もちろん二日酔いと頭痛で朝起きる事ができない。“久田”は昨日は会社で徹夜をしているというのに…。あまりに申し訳なく、無理をして午後から出社するもあえなく撃沈してしまい、何もせずに自宅にすごすごと帰ってきた。あたしにしては何ものどを通らないので、食事も抜いてひたすら水分だけを補給しつつ、布団にくるまり、血中アルコール濃度が薄まるのを待つ。
夕方5時過ぎにやっとお粥を食べる気力が出てきてやっと起き出す。久しぶりにTVを見た。
トリノオリンピックでは日本勢はメダルを一個もとれていないのだそうだ。あたしはミッシェル・クアンが出場しなくなった時点ですっかり興味を失っていたのだが…。あたし個人的にはどんなにすごい4回転ジャンプもトールマンスピンよりもクアンのスパイラルの方に心がとろけてしまうのだもの。
最もお話はテレビの事。今更久しぶりに見たから、というわけでも無いだろうが、あまりに情けない番組が多い。北海道電塾のオープニングで「デジタル社会におけるTVメディア」という臼井さんのセミナーを聞いてしまったためかも知れない。
テレビを見ながら、その臼井さんのセミナーともう35年前に読んだエッセイを思い出していた。ここからは星新一の気まぐれ博物誌からの要約。
1909年。ほとんど一世紀前の事。新天地にあこがれてニューヨークにルクセンブルグから移住してきた25歳の電気技術者がいた。彼は電気のお店を開店し、「モダンエレクトロニクス」というラジオ愛好者の雑誌を出していた。当時は試験電波が発信されたばかりで、まだ番組の観念さえも無い時代。でも彼は未来は電波の中にあると考えていたのだ。そんな時代に彼は素晴らしい仕掛けを夢想していた。人々の生活水準、教養を高め、科学的な思想を背景に無知や誤解を一掃し、社会から無用の争いが消えて行くもの。家庭でいながらにして何でも見聞できるもの、一家そろって国立劇場のオペラを見、翌日には大学講座を見ることができる。英国のシェイクスピアも観賞できるし、世界中のニュースを見る事もできる。当時ドイツで行われた写真電送の実験などを紹介し、彼はその未来図を力説した。もうすでにお分かりですね。それが「テレビジョン」であると。彼の名はガーンズバック。後にSFの父と呼ばれるようになった人物であり、テレビジョンというその観念が公開され、テレビジョンという言葉がアメリカで始めて活字になったときだ。その17年後にテレビ第一号がイギリスで公開実験され、その後のテレビメディアという物がどのように発達してきたのかは皆さんもご存知の通り。
果たしてガーンズバックが夢見た未来は実現したのだろうか?
電波は確かにその夢を現実にしたが、それに乗っている「情報」は数人のお笑いタレントと数人のチョットだけ魅力的だがおばかな女性で、30分から1時間を占有する。ひょっとしたらコマーシャルの方がはるかに有益な情報を乗っけているかもしれない。
そして無線は逆に有線の世界に飲み込み返されようとしている。インターネットは無線、有線の枠を超えて、世界をつないでいる。
あたしも小学校の時に家庭にテレビと言う物が家庭に入り、ペルシャ絨毯、緞通のような前垂れをかけられたそれを見て、わくわくした物だった。当時は7時は絶対にNHKのニュースを見なければならず、それ以外は大相撲だったと記憶する。三ばか大将、隠密剣士などはもちろんの事、七色仮面やナショナルキッド(これってスポンサーの冠ネームだよね)、遊星少年ソラン、エイトマン(これはまるみやのふりかけ)、スーパージェッター何かも見ていた。小学校に上がると、シャボン玉ホリデーを心待ちにし、最初のお風呂の生コマーシャルと、最後のスターダストの演奏に聞きほれていた。これがあたしのJazzの始まり。娯楽のすべてを否定するわけではないが、願わくばその情報伝達力が「娯楽」のみにならないように心から祈りたい。
二日酔いの頭を抱えつつ、鬼平犯科帳を見て、そのすき間の番組を見ながら、こんな思いが頭の中をぐるぐる回っている。たまに仕事をしない日はろくな事を考えない。