ウエルカムパーティ


今日は個人的な知り合いでもあるコニカミノルタの山野氏のウエルカムパーティ。午後の2時に江戸東京博物館の前で山野氏と待ち合わせ。光陽社の柳沢氏、あたしに“久田”の4人という異様な組み合わせで見学に入った。ここは期待したよりもはるかに面白く、時間が足りないくらいだった。久々に素晴らしい蒔絵の数々、江戸の生活を再現したミニチュア、羽村の堰から引っ張り込んだ用水、江戸市中を走る上水。当時世界から孤立していたにもかかわらず、世界最高水準の都市として存在していた水の都の姿に見入ってしまった。最後は時間がなくなり駆け足で明治期の銀座、浅草などを見学した。途中から早川氏も追いつき、合流。また機会があったら、いこうっと。
もし、個人的に行く方のために、情報を少し。5時間は見学する時間を持ち、my双眼鏡(拡大率はそんなでなくても良いから、明るく見やすいヤツを)、高感度で明るいレンズ。出来れば手ぶれ補正機能のついたカメラ。(暗いんですよ。かなり)これらをお忘れなく!。
その後、カメラマンの吉田君、うちの石川、コニカミノルタの永井さん、菊岡氏などを加えてちゃんこ鍋を囲むことに。デジタルカメラや写真その物の話題はあちこちに跳び、久々に、電塾、と言う訳ではない、個人的なおつきあいを楽しむことが出来た。最後はみんなでハンディまで乱入し、山野氏の冷却CCDを搭載した転載撮影セットの話題、分解フィルターの話題、電塾で紹介された「ピンボケ→手ぶれレスキュー」の話題などで盛り上がり、午後の10時を過ぎて、やっと解散となった。こんなおつきあいはめったにできない機会だったので、いちばん楽しんだのはあたしだったのかもしれない。

時はあっという間に過ぎていく

中部電塾から日記をさぼり始めて夏がきて、その夏もあまり暑くならないうちに秋がきてしまった。今回もいい訳が用意されている。また、本を書くという話が持ち上がり、その構想をまとめているうちに帰省の時期がきて、大騒動の旅行から帰ってくると、さる中規模スーパーマーケットの撮影を全部やらないかとの声がかかり、それにかかり切りになってしまったのだ。
もしその話がGoになっていたらば、まだまだ日記は再開できなかったろうと思う。再開することになったということはその話はポシャったということだ。
今まではべつに公開してもかまわないことが多かったのだが、さすがに今回ははばかることもあり、書きたくてもかけない状況もまま、あったので、お休み、と言うことになってしまった。

さて、再開しようにもこの数日さほど面白い話もなく、取りあえず向日葵の日記を8話ほど一気に追加したので、ぜひ、そちらも合わせてお楽しみくださいませ。

不定期“カノッサンの屈辱”は再開です。

伊藤さん一家


 中津川に、彼が東京に住んでいた頃にお仕事で言葉に尽くせぬほど、とてもお世話になった伊藤さんという友人が住んでいる。その彼が、引っ越しをし、さらに田舎に引っ込んで木曽川の上流に流れ込む川上川の中流、川上村の新しいお家に引っ越しをしたというので、下呂温泉まで行っていたこともあり、さっそく尋ねることにした。下呂から中津川までは一日に数本のバスが出ており、普通のバスの最後の便に乗る事が出来たが、約90分の各駅停車のバスの旅はとても新鮮だった。
 下呂から舞台峠をこえて、川上村まで、村と村の間はバイパスやら国道を通るのだが、村や町に入ると、代表的な施設を核にかなり狭い道を走り抜ける。大根なんかをほしてある農家の軒先なんかも通るので、手を伸ばしたら失敬出来そうだ。緑深く、柔らかな稜線が特徴的な(多分地質的に見ても古い山並みなんだろうが)山と谷を越え、付知川、川上川にそって景色を堪能していると、あっという間に川上村に着いてしまった。
 さっそく近況報告やら、昔話をしながら、分厚い肉の塊や、みそずけの鳥肉をいも焼酎とバーべキューでいただく。3時間程するうちに雨が降ってきたので瑶子ちゃんや俊太郎君(伊藤さんのお子さん)にてつだってもらいながらダイニングに避難することになるのだが、この庭がきっちり止めれば自家用車7台から8台は止められると言うもの。これに二階建てのお家が付いてなんと家賃が¥32000だという。田舎はすごい。奥様のご自慢だとか。
 降ってきた雨のおかげで増水した川の水音が耳に残るが、二重になった窓を閉めると、もうなにも聞こえない。伊藤さんとは年が近いこともあり、おんなじような音楽遍歴を送っていたことが分かり、(赤い鳥や高石ともやに始まり、はっぴいえんどにはまりかけ、そこからブルーグラスを通り、マイルスディビスに行き着く。アガルタ、パンゲア東京公演はオンタイムで、ハービーハンコック-ウエザーリポートの処女航海がショックだったこと。ライブアンダーザスカイにどうやら二人とも行っていたこと。等々)深夜まで音楽を聴き、さらに懐かしさの深みにはまり、最後は“たそがれのビギン”-ちあきなおみ-や“さとうきび畑で”-森山良子-で〆るというどろよい状態だッた。私はこれで新宿の夜から数えて深酒三日目になる。
 翌日は快晴に恵まれ、いざ、竜神の滝に向かおうとした頃から、また大降りの雨が降ってきた。この地方はじつに天気の変化が早いのだそうだ。夕森山のふもとの竜神の滝は思っていたよりも懐が広く、力強い滝だ。CANON EOS 1Dsで写真を撮りながら、坂下まで送ってもらったが、名古屋までの列車には2時間ほど時間がいていたため、中津川まで送ってもらうことになった。
 ここからは馬込や妻籠まではもう一息だ。普段であったなら絶対にそこまで行くのだろうが、今回は気力、体力ともにアルコールと中部電塾で使い果たしてしまったようなので、見向きもせずに名古屋から新幹線に乗り込み、一路自宅に向かう。やっと帰りついたが、“久田”は旦那のいぬ間の遊びに出かけており、少し寂しい。長々とベッドに横たわり、今日こそはゆっくり眠ろうッと。

夏の大合宿2DAYs in 下呂


 新宿2丁目のオカマバーで朝まで飲んでいたため、重度の二日酔いに襲われながら名古屋に向かった。全くいつまでこんなことをやっているのだか? 新幹線は結構普通に我慢出来たのだが、名古屋駅からのバスが、特に高速を降りてから山道に揺られてどんどんきつくなってきて下呂に着く前にバスの中で“備え付けのエチケット袋”のお世話になってしまった。下呂だけに汚いお話でいきなり恐縮。
 とにかくさっさと風呂に入り、スケジュールを無視して20分程休ませてもらい、少々生き返った。もちろんそんなことにはお構いなしに電塾in 下呂は開始され早川塾長の講演からインプットプロファイルに関するパネルデスカッションにはいり、夕食になり、今回の唯一の娯楽とも言える“形態電話No抽選会に入ったのが、鹿野はどこにいるかわからないほど存在感が無かった。
 実は食事もそこそこにもう一度風呂に入り、今度は1時間半ほどしっかり眠っていたのだ。夜も更け始めたこともあり、これで私は復活を始め、パネルディスカッションの途中には例によって口を挟むほどまで、完ぺきに生き返えることが出来た。
 インプットプロファイル運用に関するパネルディスカッションはその功罪についてさまざまな角度から検証を加えられたが、その有用性までを全て否定は出来ないだろうという結論に落ち着いたように見える。もちろんその作り方、運用方法の危険性を十分に認識した上での利用という大前提がある。また、その成果はあくまで60点と言う合格ラインすれすれであり、もちろんプロファイル変換による諧調崩れを起こしているものを運用出来る範囲内で運用するという条件も見落としてはならない。
 また一口にプロファイルといっても、インプットプロファイルとアウトプットプロファイルはともに同じデバイスプロファイルではあるが、デジカメのインプットプロファイルの性質はプリンタプロファイルの様に1000パッチや2000パッチの細かい色玉を何が何でも目標値まで動かすのではなく、色があっているよりも、色相の方向性と明暗のバランスが整えられ、扱いやすいデータを作ってくれるようなものであれば良い。(バランスが崩れるのなら目標値まで行かなくても構わない)と言う認識が得られた。プロファイルと言ってもその存在のし方にはさまざまな意味合いを持つのだ。
 
 その後二日にわたり、討論されたデジタルデータ運用の問題点、カラーマネージメントに対する、問題意識については皆さん、みごとに、同じ部分を持っているようだ。と言うか、結局行き着くところは一つ、と言う結果を見せてくれたとおもう。ただし、取り組み方にそれぞれ差があるのがよくわかった。その意味で今回の合宿は大きな意味のある物だったといえる。また、実際に、いかにその問題を解決するか、と言う点について小山氏、江口氏から、それぞれのアプローチが紹介されてたのだが、その方法論は、真っ向から対決するようなものであった。こんなに違う考え方を同時に提唱していいのかな、と思わせるほどだ。しかし、よくお伺いしていると、江口氏は雑誌の入稿時の対応でJMPAを準拠してRGB入稿を説き、小山氏はある地域(この場合、岡山)での約束事(ローカルルールといっても良いだろう)を作り上げた上でのCMYK入稿の実際をお話されたのだ。大前提(雑誌入稿とあるルールにのっとった地域)をふまえた上での運用方法の紹介であった。この“大前提”を無視してお話が進むと、同じことを言おうとしても意見のすれ違い、勘違いが起こりやすくなってしまうのだ。さらに両者をつなぐ意味で郡司氏が問題提起として、汎用的な、CMYKプロファイルJapan Color 2001を視野に入れ、RGB入稿のワークフロー検証をもう一度しよう、という提案をされた。ケースバイケースとして、それぞれ正解の方法論であったと思う。これらはそのままでスタンダードになる事は難しいが、、CMYK to CMYK変換の運用によりスタンダードに近い位置に届くのではないか、と考えられる。

 明け方まで宴会になったり、討論会になったりしながら、下呂の電塾は4時まで続き、私はなんと4回目の風呂に入り、男風呂での撮影大会があり、(多分この写真はけっして掲載されないと思う)5時近くに御開となった。

私見 吉野家の牛丼のおいしいいただき方

 私は“吉野家”の牛丼が好きだ。¥280で取りあえずお腹いっぱいになれるのは多分ここだけだろう。もちろんこの手の店はすきや、天屋、ランプ亭、なか卯、松屋と枚挙にいとまが無いが、その中でも個人的にはぴか一なのだ。その吉野屋の中でも、蔵前通りと清洲橋通りの交差する場所にある店は何か特別にうまい気がしている。(おつゆの感じとか、お米のたき方のようなものなのだろうか?)吉野家が好きな理由に、夏でも、リクエストすると熱いお茶を出してくれることがある。(私はコーヒーが苦手で、お茶が大好きなので)。“ツユダク”(汁を大目に入れること)という特別リクエストは知っていたのだが、それ以外に“汁少なめ”さらに“ネギダク”(ネギを大目に)という特注がきくということも最近この店で知った。
 それ以来“ネギダク”の信者になってしまったのだが、先日少ししょっぱいのを避けたいと思い、いつもと違って“ツユ少なめ”で注文した。当然ベニショウガは多く入れたのだが、やはりご飯が余ってしまった。で、ふと気がつくといつももらっているお茶がそこにあるではないか? ややツユがかかったご飯にお茶を注ぎ込み、お茶づけさらさらで最後までいただいた。(お茶とご飯という組み合わせはだし味のように大脳に直接、「うま味成分」として働き掛ける特殊な作用があるようだ。)食べ終わった後のどんぶりも奇麗だし(なんのこっちゃ)何だかすごく得をしたような気がする。ぜひに、というほどではないが、後味のさわやかさはちょっとしたものなので、気が向いたら試して見てください。
 
今日は新宿でロケ待ちなので久しぶりにアカシヤのロールキャベツを食べてきた。今は無き“伊達のカレー”と新宿でのご飯の双璧だったのだが、ここは相変わらず¥690という値段で満足出来た。

別れ


今日は李君のフェアウェルパーティ。少しの時間だったが、浅草を二人で散歩した。

李君というのは昨年、半年間ほど講師を務めた東京ビジュアルアーツの写真家の生徒だった子だ。名前からもわかるように韓国からの留学生。写真を勉強して換えるんだったラ、特にデジタル写真を覚えたいというのなら、実地がいちばんだ、とだましてロケに一緒に連れ出すようになって半年が過ぎた。最初は足手まといになってもいいから、見学させてあげよう、という程度の気持ちで連れていったのだが、自分がやるべき仕事を進んで探す態度、お客様に接する態度を見て気が変わった。見学なんてしているのはもったいないので、次の回からは私のメインアシスタントとして動いてもらう事にしたのだ。質問がやたらに多いのには少々閉口したが、自分を振り返ってみると、同じことをしている。

手を貸すつもりが、すっかりうちの仕事を手伝ってもらう結果になっていた。しかし、良いことはそう長くは続かないものだ。わかってはいたのだが彼のビザが7月で、もう切れてしまう。自分の国に返り、働くという当初の目的を果たさなくてはならないのだ。

6ヶ月というのもあっという間だった。もう帰ってしまうなんてちょっと信じられないままだが、浅草はお気に入りのイタリアンレストラン、ジャルディーノ(ここは時々カメラテストのサンプルにも使わせていただいているのでご存知の方もおおいかもしれない)でさよならパーティを開くことになった。それで少し前に待ち合わせして浅草散歩ということになったのだ。当然浅草寺の下で、こんな写真を撮らなくては、いけないだろう。大いなるステレオタイプというヤツだ。

李君。ありがとう。韓国でもきっと君は頑張ってしまう。だからあんまり無理はするな、といって送り出したい。ご機嫌よう。

中部電塾

ほとんど一年ぶりの中部電塾に参加させてもらった。懐かしい顔もあるし、新しい顔も散見する。早川塾長、永嶋氏の後を受けての一日Photoshop 教室ということで呼ばれたのだが、このお二人の後で今更私に何ができるだろう、との思いが強い。何しろ、先人が先人だ。おまけに何を聞きたいのか、どこに興味があるのかわからないのだ。(一年のブランクは恐ろしい)そこで一計を案じた。電塾にならって無理やり自己主張、自己紹介の時間を多くとるように仕向けた。まず運営委員に自己紹介をお願いする。(彼らの自己紹介は結構自己主張になり、長引くのは知っている)途中で私が割り込み、私という人間を知っていただくためにこってりと自己紹介をする。当然、参加者の方々も思っていなかったことまでくちにする。それは、私にとっては情報の宝庫だ。何が問題なのか、どういいった事で電塾に参加したのか、今何を一番の問題にしているのか、そのあたりが手に取るように理解出来るからだ。結果として、長年電塾に参加してくださっている方々よりも、今デジタルを始めた方々を対象にお話をしたほうが良かろうという結論に落ち付いた。
 私は結果的にはこれで良かったと思っている。食いたりなく感じられた方々も多くいたと思う。中部電塾の運営委員のほとんどはいい加減にこんなことを卒業しているのだもの。でも新規の参加者に対していきなりとんでもないことをいっても始まらない。中部電塾の中にも、温度差、進み方の差は存在するのだもの。私自身、今更のように基本を確認するようなつもりでお話を開始した。これといったテクニックもない。トーンカーブの奥義に迫るようなお話もなし。ひたすら、[環境設定]のそれぞれの意味と色相・彩度のダイアログの使用法、シャープネスの扱い方に終始した。私達はテクニックを学ぶ前に、どうありたいか、どのような映像を眼前に展開したいか、という基本的な問題に立ち返るべきではないだろうか?

話を始めてから、1時間もたったころに、そういう思いはさらに加速した。今まで私を含めて、どんなけ基本を無視してきたのだろう。もちろんそのさまざまなシーン毎に対応の仕方の違いはあったのだろうが。すでにPhotoshop を使いこなしていると感じている方がにも改めて確認する事は必要なのではないだろうか?
カラーマネージメントが目指すもの。プロファイルができること。インプットプロファイルとアウトプットプロファイルと、汎用プロファイルが指示すものの違い。カメラマンとデザイナーの立場の違いによるカラー設定の食い違い(実は運用法においては同じもの)。そのあたりに重点を置いて解説したつもりだ。今回思わず、シャープネスの取り扱い方について、新しい発見をした(というか解説の仕方についてだけれども)。ターゲットをRGBにするか、CMYKにするかでおおきくその方法論、意味が違うことだ。十分に伝わったかどうか、自信はないが、初めてこの件について言及したような気がするし、おおきな収穫はであったと思う。佐々木氏から的確な質問があり、それにお答えすることで、何とか真意を伝えることが出来たような気がする。

長年、こんな事をやっていると、私クラスの人間でも、常に新しい発見を前面に出し、どうだ驚いたろう、とやらねばならない気がしてくる。でもそれは違うのだ。今日の中部電塾はそんな気持ちにさせてくれた電塾だった。自分自身、基礎を確認し、カメラマン(写真家?)は何をして我が表現とするべきか、改めて考えさせられた良い機会だったと思う。
事細かに書きつなれる事はできないが、お話をしているうちに、アクロバティックな画像処理よりも、表現したいもの対する心構え、とくに色彩論に還っていく自分を見つけた一日だった。その意味でも今回私を呼んでくれた、中部電塾の運営委員に対して感謝しなくてはなるまい。

私達はデジタル化されたおかげで、写真の中の構図や感性だけでなく、色彩感覚をもこの手に取り戻すことがで来たのだもの。これを暁光と言わずして、なんと表現するべきだろう。

5時以降の打ち上げに続き新幹線駅近くの宴会は深夜まで続き、危うく新幹線に乗り損なうところだった。(今新幹線の中でこれを書いているので、まあ、間に合った訳だが)気持ちの高ぶりを一人で押さえつつ、良い日だったな、と回想している。

「ACEでするローコストカラーマッチング実践講座」


Photoshop が6.0となり、その善し悪しはともかく、常に入力側と出力側の二つのプロファイルを参照し、「一時的なデフォルト」としての作業用に色空間をもち、「カラーマネージメント」をはじめて矛盾無く実行できるアプリケーションの登場した。そのころのタイミングとしてカラマネツールの普及があり、カメラマンと製版側との対話が始まり、ここにきて一気にカラーマネージメントは現実味を帯びてきた。しかし、デザイナーの方々にとっては世の中で叫ばれてはいるものの、実態のわからない「カラー マネージメント」であり、今まで幾度となく浮かんでは消えていった、どうやら「実行不可能なもの」であったらしい。さらにいえば、現状でなんとかなっているのになぜそんなややこしいことをしなくてはならんのだ、といわれたこともある。デザイナーさんの存在は、カメラマンにとって、色彩を正しく伝えていくための方法論を、叫べどお願いすれど、なかなか理解してもらえない頭痛の種でもあったのだ。(いやいや、全てのカメラマンがそれほどきちんとしている訳ではないし、全てのデザイナーさんが理解していなかった訳でもないのですが)

カラーマネージメントがシステムとして運用されるためには是非ともデザイナーさんたちの前向きな参加が必要だ、ということが私達の間で話題になって久しいが、その方法となると、全くの無策だった。

そんな時に関西で活躍しておられるデザイナーさんがLabを訪問された。上高地さんという方で彼の講演にMonaco OPTIX のデモンストレーションを含めたいということだった。そして、「ACEでするローコストカラーマッチング実践講座」というテキストをお持ちになった。
この本を一読して、待望の書がついに上梓された、と感じまた。カラーマネージメントの本質、そのシステムの基礎(といっても理解しやすい範囲で)からその用法について初めて具体的に書かれたものであり、特筆するべきは全て、理屈に走らずに、実行可能な形で解説されていることだ。また、読んでみると一見理解が難しそうなカラーマネージメントシステムの理論もわかりやすく、具体的な例を挙げて解説していますので理解することにも役立つにちがいない。

もちろんカメラマンとデザイナーという立場の違いによる理解、運用法において、カラー設定などに個人的には異論はあるものの、理想に縛られたり、現在は実現不可能な空論に言葉を費やすことなく、実際の運用において現実的な方法論を明快に展開している。私自身、拝読していて、あ、そういう解決法があったのか、と目からうろこが落ちる思いをすることも多々あった。

本書はデザイナーさんにとっては、カラーマネージメントの理想と現実のギャップを埋めてくれる初めての本となるのではないだろうか。また私達カメラマンにとってもこの方法論が定着することで安心してAdobeRGBというカラースペースでデータをお渡しすることが出来るようになるのだ。そういった意味においても歓迎すべき本の登場といえる。

著者も後書きに書いていますが、あえて、「カラーマネージメントシステム」ではなく、「カラーマチング」という表現を使っている。現実にはカラーマネージメントは、いまだ発展途上であり、理想的なところまで行けないけれども実用範囲としてここまで出来るんだ、という表現でとらえています。今後さらに発展していく技術(理想に現実がどんどん追いついていく)のうち、今、使える部分を有効に、しかもAdobeという共通フォーマットを使用することにより、汎用的な方法論を展開していることに大いに共感を覚えました。

何はともあれ、全ての基本は測定器によるモニタキャリブレーション。この本にはそう書いてあった。

TNGとは

 アップルコンピュータ、アドビシステムズ、大日本スクリーン製造、モリサワで共同発足したプロジェクト、TNG (The New Generation)についてどういう見解をお持ちですか?という質問を受けた。

 私は以前から、この運動にかかわっていた、という程ではないが、取りあえず動向は知らされていたということもあり、応援はしているのだから、見解といっても、いいんじゃないの?と答えるべきなのだが…。実は、やっとここまできたのか、というのが正直な感想。ホントはApple社はOSXを発表すると同時に、このような運動をスタートさせるべきだったのではないかと思っているのだ。(そう感じている方々はきっと多くいらっしゃると思うOSX、Adobe InDesignが発表され、一年後にはカラーマネジメントの気運が高まり、OpenTypeFontが発表された、この2年間のブランクをどう埋めていくのか、その戦略と方法論として、これで十分かと訪ねられれば、まだ、物足りなく感じてしまう。もっと周りを巻き込んで、大々的に(9月30日までではなく、また、もっと多くの会場での開催が望まれる)打ち上げて欲しいものだと思う。にしてもこの動きは結果的には、ターゲットがどれだけ新規の客を取りこめるか、ではなくクリエイターのMac離れをどこまで食い止めることが出来るか、という、かなり消極的な戦略も見え隠れする。私がうがち過ぎなのかも知れないが。

質問その2 一気にDTP業界が変わるのだろうか?。

 とてもじゃないが私ごときにお答え出来る問題ではない。が予測はある程度成り立つかもしれない。あるいは希望を語ることは許されると思うので、個人的な感想を少しこぼしてみたいと思う。

 今後このDTPプラットフォーム(何しろOS9はすでに過去の遺産と化している。今はまだ使えるが、2~3年後にはとてもじゃないが、メインのOSとしては使い物にならんだろう)をデファクトスタンダードにしたいという動きは当然であり、理解出来る。
 ともあれ、MacをDTPで使い続けるためには、いつかはOSXに乗り換えなくてはならず、そのためには新しいデファクトスタンダードが必要なのは事実だ。一気にかどうかわは知らないが変化するのは確実だと考える。
 以前DTPのデファクトスタンダードを作り上げたのも、牽引したのもAppleをコアとした、モリサワ、Adobeのタッグチームだった。これにリップメーカーが加わり、昔の夢よ今一度、というのか、現状を見ると、生き残りをかけた戦いにのろしを上げたと私は理解している。そして、印刷業、写真、製版、デザイン業界のデジタル化は、ここまできて、やっとその全てがデジタル化されたといえるのではないだろうか?(つまり入力がデジタル化されることにより、過渡期であったEPSワークフローなどが整理され、新しい環境に見合ったワークフローに進化するということだ)
 個人的にはAdobe InDesignは嫌いではない。というよりもカラーマネージメントがきちんと動く環境で、画像データををRGBで、しかもPSDごと読み込めたり、OpenTypeフォントの採用など、コンセプトはかなりお気に入りだ。ただ新しいワークフローの常で、受け入れ体制、当初のバグなど、実際に稼働させるための問題点は山積みだろう。

そう。周囲の環境(つまり、今ある印刷機とかセッターとか、プルーファーとか、RIPとか機械的な部分と、それに携わるカメラマンも含めたオペレーターたちの問題)とのマッチングをどう解決していくのか、という大きな難関が待ちかまえている。今となってはイバラの道かもしれないが、なんとかうまく解決し、新しいデファクトスタンダードになり得るように、私は期待している。なぜなら、マッキントッシュというコンピューターを私は大好きなのだ。しかし、この試みが失敗すると、どうなるのだろう? 今後のDTPにMACが使われなくなる可能性も大いにある。(OS9としてはしばらく生き残るとしてもだ)私は当然、必要なところではWindowsも使用しているが、MACがこの世から消えてなくならないように、結構せっぱ詰まった気持ちで心から祈っている。

この日記を書いているうちに、Adobeシステムズの発表で次期Photoshop はOS9をサポートしないとの発表が飛び込んできた。これが、ますますMAC離れを生むのか、OSXへの移行を促すことになるのか…私は後者にかけたいと思う。そのためにも周辺機器、ソフトウエアー開発の早期のOSX対応が待たれる。(何せこんなことを言っている私の環境でもOSXでドライヴ出来ない出力、入力機のために、…さほどに古いプリンタではないのに…いまだに2台のOS9駆動のマシンが残っているのだ。)私達はいやおうなしにOSXに移行せざるを得ない事になったのだ。この意味においても、このうようなムーブメント(移行するための手助けとなる動き)が現れてきたことを、改めて歓迎したいと思う。ただ、また次期OSX(パンサー)がコアシステムからひっくり返すようなことにならないことを祈る。マイナーアップデートの度に一から書き換えなくてはならない各ドライバ開発者の嘆きもわからないのではないのだ。必要があってそうしているのだろうが、Appleとしても変える必要がある時などは出来るだけ早い情報公開ををするなど、さらにデベロッパー、エンジニア向けの開発しやすい環境を整備するように望みたい。

美樹ちゃんと石井さん。


私が練馬にある中堅の印刷会社の外注カメラマンだった頃、知りあったカメラマン二人が、同じ週に個展を開いた。島村美紀という、元々うちでアシスタントをやってくれていた、非常に作家性の高い子だったのだが、さっさといくつかの賞をとり、もう個展も7~8回、グループ展を含めると十数回の展覧会を開いている。なぜか、気が合うことに、二人とも廃虚好き。朽ちかけたもの、荒涼とした風景が好きで、しかもモノクロ好きと来ている。今は大変身してしまったかっての無人島に一緒に撮影に行ったこともある。女性とは思えない(という表現はどうかな?、)大胆な“静かなのに動感のある”構図が得意だ。久しぶりに10点ほどの新作を堪能してきた。

もう一人、石井さんという、私の兄貴分に当たるようなカメラマン。先の外注カメラマン時代によくご一緒させていただいたのだが、実は私の初期の撮影技術は皆、彼から盗ませていただいた(なんかみょうな表現だね)。彼の写真の仕上がりがとても気に入ったので、いつもすぐそばで撮影し、そのライティングやら、露出の決定法やらをまねしたものだ。写真学校にも、カメラマンに付いたことも無い私にとっては素晴らしい先生だった。いつか、石井氏から、マネッコ鹿ちゃん、といわれたことがある。当然そんなことには気がついていたのだろう。それでも自由に見せてくれたことに、今でも感謝している。

多分、もう十年ぶりになるだろう。久しぶりにお会い出来て、また、彼が結構あたしと同じような視点で風景を見ている事を知り、何となく嬉しくなった。崩れた壁のしみとか、焼けたドラム缶、腐食したペンキとかそういったものを切り取っている(カメラマンや絵描き、イラストレーターって結構こういうことをしているらしい)

そんな懐かしい知り合いにはしごをした一日だった。