最初に買ったMACはパフォーマ5210。500Mバイトのハードディスク、PowerPC75MHz!メモリーは不確かだがけれども確か最大32MBだか64MBも積めたと思う。このマシンでシステムクラッシュを死ぬほど経験し、コンピューターアレルギーと闘ったものだ。じつは私は元本アマチチュア無線をやったり、ラジオの製作を毎月購入したりするいっぱしの電機オタクだったのだが、トランシーバーを自作する時についICに手を出してしまい、そのままLSI(断っておくが麻薬ではない)を採用してしまったのだ。5極管は判る。だがICは理解に苦しみ(アンプリファイア自体が一つのパッケージになっているのだもの)LSIにいたり私の思考能力はパンクし、理解から完全に外れてしまったのだ。それ以来、音楽やったり(もちろんウッドベースを片手にフォークソングからジャズに行くあのお定まりのコース)絵を描いたり(東京芸大に4回落ちて仕方なく武蔵野美術大学に行くというこれもおさだまりのコース)してそれらを封印してしまったのだ。まさか40近くなってからそんなコンピュータなんて?! 私の知っているコンピュータは未来をつかさどる巨大で複雑怪奇で近寄り難いものだったのだ。(その割に大学ではチョムスキーを研究したりしてたけど)
とにもかくにもパフォーマで少々の自信をつけ?、本格的にPowerMAC 9500 120MHzを導入することにしたのだった。フルメモリー(とは言え、当時は16MBを12枚という構成でそれでもメモリーで100万円はしたはず)搭載しPhotoshop の必需品サンダーパワーを(このビデオボードが40万位したはず、このビデオボードは最終的に3枚うちにある)搭載し、後にPowerPCG3/266に換装され、最終的に300万を軽く越す金額を湯水のように投入したマシンだった。3年後くらいには64MBを16枚、増設したっけ。この頃は64MBのメモリーも1枚3万位だったと思う。
古くからコンピュータをいじっている人間はこのての昔話が好きだ。私も例外ではないのだが、かなり言い古されたお話ではある。なぜ今更こんな話をしているのかというと、この10月からリサイクル法が改正され、適当に捨てられなくなり、ついにあわてて、粗大ごみとして捨てることになったのだ。確かモニターが50万位していた。(これはもちろんもう発色もむちゃくちゃになっていた)また、かなりムズガルようになってしまい、なだめるのに一苦労するようになり、二回に一回は起動しなくなってしまったのだ。その頃に買ったスキャナーやプリンタはすでにこの世のものではない。初期投資の300万ほどのマシンが、と言うか、金額的なものよりこの7年間、一緒に苦労し、徹夜をし、戦い、働き続けたマシンを一個800円で粗大ごみにしてしまう私。それにしかならないマシン。物欲の強い私としては(愛着も強いのだ)とても悲しかった。スペースの関係でもう置いておけないのだもの。
そういえば“おかく”もこのモニタとマシンの上で良く幸せそうに寝ていたっけ。
この日記は先月書いていたのだけれども携帯電話の画像をとり出せなくて、今月にはってしまいました。やっとミニSDカードのカードリーダーを買ったのです。ソフマップで1980円。