私たち(と十羽ひとからげに行ってしまっていいのかどうか分かんないけど)はテレビが普及する頃に物心がつき出した。塾長などは小学校か中学校のころにブラウン管テレビを自作していたそうだが、その頃のあたしは5級スーパーか、アマチュア無線のトランシーバー(当時流行っていた144MHz帯の持ち運べるヤツ)程度だったけれども。
そのテレビという文化…文明はここに来て地上波デジタル時代を迎えようとしているが、それはあっという間にインターネットに飲み込まれるだろう。有線のインフラ整備が難しかった時代に比べ、今更無線に縛られる事が無くなってしまったのだもの。一つの文明の利器の始まりと終焉を見届ける事になったわけだ。
そのテレビというデバイスを支え続けてきたブラウン管も今年の1月ににそのメインストリームをLCDに受け渡し、ついに高度成長期から燃やし続けてきた旭硝子のブラウン管用の窯の火は消され、国内生産を終了したそうだ。今後ブラウン管はレガシーとして存続するだけになってしまうのだろう。
テレビジョンというシステムの終焉(あくまで予想だけれども)とブラウン管の終焉とが重なったのは単なる偶然の一致では無いような気がする。今まで進化してきたデバイスのほとんどがその役割を終り、次なるデバイスにトップの座を明け渡すタイミングなのではないだろうか?紙テープにパンチ穴を開けた記録方式が磁気に変わり、その支持体がプラスチックからガラスに、ハードディスクに変わり、ついにシリコンメディアが台頭しようといしてきている。
私たちはやみくもにデジタルフォトに取り組んできたけれども、ここに来てイメージセンサーの新しい形が見えてきて、一気にこれまでの技術を「レガシー」として扱われ始めたような気がする。
まさか自分の一生の中でこれだけの変化を見届ける事になろうとは思ってもいなかった。しかし問題はソフトウエアであり、コンテンツだ。技術の進化はすでに人間個人が思いをはせる限界点をはるかに追い越してしまっているが、それに乗せるべきものはいまだに「人の想像力」よりも先に進んではいない。
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ニュータイプのイメージセンサー
富士写真フィルムが新型のイメージセンサーの開発にめどが付いたという記事が出ていた。理屈はCCD、あるいはCMOSセンサーともフォビオンとも違い(ややフォビオンににているか?基本はフィルムに準じているようだ。光を分光する方法論を点から面の積層「有機材料だという)に発展させた方式だと考えられる。この方法論で光量の減少無く、記録できるとしたら、解像度は飛躍的に倍増し、ノイズも減るはず。多層化により、フィルムのような立体感のシミュレーションもできるようになるだろう。新聞記事からはその仕組みは完璧には予測できないが、久しぶりにイメージセンサーのブレイクスルーが発現する予感がある。期待したい。
風と共に去りぬ
朝7時48分発の「とき」にのって新潟に向う。博進堂さんのセミナーに「ちょっとだけ」参加するためだ。実際は20分のセミナーだが、電車の往復が約4.5時間。何か複雑な気がする。いつもは夜までお邪魔するのだが、今日は帰らないとできない仕事がある。
新幹線の中でベティデイビスの「イブのすべて」を見る。このところ「旧作名画」に凝っている。だってDVDが450円なのだもの。これってロケットが無くなってしまった後遺症だろうか?。
実はあたしは今回初めて風と共に去りぬと嵐が丘を見た。小学生のころ、この二作をみたいと言ったら、お兄ちゃん(あたしの兄弟は一番近いお兄ちゃんでも6歳年上で、あたしはいつも弟言うよりも子供扱いだった)がつれて行ってくれたのは一度は大魔神。もう一度はガメラだった。理由はあたしは見ても分かんないから。ほんとはお兄ちゃんが見たかったのでは??。もう昔の事でよく分かんないけど、帰りのバスの中で気分が悪くなって吐いてしまった記憶がある。もちろんその頃は酒は飲んでいない。
それがトラウマになったのか、この大作にはなぜかずっと近寄れなかったのだ。そういえば、アラビアのロレンスとサウンドオブミュージック、メアリーポピンズは劇場まで連れて行ってもらったなあ。もちろん、皆この時代はすでにリバイバルだったけど。
そんなわけで、このところ、パリのアメリカ人、アラバマ物語、カサブランカと名作づいている
変貌する秋葉原
個人的に秋葉原が大変な事になっている。ロケットという今ではかなりマイナーになってしまった家電デパートがついに撤退したのだ。以前はマッサージチェアのコーナーがあり、あまり客がいなかったのであたしは幸せだったのだが、ヨドバシカメラの開店に合わせてこのコーナーは無くなってしまった。でも古いビデオ(これは200円)や単行本を100円均一で売っていたので(秋葉原には古本屋が無いのだ)結構重宝していたのだ。ちょっと買いたい電池や蛍光灯、電球のたぐいは自宅と会社の行き帰りに購入できたし…。これでますますヨドバシカメラに行かなくてはならなくなってしまった。
もう一つ、行きつけの床屋がお店を閉めてしまった。何も指示をしなくてもあたしのあの「ちょっと廂のついた坊主頭」を刈り込んでくれていた。新しい床屋を開拓し、また同じようなリクエストをしばらく続けなくてはいけないのだ。
気にいっているお店が自分の生活圏内から無くなるのはものすごく不便な事だ。
セミナーの無い月曜日
本来はセミナーを行う日だが、今日は受講生がお休みなので、あたしも自分の仕事ができる。
電塾の阿部氏特性の新型ピクセルチャート(実は札幌でお会いした時に、ちゃっかり譲ってもらっておいたのだが、ずっと手を付ける事ができないでいた)を使用してNikon D2X とNikon D200をテストしてみた。レンズは35mm。このくらいが最もテストしやすい焦点距離だ。結果だけいえばNikon D2Xがやや解像力で上回っている。イメージセンサーのピクセルピッチの細かさの分だと言えるだろう。しゃにむに解像しようとするNikon D2X と1ピクセル以下の形は早めにあきらめてモアレをださない方向に走るNikon D200という図式が当てはまるかもしれない。
こうなると好みの差ともいえるが、適度なところで解像する事をあきらめ、グレイッシュな表現になるNikon D200の処理はあたしの好みと言える。
ついでに新しいレンズの特性(特に収差を見るための物)チャートも作ったので、それも同時にテスト。今回は開放からテストしてみたらちょっとびっくりした。このレンズ、巷のBBSでは周辺光量落ちがとやかく騒がれているので解放側でそれを確認しようと思ったのだが、そいつはやはりたいした問題じゃなかった。それよりも開放、広角側の周辺“ぼけ”というか解像できていない部分が結構あるのようで、35mm~70mmあたりで集合写真を撮影するならF11までは絞っておいたほうがよさそうだ。18mmや100mm以上の望遠側では問題はなさそうなのだが。最もこれはあたしのレンズだけの特徴かもしれないので、まだ正式にレポートできるところまできてはいない。今週は時間がとれるはずなので、もう少し細かく検証した後に追加レポートを書きたい。
今年も9億5千万キロメートルの宇宙旅行をごいっしょいたしましょう
今年も9億5千万キロメートルの宇宙旅行をごいっしょいたしましょう。
これはSF作家の星新一が1970年ころに出した年賀状の内容だ。昨日久しぶりに引っ張り出し、ついそのまま読んでしまった「気まぐれ博物誌」の書出しだ。このせりふ、なかなかいいですしょう?。ぜひ来年の年賀状に盗作させていただきたいものだとおもう。
9億5千万キロメートルとは地球が太陽の周りを回る軌道の距離。その速度は秒速29万7千キロメートルでマッハに直すと約93。音速の93倍なのだそうだ。とてつもない速度の乗り物だが、そう簡単にはトラブルは起こらない。宇宙に散らばるごみ類もほとんどは大気圏内で燃え尽きるし、有害な太陽光がまき散らす宇宙線はバンアレン帯が防いでくれる。しかもすでに約45億年間無事故無違反の実績を持つ。問題はそこに乗っている乗客、つまり人間たちだ。
これも昨日の続き。実はやはりテレビで日本が誇るスーパーコンピュータ、(横浜にあるんだってね)地球シミュレータを使用した異常気象のシミュレーションを見ていた。そう遠くない将来、真夏日は1年間で100日に及び、カトリーナ級の台風が吹き荒れるのだそうだ。当然海面は上昇しているから、東京などはひとたまりも無い。
地球の軌道と太陽の継時変化との関係もあるのだろうが、それだけではあるまい。窒素、二酸化炭素の増加率、が大きな誘因だと言う。化石燃料系の問題がよく取り上げられるが、未だに電気は化石燃料系、あるいは水力発電(これは日本特有の現象らしいが)と言う大きな自然破壊を伴って作られている事実に変わりはない。本当の意味での環境破壊は電気エネルギーがその生成からクリーンにならないと意味がなさそうだ。
デジタルもただアナログから移行したのだから環境に優しいとは言いがたい。
地球が大きな変化を加速的させているのは人間が(その気は無くとも)積極的に地球環境を変化、変質させているからだという。自分で自分の乗り物を壊して行くばかが、何処にいるだろうか?最も、それが目に見える範囲であれば、だれしも行わないのだろうが、それが人間にとってはあまりに大きすぎ、また無知であるから気がつかないのだろう。何だかだんだんと写真を撮っている場合では無いような気がしてきた。
今日も仕事はせずに、体を休める事にしたのだが、その分、変なことに気を取られてしまった。
午後出社するもあえなく撃沈
もちろん二日酔いと頭痛で朝起きる事ができない。“久田”は昨日は会社で徹夜をしているというのに…。あまりに申し訳なく、無理をして午後から出社するもあえなく撃沈してしまい、何もせずに自宅にすごすごと帰ってきた。あたしにしては何ものどを通らないので、食事も抜いてひたすら水分だけを補給しつつ、布団にくるまり、血中アルコール濃度が薄まるのを待つ。
夕方5時過ぎにやっとお粥を食べる気力が出てきてやっと起き出す。久しぶりにTVを見た。
トリノオリンピックでは日本勢はメダルを一個もとれていないのだそうだ。あたしはミッシェル・クアンが出場しなくなった時点ですっかり興味を失っていたのだが…。あたし個人的にはどんなにすごい4回転ジャンプもトールマンスピンよりもクアンのスパイラルの方に心がとろけてしまうのだもの。
最もお話はテレビの事。今更久しぶりに見たから、というわけでも無いだろうが、あまりに情けない番組が多い。北海道電塾のオープニングで「デジタル社会におけるTVメディア」という臼井さんのセミナーを聞いてしまったためかも知れない。
テレビを見ながら、その臼井さんのセミナーともう35年前に読んだエッセイを思い出していた。ここからは星新一の気まぐれ博物誌からの要約。
1909年。ほとんど一世紀前の事。新天地にあこがれてニューヨークにルクセンブルグから移住してきた25歳の電気技術者がいた。彼は電気のお店を開店し、「モダンエレクトロニクス」というラジオ愛好者の雑誌を出していた。当時は試験電波が発信されたばかりで、まだ番組の観念さえも無い時代。でも彼は未来は電波の中にあると考えていたのだ。そんな時代に彼は素晴らしい仕掛けを夢想していた。人々の生活水準、教養を高め、科学的な思想を背景に無知や誤解を一掃し、社会から無用の争いが消えて行くもの。家庭でいながらにして何でも見聞できるもの、一家そろって国立劇場のオペラを見、翌日には大学講座を見ることができる。英国のシェイクスピアも観賞できるし、世界中のニュースを見る事もできる。当時ドイツで行われた写真電送の実験などを紹介し、彼はその未来図を力説した。もうすでにお分かりですね。それが「テレビジョン」であると。彼の名はガーンズバック。後にSFの父と呼ばれるようになった人物であり、テレビジョンというその観念が公開され、テレビジョンという言葉がアメリカで始めて活字になったときだ。その17年後にテレビ第一号がイギリスで公開実験され、その後のテレビメディアという物がどのように発達してきたのかは皆さんもご存知の通り。
果たしてガーンズバックが夢見た未来は実現したのだろうか?
電波は確かにその夢を現実にしたが、それに乗っている「情報」は数人のお笑いタレントと数人のチョットだけ魅力的だがおばかな女性で、30分から1時間を占有する。ひょっとしたらコマーシャルの方がはるかに有益な情報を乗っけているかもしれない。
そして無線は逆に有線の世界に飲み込み返されようとしている。インターネットは無線、有線の枠を超えて、世界をつないでいる。
あたしも小学校の時に家庭にテレビと言う物が家庭に入り、ペルシャ絨毯、緞通のような前垂れをかけられたそれを見て、わくわくした物だった。当時は7時は絶対にNHKのニュースを見なければならず、それ以外は大相撲だったと記憶する。三ばか大将、隠密剣士などはもちろんの事、七色仮面やナショナルキッド(これってスポンサーの冠ネームだよね)、遊星少年ソラン、エイトマン(これはまるみやのふりかけ)、スーパージェッター何かも見ていた。小学校に上がると、シャボン玉ホリデーを心待ちにし、最初のお風呂の生コマーシャルと、最後のスターダストの演奏に聞きほれていた。これがあたしのJazzの始まり。娯楽のすべてを否定するわけではないが、願わくばその情報伝達力が「娯楽」のみにならないように心から祈りたい。
二日酔いの頭を抱えつつ、鬼平犯科帳を見て、そのすき間の番組を見ながら、こんな思いが頭の中をぐるぐる回っている。たまに仕事をしない日はろくな事を考えない。
遮光カーテン
午前中に中野サンプラザでちょっとセミナーに参加し、遮光カーテンを買ってスタジオに帰るつもりが結構時間がかかってしまった。最初に家の家具などをいつも買っている、有名な御徒町「たけや」に行き、簡単に買うつもりでいたのだが、窓が大き過ぎて、既製品では存在していない事が分かった。家のスタジオの場合、高さで220cm、幅で合計660cmが必要だ。問題はこれを何枚で作るか、という事だが、結果的に3枚で構成したくらいが最も使いやすかろうという事でこれに決定。しかし、内側がグレーの(それも明るめの)遮光カーテンってほとんど存在しないという事がわかった。
東急ハンズに移動してみると、そこそこのものは見つかったが、かなり高価だ。池袋キンカ堂、中野トーア、と遍歴し、ふと気がついた。ずっと以前毎日のようにカーテンを撮影していた事がある。鎌田のユザワヤだ。今は確か吉祥寺にもあったはず、と早速行ってみると、やっと思い道理の値段でそこそこのものを見つける事ができた。模様のあるものでも、裏がグレーの場合もあるので逆に縫製してもらえればそれもなかなかよさそうだ。
でも、これって銀一さんやなんかで扱ってくれないかしら。スタジオに使える黒くない明るめのグレーの遮光カーテンを探して苦労している方は多いのではないだろうか?
あたしの場合、合計220×600cmで約36000円だった。
その後、セミナーの打ち上げに参加し、つい朝まで飲んでしまった。明日は起きれるだろうか?
運転免許更新
運転免許更新に行ってきた。一般講習だったので書類を書いたり、写真を撮ったりするのに約1時間。講習も約1時間で合計2時間で完了できた。
あたしの誕生日は3月13日。5年前に新潟で40キロオーバーの交通違反をやっているので、3年の更新だ。このときのことも日記に書いた記憶があるが、実はほとんど睡眠をとっていない状態での運転、おまけに台風が近く、雲が激しく流れていた。何とか糸魚川までたどり着き、このダイナミックな雲と糸魚川の風景を撮影したいと空をにらめっこしながら、少々焦っていたのだが、その雲を見ているうちにトランス状態?あるいは半覚醒状態に陥っていたようだった。あたしを付けてきたパトカーはずっとサイレンを鳴らして追いかけているのに、逃げるわけでも無く、また止まるそぶりも見せず、20~40キロオーバーで走り続けているあたしを不思議に思ったという事だ。居眠り運転ならとっくに事故を起こしていたと。多分居眠り運転の手前だったのだろう。
あたしはかなり時間が経ってからバックミラーに映っているパトカーに気がつき、その後サイレンに気がついた。もしもここで捕まえてもらえなかったらきっと大事故を起こしていたに違いない。だからこの違反は私にとっては消えてくれないほうがいい、記念碑? あるいはマイルストーンのような記憶だ。
違反の点数の累積と免許上の行政処分上の違反のとらえ方は全く違い、5年間無事故無違反でないとゴールド免許は交付されない。(免許更新日まで5年間連続して無事故・無違反で続けた場合ゴールドになる。新たに免許を取得してから5回目の誕生日の1ケ月後までが有効である。この場合は5年ではないので注意。)あたしの場合次の免許の更新は5年後なので前回の違反以降10年を費やさないとゴールド免許証は頂けないわけだ。
ゴールド免許が欲しいわけではないけれども…。こんなことは今まで知らなかったのでつい書いてしまった。それよりも気になったのは視力の低下だ。例の片目を閉じたり両目で見たりしながら、わっかの一角がかけたヤツがどの方向を向いているのか、というやつ。だんだん見難くはなっていたのだが、とうとう今回「間違い」をやってしまった。でも試験官は「ほんとに?」「もう一度よく見て」といってくれ、あてずっぽうで「下」というと、「合格」といってハンコを捺してくれた。これで良かったンだろうか? いづれにしろ5年後には絶対に眼鏡が必要だろうなあ。車のフロントグラスにカメラのファインダーのように視度補正機構があればいいのに。
最も今はほとんど車を運転することはない。ほとんどタクシーかアシスタント君の車でOKだもの。こんなわけで次回にゴールド免許になってしまう確率は結構高い。でもこれって結局余り…いいえほとんど運転しないヤツがゴールド免許で、毎日運転しなくてはいけない人はそう簡単にはゴールドになれない。これが現状じゃないか知らん。今の日本で毎日かなりの距離を運転し、いっさい事故や軽い違反無しで運転し切れる人間はどれくらいいる事か?…あたしには無理だった。
ところで自転車の2段階右折って、左折専用車線を直進するんだって知ってました?おまけに通常は2段階右折をしなければならない三車線道路に、逆に2段階右折禁止、というところもあるんだって。
走っている自動車を運転しながら、これだけの情報を一気に判断する自身があたしには無い。携帯電話を使用しながら(もちろんハンズフリーだが)運転する自信を失ったのも車をやめた理由の一つだが、さらに自信をなくしてしまった。あたしは本来は運転免許を返上したほうがいいのかもしれない。でも、日本には写真つきの身分証明証がこれしかないからなあ。実際は運転できないけど形式だけの免許証って無いのか知らん? 本末転用。
2月のセミナー
さっそく午前中に田海さんから「北上川捜索願事件」のお見舞いの電話を戴いてしまった。ほんとに反応が速い。いくつかの打ち合わせを慌ただしく午前中に行い、午後のセミナーにはいる。
今日はカラーマネージメントの項目だった。環境光の講義をしながら、そう言えばあたしのスタジオ、4Fは遮光カーテンになっているけど、セミナーに使っている3Fはまだブラインドのままだった事を思い出してしまった。これでは紺屋の白袴…。早速カーテンを購入する事を決意する。
やはり必要なものは外光を遮り、室内が暗くなり過ぎないような明るめのグレー。もしグレーが存在しなければ、ややブルー。なぜかというと当然太陽光を須古氏でも通すとそこで色温度の低下が起こってしまい、やや暖色側に転んでしまうからだ。そして、できれば分光反射特性が無い事。そう考えると、簡単に人には頼めない。
珍しく今日は午後余り電話が鳴らず、これ幸と速めに帰る事にした。いまだに咳、痰の症状が残る風邪を早く治すためだ。