10年後の憂鬱

 すでに、写真のメインストリームは「デジタル化して行く」というロードマップに異議を唱える人もいなくなっただろう。特にコマーシャルは98%(この数字に意味はない。とにかくほとんど、というくらいにとっておいて)までデジタル化されるに違いないし、医療の分野のデジタル化もすでに始まっている。そんな中、もし、10年経ってグローバルなコンピュータ事故が起こり、デジタルカメラが使えなくなったらどうするのだろう?
 銀塩カメラを使える人間が生き残っているだろうか? きちんと化学的な知識を持っている人間がそれなりに乳剤をあつらえる事ができれば、カメラは博物館からニコンF6なんかの35mmカメラを引っ張り出しせばいいので、何とかなるだろうか? まだ10年だったら、引き伸ばし機とか残ってるかな。これが30年後だったらどうなるんだろうとか…。変な事を考えていると、30年後ってあたしは命根性が汚いから、80歳でまだ生きている事になる!。今のうちに家の庭に機械式のカメラと引き伸ばし機とランプと、ああ、そうだミクロファインの粉ってまだ売っているんだろうか? とにかく埋めておかなきゃと思ってしまう。
 よくよく考えれば、そこまでの事態になった時に、写真を撮ろうと言う需要自体が無いかも知れないね。生きて行くのに精いっぱいで。でも若い子で、この事態を写真に収めて将来に伝えよう、なんて思う若い子が出てきたららば、あたしは秘密の地図を渡して「ここを掘るんだ。中は暗室になっていて、ホースマンの4×5とF6、冷蔵庫にはネオパンが入っている。」っていうんだろうか? 何しろ、あたしたちくらいまでの年代は、自分でピントを合わせて露出を合わせる、粉を調合し、液温を管理し、ネガを得て、反転して焼き付けるって事を知っているけど、これからデジタルカメラで始める世代にはほとんどその辺りは伝わらないだろう。あたしが暗室で、プリント用の乳剤を作る事ができないように。(これを普通に薬品を集めてきて、きちんとできる人間ってどのくらい生き残っているんだろう?)それをいうなら、ロールフィルムを手作業で作る事も不可能だな。ガラス乾板までさかのぼらなくてはいけないかもしれない。そうなったらキャビネ暗箱が必要だな。
 そういえば、大判カメラ用のレンズも次々と姿を消していった。もう趣味の世界でしか生き残れなさそうだ。最後はピンホールと言う手があるか?
 別に──だからアナログを見直さなきゃいけないとか、保存活動をしようとかいうのではないけれども、とても気になった。