お仕事

ま、写真で飯を食っているわけだから仕事をするのは当然だ。これが無くなってしまったら、電塾も何もあった物ではない。ただ、今日が土曜日だ、という事を除けば。
以前、まだフリーカメラマンだった時代にお世話になったかデザイナーの奥様がアートフラワーの教室を開いており、その撮影で久しぶりに早朝から練馬に“久田”と行ってきた。その後夫婦の息子さんはサンマのからくりテレビに出てくる加藤さん。
その撮影が終わり、スタジオに戻ってバッグの撮影。今日はモデル絡みの撮影で、バッグを手に持っている様子のイメージ。“久田”にスタイリング、コーディネートをお願いし、夫婦で一日セットの仕事をするのも久しぶり。そういえば練馬時代はこうやって普通に一日に3社くらいの仕事をこなしていたっけ。天気が良かったので、神田川沿いでロケまでしてしまった。
最もD200を使用したD2Xとのモデルを使用した比較画像がまだ撮れていなかったので、ついでに取る事もできたのでちょっとラッキー。
でみんな帰ったあとに明日の撮影の準備をしていたら、何と言う事だ。モデルを使用したカットをワンカット撮影しわすれていたことに気がついた。
当社の最終兵器、「あたしのかみさん」(=“久田”)に電話をして、出先から帰ってきてもらうことにした。夜の10時ころになってしまったが、手元だけの撮影だったので、最終兵器に登場してもらい、何とか撮影終了。
その後、二つ分の撮影の処理に12時ころまでかかってしまった。土曜日なのに、朝7時に起きて、17時間も移動を含めて働いたわけだ。

誕生日

今日は“久田”の父とあたしの合同お誕生会。父の本当の誕生日は1月なのだが、あたしたちが忙しく、伸ばし伸ばしになっているうちに、なんとあたしの誕生日(明後日が本当の誕生日)が近くなってしまい、なし崩しに「それなら合同で」という事になってしまった。場所は池袋の“文流”というイタ飯屋。結構安くてうまい。特にあたしの好物は「小海老とニンニクのソテー」。以前の物とはちょっと違うが、みんなでお代わりをしてしまった。特に出し汁にパンをつけて頂くとおいしい。
ハウスワインで出た白が以外といけた。きりっとした辛口。しっかりした度数。口の中に残るオイルをうまく洗ってくれる。アラカルトで始めたのだが、前菜をいっぱい注文し、パスタに入った頃には、すっかりおなかがいっぱい。ほとんど前菜で満足してしまった。だんだんこんな食べ方になってしまうのだろうなあ。

万世橋


 そうそう、この撮影にはNikon D200を使用したのだが、18~200mm VRを装着し、薄暗い場所なので、常にVRを効かせた状態で撮影した。装備は、フル充電をしたバッテリーを一個と4GBのマイクロドライブを一個(実はバックアップももって行ったのだけれども、一個のバッテリーでどれだけとれるかを見たかったの)。4GB(圧縮RAWで450カット)撮影し終った時にバッテリーの残りマークが一つになっていた。もう一枚のカードを差し、撮影できなくなるまでシャッターを切ってみたが、30カット程でバッテリーマークが点滅し出して、それ以上は撮影できなかった。(もちろん、予備はもって行っていたのだが)VR+マイクロドライブ(それもあたしのはかなり遅い)の組み合わせは、最もバッテリーを消費するセットだと思うが、こんな物なのだなあ。
 今度エクストリームIIIを使用してわざとVRを効かせない状態でも試してみようと思う。D200のバッテリーの持ちはD70 の2/3といわれるけれども、どうも実質は1/2に感じてしまうのはあたしだけ?。D70のバッテリーがもちすぎるのだという意見もあるけど。
 万世橋駅というのが明治期に作られ、それはそれは素晴らしい駅だったそうな。今の東京駅を、ちょっと小型にしたような感じ。その頃のターミナル駅である、新橋、上野よりもはるかに立派だった。(もっとも設計者が辰野金吾で同一人物なので当たり前だが)
 なぜそんなに立派だったかと言うと、反物、問屋が集まる秋葉原、岩本町に近く、かなり栄えていた事と、中央線の延伸も完成したことなどを受けて、日本初の総合ターミナルステーションとして開発されたのだそうだ。
 その後、現東京駅が完成し、ターミナル機能はそちらに移り、万世橋駅はただの通過駅になってしまい、おまけに関東大震災で完璧にたたきのめされ、その後お情けのような再建はされたものの、結局廃駅となってしまったのだそうだ。
 それでも廃駅になる前に、交通博物館が新橋から移動してきて、それなりににぎやかになったのだが、第二次世界大戦中に不要と決定されたのだそうだ。まさしく関東大震災と戦争の犠牲者だ。その後も万世橋交通博物館として残ってきたのだそうだ。今、ついにその交通博物館も埼玉県に移転する事になり、ついに駅の名残はいっさい無くなってしまう。そういえば、神田川、万世橋の下にも幻の地下鉄駅跡があるんだそうな。これは地下鉄銀座線。
 東洋初の地下鉄として、浅草~上野間に地下鉄銀座線が開業する少し前に、神田川の地下を掘るために難工事が予想され、とりあえず万世橋までの仮駅として使用されたそうだ。もちろん本線が開通した時には廃止され、今では通風口がその名残を止めるに過ぎない。結構乗降客も多く、存続の話もあったらしいが、末広町駅との間があまりに近かったため、はやり廃止されたのだそうだ。
 万世橋というとてもおめでたい名前の駅は、どうも名前とはうらはらに、「早めに衰退する」という宿命を背負っているのだろうか?

「フォトのつばさ」の使い方


今まで余り使用していなかったののが読み込み時のスライドショウ機能。これを先日の電塾で開発者の陳さんがデモしていた。
 このデモを見ながら感じていたのだが、これは使えるかもしれない、と思い、早速テストしてみた。万世橋交通会館で約450カット(4GBのカード一枚分)の撮影をしてスタジオに戻った。いやいや、仕事ではなく、今まであまりに近くで、そのうちに行けばいいいやと思っていたのだが、これが今年の5月には埼玉に移転してしまうというのだ。今日は晴れていたし、せっかく旧万世橋駅遺構も公開されていると言うので、廃虚好きとしては行かねばなるまいという事で…。
 通常私の場合、いっぱいになった4GBのマイクロドライブを読み込むにはUSB2.0経由のカードリーダーで約15分かかる。(マイクロドライブは時間がかるよね。エクストリームIIIならもっと早いんだけど)これをスライドショウを実行しながら行ってみたのだ。転送には2分程多くかかるが、それを待つ間に「本日の撮影」を連続してみることができるのがうれしかった。観ながら、そういえばここは暗かったので何度か取り直したな、とか、ここは自分でぶれたと思ったので4回シャッターを切ったな、などを思い出し、実際に撮影した様子をもう一度記憶の中で確認することが出来た。12~3%の時間の増加でこれが確認できるのはうれしい。
 今までは撮影済の画像の転送は「神聖な儀式」であり、「最も注意深く」行わなければならないことだと考えていた。そのため、転送時には「何もしない」「他のアプリケーションできるだけ起動させない」ようにしていた。
 でも「フォトのつばさ」はそのあたりをうまく処理しているらしい。画像転送自体はほとんどCPUにやらせ、その後のスライドショウにはほんの少しのパワーしか消費していないのだそうだ。(それが本来の「フォトのつばさ」のいいところだけれども。)
 その後はいつもの通り。無目的だったが気に入ったカットを60カットほど選び出すのに1時間くらいで仕事をおえた。スライドショウ自体はそんなに興味はないが、結構精神的に「良い」効果を与えてくれることに気がついた。
 実際にセレクトに入る前に自動でオーバービューをすることで「本日の撮影」を「大づかみにすること」が出来るのだ。
 どうもこういうことは言葉にはしにくい。実際にやってみるまで、自分でも良く「理解」出来ていなかったのだもの。交通博物館のお話は明日にでも。

10年後の憂鬱

 すでに、写真のメインストリームは「デジタル化して行く」というロードマップに異議を唱える人もいなくなっただろう。特にコマーシャルは98%(この数字に意味はない。とにかくほとんど、というくらいにとっておいて)までデジタル化されるに違いないし、医療の分野のデジタル化もすでに始まっている。そんな中、もし、10年経ってグローバルなコンピュータ事故が起こり、デジタルカメラが使えなくなったらどうするのだろう?
 銀塩カメラを使える人間が生き残っているだろうか? きちんと化学的な知識を持っている人間がそれなりに乳剤をあつらえる事ができれば、カメラは博物館からニコンF6なんかの35mmカメラを引っ張り出しせばいいので、何とかなるだろうか? まだ10年だったら、引き伸ばし機とか残ってるかな。これが30年後だったらどうなるんだろうとか…。変な事を考えていると、30年後ってあたしは命根性が汚いから、80歳でまだ生きている事になる!。今のうちに家の庭に機械式のカメラと引き伸ばし機とランプと、ああ、そうだミクロファインの粉ってまだ売っているんだろうか? とにかく埋めておかなきゃと思ってしまう。
 よくよく考えれば、そこまでの事態になった時に、写真を撮ろうと言う需要自体が無いかも知れないね。生きて行くのに精いっぱいで。でも若い子で、この事態を写真に収めて将来に伝えよう、なんて思う若い子が出てきたららば、あたしは秘密の地図を渡して「ここを掘るんだ。中は暗室になっていて、ホースマンの4×5とF6、冷蔵庫にはネオパンが入っている。」っていうんだろうか? 何しろ、あたしたちくらいまでの年代は、自分でピントを合わせて露出を合わせる、粉を調合し、液温を管理し、ネガを得て、反転して焼き付けるって事を知っているけど、これからデジタルカメラで始める世代にはほとんどその辺りは伝わらないだろう。あたしが暗室で、プリント用の乳剤を作る事ができないように。(これを普通に薬品を集めてきて、きちんとできる人間ってどのくらい生き残っているんだろう?)それをいうなら、ロールフィルムを手作業で作る事も不可能だな。ガラス乾板までさかのぼらなくてはいけないかもしれない。そうなったらキャビネ暗箱が必要だな。
 そういえば、大判カメラ用のレンズも次々と姿を消していった。もう趣味の世界でしか生き残れなさそうだ。最後はピンホールと言う手があるか?
 別に──だからアナログを見直さなきゃいけないとか、保存活動をしようとかいうのではないけれども、とても気になった。

3月の電塾

久しぶりにホームグラウンドであるスポーツセンターに帰った電塾は午前中に「もっと優しい電塾」を開催した。私のスタジオは、今日も大量の撮影を抱えて稼働しているが、あたしは「新・優しい電塾」を有料で開催しているが、電塾主催の「デジタルフォト入門講座2006年版」は5~6年前に行った「優しい電塾」をそのまま受け継ぐもの。参加費¥1,000ということもあって、というより、もっと優しい電塾に期待する方々が多かったのだろう。いつも電塾で拝見している顔ぶれ、また、Lab主催の「新・優しい電塾」に参加してくださった方々を始めなんと29名の大入りだった。
 運営委員は、塾長始め金田、永嶋、阿部、湯浅の各氏にあたし。顔ぶれを見て、初級、中級。上級にわけたが、始まってみると、どこもカラーマネージメントの話題が主流だった。できるだけ、セミナー形式ではなく、対話形式で行こうという塾長の提案で始めたが、あたしは最後の方はしっかり白板を持ち出してセミナー形式になってしまった。カラマネの理屈を言葉だけで説明できるほどボキャブラリーが無いのだもの。
 電塾は10時に始まり、お昼時も運営委員は皆さんに捕まり、ランチタイムセミナーだった。午後のメインの電塾では少々メンバーを入れ替え、今回もたっぷりの内容で、始まった。細かいことは湯浅氏のセミナーレポートにお任せするが、一番気になったのが、オリンパスのE-330の電子ビューファインダー。コニカミノルタのディマージュ7で4年前に実現していた機能だが、当時はレンズ交換式ではなかったし、EVFの見え方は、我慢できるかもしれない、と言う出来だった。それがとうとうここまで来たか、と思わせるものがある。もう一つはまだOMAでの海外発表のみだが、EIZOのFlexScan S2110Wにセルフキャリブレーションタイプが登場したというのだ。CGシリーズの弟分といえるだろう。
 使いやすく、カラーマネージメントを実践しやすいディスプレイの登場は大歓迎だ。後は値段だな。18万くらいで発売されたらキットと飛びつくだろう。
 二次会はいつもの「マーレ」で行われ、午前中の影響か、今回は知識と論理の投げ合いになったようだった。
 久しぶりに品川で3次会まで流れ(といってもたった三人だったが)御開になったのが10時過ぎ。丸々12時間の中見の濃い電塾だった。

世界名画観賞会

 世の中はひな祭り。だけどあたしは世界名画観賞会。
 と言うのは、水野晴郎のDVDで観る世界名作映画の収集は順調に進んでいるのだ。最近観たのは「雨の欲情」(これ、タイトルはひどいけどいい映画だった)、「アフリカの女王」、「モロッコ」、「マルタの鷹」、「グランドホテル」「ロイヤルウエディング」。かなり暇なのね。
 そう、1月2月の嵐を乗り越えた今、自宅に帰って一日1本の映画を観る時間がとれるようになったの。しかもインクを買わなくてはなら無かったり、用紙を買わなくてはならなかったりで…つい寄る用が出来てしまってヨドバシカメラは帰り際に寄ルことが多いし…。このまま行くと全集がそろってしまう。

ペンタックスのレンズ開発ルートマップ

 数日前にペンタックスのレンズ開発ロードマップが発表された。その中でも気になる存在が21mmF3.2パンケーキレンズ、50~135mmF2.8の2本。どちらものどから手が出るほど欲しい焦点距離だ。
 何しろ21mmは常用レンズとしてちょうどよい焦点距離。しかも昨今でかいズームレンズが幅を利かしているため、レンズを装着した状態でバッグにほおり込み、気軽に持ち歩けないのだ。これがパンケーキレンズとなるとものすごく楽になる。もちろんオートフォーカス。あたしはニコンボディを持っているので、発売終了となった45mmF2.8を付けているのだが、約70mmは日本で常用にするには少々長い。一番の問題はオートフォーカスでないことが非常にネックになっている。20~30mm位(APS-Cサイズだと30~45mm)のペタンコなオートフォーカスレンズが欲しいと思っていたのだ。
 もう一つの50~135mmは、APS-Cサイズで使用するときに75mmから200mmとなる。実は個人的には70mmから140mmでも充分で、ほとんどのモデル撮影、商品撮影はこのあたりで片が付く。そして明るく、ディストーションが少なく、隅々までクリアーなレンズ。できれば手ぶれ補正がついたもの。つまりコマーシャル用万能レンズだ。これはあたしがニコンの18~200mmに求めたスペックとは全く逆だ。高倍率である必要は全くなく、50~100程度で2倍もあれば充分。そのかわり、値段が高くてもいいから、とにかく解像感、ディストーション、色収差などの基本性能がいいレンズ。もちろんみなデジタル専用設計であることは言うに及ばない。
 これらはマーケッティング的にはどうなのだろう? 以前あるメーカーさんにこんな夢を話したら、「いったいどれだけの人がおなじように考え、そんなレンズを欲しがるのか?」といわれた。マーケッティング的に薄いというのだ。しかし本当にそうだろうか? ペンタックスはどのような理由でこのレンズ構成をはじきだしたのか知らないが、あたしが今欲しいと思っているレンズそのものを発表してきたのは事実。(ア、手ぶれ補正がついてないけど)ということはこのての需要は「あり」だと考えていいのではないだろうか?このルートマップを見た途端に、istDを買いたくなってしまった。

今日はグルメ日記プラスサムシング

 今日は新潟のお友達から頂いたお酒を飲んでいる。高値錦というお米で醸造した想天坊というお酒。とにかく封を切った途端の福々しい香りが部屋中に広がったことに驚いた。さらに一口含むと実に複雑、芳醇な味わいがする。通常あたしは何か食いながら酒を飲むのだが、そのつまみの必要性を感じないほどに味わい深い。加藤さんに感謝。単体で味わいが深いのでプラスアルファの必要性を感じないのだろう。
 このプラスアルファ…プラスαという言葉は良く使われる。私も、常用句のように使っているが、これは以外と知られていないようだが、日本でしか通じないのだそうだ。これも気まぐれ博物誌で読んだのだが、英語が日本に入ってきた当時に、字の下手な外人が書いた「X」の文字を見誤ったもの、野球のスコアボードの最後の「ばってんゲーム」のXをαと勘違いしたというような記録があるらしい。
 数学の世界ではサムシングをプラスするという式で+Xというように使われているので本来の意味通りであればプラスサムシング、あるいはプラスエックスといわなくては通じないようだ。というわけですでに和製英語になっているのだから使っちゃいけないというわけではないが、英語圏の片方とお話しするときは「プラスアルファ」は通じないので要注意だ。
 ちょっと調べてみると「プラスアルファ」という言葉を社名や商品名に使用している例が多く見つかった。すでに完全に市民権を得ているようだ。
 でもあたしはこれからは使わないようにしようっと。

右腕のしびれ

右腕のしびれ
ここ2週間くらい、ずっと右腕がしびれている。その原因になかなか思いつかなかったのだが、枕が原因ではないかと思うようになった。実は2週間くらい前に、“ぺこ”(久しぶりに出てきました、あたしのうちにただ一匹生き残っている臆病ねこ)があたしの枕に嘔吐し、乾かしてもそのにおいがとれないので、仕方なくその辺にある「枕のようなもの」を代理で使っていたのだ。
 (この「~のようなもの」という表現、いつもニュースで「バールのようなもの」で窓や金庫をこじ開け、「鋭い刃物のようなもの」あるいは「拳銃のようなもの」で人を脅す。なんといっても「バールのようなもの」という表現は今でも使われる。これはバールに近いものらしいのだが、バールと特定できていない場合に使われる言葉のようだ。その意味で、今回使用した「枕のようなもの」とは、本来枕ではないのだが、「枕に見立てて使用できそうなクッション」という事になる。何ね碁といってるんだか…)
 早速枕を購入する事にしたのだが、調べてみると、テンピュールを始め、ロフテー、セラピューティカ、マニフレックス、と百花繚乱状態。先日北海道に行ったときにANAのカタログにセラピューティかが持っていたのでこれにしてみようと思った。ところが枕は実際に寝てみないと分からないのだそうで、これが置いてあり、試してみる事ができるお店が都内で見つける事ができなかった。ハンズ、ロフト、ビッグカメラ、キンカ堂、西武百貨店(つまり池袋で探したんだけど)全てで無しだった。仕方なくいつもの御徒町多慶屋に行くとここにも無かったが、テンピュールの製品におなじような構造のものがアある事に気がついた。しかもここちゃんとベッドが置いてあり、試す事ができる。数種類の枕を試し、「ミレニアムネックピロー」というヤツを買う事にした。
 普通は仰向けに寝ており、その際は実はほとんど頭を高くする必要は無いのだそうだ。ちょっと首筋を支えてあげればいいだけ。でも寝返りを打ち、横向きに寝るときは、肩の高さ分、頭を持ち上げてあげなくてはいけないのだ。(という事は「枕を高くして寝る」という状態は横向き寝なのだろうなあ)
 これを実現してくれるのがセラピューティカだったのだが、写真を見る限り、これは結構ごつく、現物をみる事ができなかったので、テンピュールそれに近い形のものを選択した。横向きの時は割となじんでいるのだけれども、結構仰向けの時に首が押されて寝苦しいという事に気がついた。当然この手の商品はお取り換えがきかないので、我慢しなければならないのかなあ、と思っていたが、簡単な事に気がついた。削ればいいんだ。なにも購入した状態のまま使用する必要はない。どうせ返品交換はできないんだし。
 という事で一昨日から、少しづつ削り出し、寝やすいように調整を始めた。最も怖いのはこのカットアンドトライ、いったん行き過ぎると、また新品を買わなくてはいけなくなる点だ。そこで一晩寝てから次のカットを考える事にした。まだ気に入った厚さになっていないが、さてどうなる事やら?
  そうそう、枕に夢中になっているけれど、右腕のしびれはまだ直っていない。