてみようと思った。ところが枕は実際に寝てみないと分からないのだそうで、これが置いてあり、試してみる事ができるお店が都内で見つける事ができなかった。ハンズ、ロフト、ビッグカメラ、キンカ堂、西武百貨店(つまり池袋で探したんだけど)全てで無しだった。仕方なくいつもの御徒町多慶屋に行くとここにも無かったが、テンピュールの製品におなじような構造のものがアある事に気がついた。しかもここちゃんとベッドが置いてあり、試す事ができる。数種類の枕を試し、「ミレニアムネックピロー」というヤツを買う事にした。
 普通は仰向けに寝ており、その際は実はほとんど頭を高くする必要は無いのだそうだ。ちょっと首筋を支えてあげればいいだけ。でも寝返りを打ち、横向きに寝るときは、肩の高さ分、頭を持ち上げてあげなくてはいけないのだ。(という事は「枕を高くして寝る」という状態は横向き寝なのだろうなあ)
 これを実現してくれるのがセラピューティカだったのだが、写真を見る限り、これは結構ごつく、現物をみる事ができなかったので、テンピュールそれに近い形のものを選択した。横向きの時は割となじんでいるのだけれども、結構仰向けの時に首が押されて寝苦しいという事に気がついた。当然この手の商品はお取り換えがきかないので、我慢しなければならないのかなあ、と思っていたが、簡単な事に気がついた。削ればいいんだ。なにも購入した状態のまま使用する必要はない。どうせ返品交換はできないんだし。
 という事で一昨日から、少しづつ削り出し、寝やすいように調整を始めた。最も怖いのはこのカットアンドトライ、いったん行き過ぎると、また新品を買わなくてはいけなくなる点だ。そこで一晩寝てから次のカットを考える事にした。まだ気に入った厚さになっていないが、さてどうなる事やら?
  そうそう、枕に夢中になっているけれど、右腕のしびれはまだ直っていない。

またしてもテレビジョン

 私たち(と十羽ひとからげに行ってしまっていいのかどうか分かんないけど)はテレビが普及する頃に物心がつき出した。塾長などは小学校か中学校のころにブラウン管テレビを自作していたそうだが、その頃のあたしは5級スーパーか、アマチュア無線のトランシーバー(当時流行っていた144MHz帯の持ち運べるヤツ)程度だったけれども。
 そのテレビという文化…文明はここに来て地上波デジタル時代を迎えようとしているが、それはあっという間にインターネットに飲み込まれるだろう。有線のインフラ整備が難しかった時代に比べ、今更無線に縛られる事が無くなってしまったのだもの。一つの文明の利器の始まりと終焉を見届ける事になったわけだ。
 そのテレビというデバイスを支え続けてきたブラウン管も今年の1月ににそのメインストリームをLCDに受け渡し、ついに高度成長期から燃やし続けてきた旭硝子のブラウン管用の窯の火は消され、国内生産を終了したそうだ。今後ブラウン管はレガシーとして存続するだけになってしまうのだろう。
 テレビジョンというシステムの終焉(あくまで予想だけれども)とブラウン管の終焉とが重なったのは単なる偶然の一致では無いような気がする。今まで進化してきたデバイスのほとんどがその役割を終り、次なるデバイスにトップの座を明け渡すタイミングなのではないだろうか?紙テープにパンチ穴を開けた記録方式が磁気に変わり、その支持体がプラスチックからガラスに、ハードディスクに変わり、ついにシリコンメディアが台頭しようといしてきている。
 私たちはやみくもにデジタルフォトに取り組んできたけれども、ここに来てイメージセンサーの新しい形が見えてきて、一気にこれまでの技術を「レガシー」として扱われ始めたような気がする。
 まさか自分の一生の中でこれだけの変化を見届ける事になろうとは思ってもいなかった。しかし問題はソフトウエアであり、コンテンツだ。技術の進化はすでに人間個人が思いをはせる限界点をはるかに追い越してしまっているが、それに乗せるべきものはいまだに「人の想像力」よりも先に進んではいない。

ニュータイプのイメージセンサー

富士写真フィルムが新型のイメージセンサーの開発にめどが付いたという記事が出ていた。理屈はCCD、あるいはCMOSセンサーともフォビオンとも違い(ややフォビオンににているか?基本はフィルムに準じているようだ。光を分光する方法論を点から面の積層「有機材料だという)に発展させた方式だと考えられる。この方法論で光量の減少無く、記録できるとしたら、解像度は飛躍的に倍増し、ノイズも減るはず。多層化により、フィルムのような立体感のシミュレーションもできるようになるだろう。新聞記事からはその仕組みは完璧には予測できないが、久しぶりにイメージセンサーのブレイクスルーが発現する予感がある。期待したい。

風と共に去りぬ

朝7時48分発の「とき」にのって新潟に向う。博進堂さんのセミナーに「ちょっとだけ」参加するためだ。実際は20分のセミナーだが、電車の往復が約4.5時間。何か複雑な気がする。いつもは夜までお邪魔するのだが、今日は帰らないとできない仕事がある。

新幹線の中でベティデイビスの「イブのすべて」を見る。このところ「旧作名画」に凝っている。だってDVDが450円なのだもの。これってロケットが無くなってしまった後遺症だろうか?。

実はあたしは今回初めて風と共に去りぬと嵐が丘を見た。小学生のころ、この二作をみたいと言ったら、お兄ちゃん(あたしの兄弟は一番近いお兄ちゃんでも6歳年上で、あたしはいつも弟言うよりも子供扱いだった)がつれて行ってくれたのは一度は大魔神。もう一度はガメラだった。理由はあたしは見ても分かんないから。ほんとはお兄ちゃんが見たかったのでは??。もう昔の事でよく分かんないけど、帰りのバスの中で気分が悪くなって吐いてしまった記憶がある。もちろんその頃は酒は飲んでいない。

それがトラウマになったのか、この大作にはなぜかずっと近寄れなかったのだ。そういえば、アラビアのロレンスとサウンドオブミュージック、メアリーポピンズは劇場まで連れて行ってもらったなあ。もちろん、皆この時代はすでにリバイバルだったけど。

そんなわけで、このところ、パリのアメリカ人、アラバマ物語、カサブランカと名作づいている

変貌する秋葉原

個人的に秋葉原が大変な事になっている。ロケットという今ではかなりマイナーになってしまった家電デパートがついに撤退したのだ。以前はマッサージチェアのコーナーがあり、あまり客がいなかったのであたしは幸せだったのだが、ヨドバシカメラの開店に合わせてこのコーナーは無くなってしまった。でも古いビデオ(これは200円)や単行本を100円均一で売っていたので(秋葉原には古本屋が無いのだ)結構重宝していたのだ。ちょっと買いたい電池や蛍光灯、電球のたぐいは自宅と会社の行き帰りに購入できたし…。これでますますヨドバシカメラに行かなくてはならなくなってしまった。

もう一つ、行きつけの床屋がお店を閉めてしまった。何も指示をしなくてもあたしのあの「ちょっと廂のついた坊主頭」を刈り込んでくれていた。新しい床屋を開拓し、また同じようなリクエストをしばらく続けなくてはいけないのだ。

気にいっているお店が自分の生活圏内から無くなるのはものすごく不便な事だ。

セミナーの無い月曜日

本来はセミナーを行う日だが、今日は受講生がお休みなので、あたしも自分の仕事ができる。
電塾の阿部氏特性の新型ピクセルチャート(実は札幌でお会いした時に、ちゃっかり譲ってもらっておいたのだが、ずっと手を付ける事ができないでいた)を使用してNikon D2X とNikon D200をテストしてみた。レンズは35mm。このくらいが最もテストしやすい焦点距離だ。結果だけいえばNikon D2Xがやや解像力で上回っている。イメージセンサーのピクセルピッチの細かさの分だと言えるだろう。しゃにむに解像しようとするNikon D2X と1ピクセル以下の形は早めにあきらめてモアレをださない方向に走るNikon D200という図式が当てはまるかもしれない。
 こうなると好みの差ともいえるが、適度なところで解像する事をあきらめ、グレイッシュな表現になるNikon D200の処理はあたしの好みと言える。
 ついでに新しいレンズの特性(特に収差を見るための物)チャートも作ったので、それも同時にテスト。今回は開放からテストしてみたらちょっとびっくりした。このレンズ、巷のBBSでは周辺光量落ちがとやかく騒がれているので解放側でそれを確認しようと思ったのだが、そいつはやはりたいした問題じゃなかった。それよりも開放、広角側の周辺“ぼけ”というか解像できていない部分が結構あるのようで、35mm~70mmあたりで集合写真を撮影するならF11までは絞っておいたほうがよさそうだ。18mmや100mm以上の望遠側では問題はなさそうなのだが。最もこれはあたしのレンズだけの特徴かもしれないので、まだ正式にレポートできるところまできてはいない。今週は時間がとれるはずなので、もう少し細かく検証した後に追加レポートを書きたい。

今年も9億5千万キロメートルの宇宙旅行をごいっしょいたしましょう

今年も9億5千万キロメートルの宇宙旅行をごいっしょいたしましょう。

 これはSF作家の星新一が1970年ころに出した年賀状の内容だ。昨日久しぶりに引っ張り出し、ついそのまま読んでしまった「気まぐれ博物誌」の書出しだ。このせりふ、なかなかいいですしょう?。ぜひ来年の年賀状に盗作させていただきたいものだとおもう。
 9億5千万キロメートルとは地球が太陽の周りを回る軌道の距離。その速度は秒速29万7千キロメートルでマッハに直すと約93。音速の93倍なのだそうだ。とてつもない速度の乗り物だが、そう簡単にはトラブルは起こらない。宇宙に散らばるごみ類もほとんどは大気圏内で燃え尽きるし、有害な太陽光がまき散らす宇宙線はバンアレン帯が防いでくれる。しかもすでに約45億年間無事故無違反の実績を持つ。問題はそこに乗っている乗客、つまり人間たちだ。

 これも昨日の続き。実はやはりテレビで日本が誇るスーパーコンピュータ、(横浜にあるんだってね)地球シミュレータを使用した異常気象のシミュレーションを見ていた。そう遠くない将来、真夏日は1年間で100日に及び、カトリーナ級の台風が吹き荒れるのだそうだ。当然海面は上昇しているから、東京などはひとたまりも無い。
 地球の軌道と太陽の継時変化との関係もあるのだろうが、それだけではあるまい。窒素、二酸化炭素の増加率、が大きな誘因だと言う。化石燃料系の問題がよく取り上げられるが、未だに電気は化石燃料系、あるいは水力発電(これは日本特有の現象らしいが)と言う大きな自然破壊を伴って作られている事実に変わりはない。本当の意味での環境破壊は電気エネルギーがその生成からクリーンにならないと意味がなさそうだ。
 デジタルもただアナログから移行したのだから環境に優しいとは言いがたい。

 地球が大きな変化を加速的させているのは人間が(その気は無くとも)積極的に地球環境を変化、変質させているからだという。自分で自分の乗り物を壊して行くばかが、何処にいるだろうか?最も、それが目に見える範囲であれば、だれしも行わないのだろうが、それが人間にとってはあまりに大きすぎ、また無知であるから気がつかないのだろう。何だかだんだんと写真を撮っている場合では無いような気がしてきた。

今日も仕事はせずに、体を休める事にしたのだが、その分、変なことに気を取られてしまった。

午後出社するもあえなく撃沈

 もちろん二日酔いと頭痛で朝起きる事ができない。“久田”は昨日は会社で徹夜をしているというのに…。あまりに申し訳なく、無理をして午後から出社するもあえなく撃沈してしまい、何もせずに自宅にすごすごと帰ってきた。あたしにしては何ものどを通らないので、食事も抜いてひたすら水分だけを補給しつつ、布団にくるまり、血中アルコール濃度が薄まるのを待つ。
 夕方5時過ぎにやっとお粥を食べる気力が出てきてやっと起き出す。久しぶりにTVを見た。
トリノオリンピックでは日本勢はメダルを一個もとれていないのだそうだ。あたしはミッシェル・クアンが出場しなくなった時点ですっかり興味を失っていたのだが…。あたし個人的にはどんなにすごい4回転ジャンプもトールマンスピンよりもクアンのスパイラルの方に心がとろけてしまうのだもの。
 最もお話はテレビの事。今更久しぶりに見たから、というわけでも無いだろうが、あまりに情けない番組が多い。北海道電塾のオープニングで「デジタル社会におけるTVメディア」という臼井さんのセミナーを聞いてしまったためかも知れない。
 テレビを見ながら、その臼井さんのセミナーともう35年前に読んだエッセイを思い出していた。ここからは星新一の気まぐれ博物誌からの要約。

1909年。ほとんど一世紀前の事。新天地にあこがれてニューヨークにルクセンブルグから移住してきた25歳の電気技術者がいた。彼は電気のお店を開店し、「モダンエレクトロニクス」というラジオ愛好者の雑誌を出していた。当時は試験電波が発信されたばかりで、まだ番組の観念さえも無い時代。でも彼は未来は電波の中にあると考えていたのだ。そんな時代に彼は素晴らしい仕掛けを夢想していた。人々の生活水準、教養を高め、科学的な思想を背景に無知や誤解を一掃し、社会から無用の争いが消えて行くもの。家庭でいながらにして何でも見聞できるもの、一家そろって国立劇場のオペラを見、翌日には大学講座を見ることができる。英国のシェイクスピアも観賞できるし、世界中のニュースを見る事もできる。当時ドイツで行われた写真電送の実験などを紹介し、彼はその未来図を力説した。もうすでにお分かりですね。それが「テレビジョン」であると。彼の名はガーンズバック。後にSFの父と呼ばれるようになった人物であり、テレビジョンというその観念が公開され、テレビジョンという言葉がアメリカで始めて活字になったときだ。その17年後にテレビ第一号がイギリスで公開実験され、その後のテレビメディアという物がどのように発達してきたのかは皆さんもご存知の通り。

 果たしてガーンズバックが夢見た未来は実現したのだろうか?
 電波は確かにその夢を現実にしたが、それに乗っている「情報」は数人のお笑いタレントと数人のチョットだけ魅力的だがおばかな女性で、30分から1時間を占有する。ひょっとしたらコマーシャルの方がはるかに有益な情報を乗っけているかもしれない。
 そして無線は逆に有線の世界に飲み込み返されようとしている。インターネットは無線、有線の枠を超えて、世界をつないでいる。
 あたしも小学校の時に家庭にテレビと言う物が家庭に入り、ペルシャ絨毯、緞通のような前垂れをかけられたそれを見て、わくわくした物だった。当時は7時は絶対にNHKのニュースを見なければならず、それ以外は大相撲だったと記憶する。三ばか大将、隠密剣士などはもちろんの事、七色仮面やナショナルキッド(これってスポンサーの冠ネームだよね)、遊星少年ソラン、エイトマン(これはまるみやのふりかけ)、スーパージェッター何かも見ていた。小学校に上がると、シャボン玉ホリデーを心待ちにし、最初のお風呂の生コマーシャルと、最後のスターダストの演奏に聞きほれていた。これがあたしのJazzの始まり。娯楽のすべてを否定するわけではないが、願わくばその情報伝達力が「娯楽」のみにならないように心から祈りたい。
 二日酔いの頭を抱えつつ、鬼平犯科帳を見て、そのすき間の番組を見ながら、こんな思いが頭の中をぐるぐる回っている。たまに仕事をしない日はろくな事を考えない。

遮光カーテン

午前中に中野サンプラザでちょっとセミナーに参加し、遮光カーテンを買ってスタジオに帰るつもりが結構時間がかかってしまった。最初に家の家具などをいつも買っている、有名な御徒町「たけや」に行き、簡単に買うつもりでいたのだが、窓が大き過ぎて、既製品では存在していない事が分かった。家のスタジオの場合、高さで220cm、幅で合計660cmが必要だ。問題はこれを何枚で作るか、という事だが、結果的に3枚で構成したくらいが最も使いやすかろうという事でこれに決定。しかし、内側がグレーの(それも明るめの)遮光カーテンってほとんど存在しないという事がわかった。
 東急ハンズに移動してみると、そこそこのものは見つかったが、かなり高価だ。池袋キンカ堂、中野トーア、と遍歴し、ふと気がついた。ずっと以前毎日のようにカーテンを撮影していた事がある。鎌田のユザワヤだ。今は確か吉祥寺にもあったはず、と早速行ってみると、やっと思い道理の値段でそこそこのものを見つける事ができた。模様のあるものでも、裏がグレーの場合もあるので逆に縫製してもらえればそれもなかなかよさそうだ。
 でも、これって銀一さんやなんかで扱ってくれないかしら。スタジオに使える黒くない明るめのグレーの遮光カーテンを探して苦労している方は多いのではないだろうか?
 あたしの場合、合計220×600cmで約36000円だった。
その後、セミナーの打ち上げに参加し、つい朝まで飲んでしまった。明日は起きれるだろうか?