そうそう、この撮影にはNikon D200を使用したのだが、18~200mm VRを装着し、薄暗い場所なので、常にVRを効かせた状態で撮影した。装備は、フル充電をしたバッテリーを一個と4GBのマイクロドライブを一個(実はバックアップももって行ったのだけれども、一個のバッテリーでどれだけとれるかを見たかったの)。4GB(圧縮RAWで450カット)撮影し終った時にバッテリーの残りマークが一つになっていた。もう一枚のカードを差し、撮影できなくなるまでシャッターを切ってみたが、30カット程でバッテリーマークが点滅し出して、それ以上は撮影できなかった。(もちろん、予備はもって行っていたのだが)VR+マイクロドライブ(それもあたしのはかなり遅い)の組み合わせは、最もバッテリーを消費するセットだと思うが、こんな物なのだなあ。
今度エクストリームIIIを使用してわざとVRを効かせない状態でも試してみようと思う。D200のバッテリーの持ちはD70 の2/3といわれるけれども、どうも実質は1/2に感じてしまうのはあたしだけ?。D70のバッテリーがもちすぎるのだという意見もあるけど。
万世橋駅というのが明治期に作られ、それはそれは素晴らしい駅だったそうな。今の東京駅を、ちょっと小型にしたような感じ。その頃のターミナル駅である、新橋、上野よりもはるかに立派だった。(もっとも設計者が辰野金吾で同一人物なので当たり前だが)
なぜそんなに立派だったかと言うと、反物、問屋が集まる秋葉原、岩本町に近く、かなり栄えていた事と、中央線の延伸も完成したことなどを受けて、日本初の総合ターミナルステーションとして開発されたのだそうだ。
その後、現東京駅が完成し、ターミナル機能はそちらに移り、万世橋駅はただの通過駅になってしまい、おまけに関東大震災で完璧にたたきのめされ、その後お情けのような再建はされたものの、結局廃駅となってしまったのだそうだ。
それでも廃駅になる前に、交通博物館が新橋から移動してきて、それなりににぎやかになったのだが、第二次世界大戦中に不要と決定されたのだそうだ。まさしく関東大震災と戦争の犠牲者だ。その後も万世橋交通博物館として残ってきたのだそうだ。今、ついにその交通博物館も埼玉県に移転する事になり、ついに駅の名残はいっさい無くなってしまう。そういえば、神田川、万世橋の下にも幻の地下鉄駅跡があるんだそうな。これは地下鉄銀座線。
東洋初の地下鉄として、浅草~上野間に地下鉄銀座線が開業する少し前に、神田川の地下を掘るために難工事が予想され、とりあえず万世橋までの仮駅として使用されたそうだ。もちろん本線が開通した時には廃止され、今では通風口がその名残を止めるに過ぎない。結構乗降客も多く、存続の話もあったらしいが、末広町駅との間があまりに近かったため、はやり廃止されたのだそうだ。
万世橋というとてもおめでたい名前の駅は、どうも名前とはうらはらに、「早めに衰退する」という宿命を背負っているのだろうか?