お通夜

足の痛みはやっと和らいできた。もう普通に歩ける。何とか建築の撮影の塊(一気に二口も入ってしまったので)もこなす事が出来たと思ったら、私の空手の先生、…空手を習ったわけではなく、高校から大学にかけての人生でいろいろお世話になったかたが、空手と整体の先生だった、という意味なのだが…が急になくなった。打ち合わせを午前中に変更してもらい青森へ。

作曲家の嵯峨、化学者の阿部、カメラマンの私は高校から大学にかけて、いつも一緒の仲間だった。三人とも、サハラ、というジャズ喫茶に入り浸り、そこのマスターがかの恩人、太田氏だった。いつの間にかカウンターに入るようになり、シェーカーを振るようになり、そこで大人になっていったように記憶している。

10年ぶりになるのだろうか、久々に雁首をそろえた私達は通夜の後、朝4時近くまで飲み続けた。思いでは止めどなく、お互いの近況を離し合うだけでも時間はどんどん過ぎていく。私はホテルで1時間も寝ないままいちばんの新幹線で東京に向かう。10時に約束があったのだ。

新幹線の座席で3時間身動きもせずに爆睡していたが、その所為か腰が痛い。結構狭いマンションの撮影を行い、夕方までに完了させたのだが帰ってから、後ろを振り向く事も出来なくなってしまった。夜には横なっていてもつらく、ろくに眠れない。

また、中野の中国式治療院…整体、針、カッピングなどをしてくれる…のお世話になる羽目になってしまった。おかげさまで今日はやっと歩けるようになる。通常の方法ではもうダメージから回復できない体になってしまったのだと痛感する。

マスター。彼は私に写真を教えてくれた。最後は FUJIFILM Fine Pix S2 Pro を使っていたという。でたばかりのデジカメ実践ガイドブックを手向けてきた。合掌。