体重64.6キロ
体脂肪率16.9%
BMI 23.3
内臓脂肪レベル9
体年齢43
体重は横ばい状態。
いや、ここであきらめてはいけない。
今日は7時に起きることができた。…昨日は確か12時に寝ている。全く時間通りということか…。
スタジオでいつもの通り、テキスト書き。午前中にFFGSさんで打ち合わせ。これはトーコロさんのセミナー。午後はもう1件別件のセミナー。夕方から茂手木さんのパーティの流れに合流。
したたか飲んでしまった。
Monthly Archives: 8月 2007
早起きしたい…
体重64.8キロ
体脂肪率17.9%
BMI 23.4
内臓脂肪レベル9
体年齢43
いやいや。こんなに太っちゃって…。
朝ご飯をちゃんと食べるようにしたのがいけないのかしら?
それとも飲み過ぎ??
朝早めに起きたいのだけれども、結局8時過ぎになってしまう。夜、寝る時間が遅いからだね。ついつい1時過ぎに寝てしまうと、今でも7時間は寝ないと一日中眠くてしょうがないため、8時まで寝てしまうのだ。
夜10時過ぎには寝る癖をつければ良さそうなものなのだが…。
50%達成か?
体重64.4キロ
体脂肪率17.7%
BMI 23.2
内臓脂肪レベル9
体年齢43
どんどんレベルが下がっている。一日マシンの前に座っているからだろうか?
何ページということではないが…やっと50%程度までこぎ着けただろうか?あと少し…でもモデルの写真も撮らなくちゃいけないし…。道のりは長いけど、昨日より手のしびれが少なくなった。このところ、マシンの前に座ることがきつかったのだが、今日はつらくなかった。
ひょっとしたら、坂を上りきったのかも…。
9月の半ばまで何とか完成したものだ。
右腕のしびれが減る
体重64.2キロ
体脂肪率17.6%
BMI 23.2
内臓脂肪レベル9
体年齢43
本来は新・優しい電塾の日だが、今月も予約が無かった。ま、テイストを書くという作業が出来るので良いのか悪いのか分からない。しかし、体重が増えたな。
シロクマの翌日は目覚めが悪い。それだけ体力を使っているのだろう。お昼からスタジオに行き、テキストを書く。右手のしびれが少し減ったような気がする。今日ははかどった。
尿酸値は安定
体重63.7キロ
体脂肪率17.4%
BMI 23.0
内臓脂肪レベル8
体年齢42
八戸から帰り、久しぶりに三井記念病院に行き、(そろそろ薬が無くなった)血液検査。尿酸値は6.4。ま、いいところで安定している。この一ヶ月は今までになく酒を飲んでいたので、薬が効いているのか、水をいっぱい飲んでいるのが良いのか、プリン体を多く含んでいる食べ物を遠ざけているのが良いのか、あるいは体重が昨年よりは13キロ落ちているのが良いのか…。どれが決め手になっているのかは分からないけど。
右手のしびれはいまだに治らない。キーボードの上に手を持っていくだけでしびれ出す。これってマシンに触りたくないって事??
シロクマ先生のところに行って治療を受けると何か右手が軽くなったような気がする。
キッチン浄化大作戦第3部 「終戦」
太平洋戦争の敗戦記念日は昨日だったが…。
例によって、早朝20個のゴミをゴミ集積上に運ぶ。初めてこの地域のお隣さんと朝の挨拶を交わしたような気がする。
今日から、キッチンを使って食事を作ることにする。あたしたちは占領軍??
2番目のお兄ちゃんの奥様、朋子さんが朝ご飯を作ってくれた。飯ごうの飯もうまいが、当たり前の、ふつうの朝ご飯はもっとうまい。
庭の雑草がお隣まで伸びているので、それを刈り取り、あたしの荷物をヤマト運輸で東京に送り返す。そう。あたしが戦いに参戦できるのは、今日まで。今夜は最終の新幹線で戦線を離脱しなければならい。
もっとも、あたしたちの203高地…、天王山は既に終わり、後は敗戦処理だけだったといっても良い。部屋の、いや、お家のお家の大掃除もしたかったので、お兄ちゃんに母ちゃんをドライブに連れ出してもらい、そのすきに、玄関、キッチン、階段、2階の床を掃除し、磨き上げる。そうこうしているうちに、あたしたちの隊長…長男が宮古から帰還した。彼らはお兄ちゃんのお嫁さんのお父さんの新盆。つまり別動部隊だったわけだ。
あたしが思っていたよりも早く、帰ってきてくれ、今回はあえないかな、と思っていたのだが、会う事が出来て嬉しい。
戦果を見届けてもらい、最後に風呂を磨き上げ、そのまま自分も掃除する。八戸にいられる時間は短い。(ウルトラマンは3分だが、あたしは3日間)
風呂から上がった頃に、次男と母ちゃん部隊が帰投。既に戦争は終わり、仲良く、戦後復帰を目差す。
あたしはいつものネギを焼いて山盛りの大根おろしとポン酢醤油と小ネギの刻んだ薬味(ねぎonネギといわれた)を披露。結構受けた。
しかし、あたしには時間がない。一緒にのめる時間もそこそこに、タクシーに乗り、八戸駅へ。何で終電がこんなに早いんだろう?
いつも田舎から帰る時は、何だかほっとしたり、ちょっと寂しかったりするのだが、今回は物すごく寂しい。もっと、あの兄弟たちと、母親たちとゆっくりしていたい。駅から「新幹線に間に合ったよ。これから帰る」と電話すると「宴たけなわ、むちゃくちゃ盛りあがっているよ!」といわれて、がっかり。ああ、もう一泊したかった。
新幹線はどんどんあたしを八戸から引き離し、この三日間の戦闘の記憶が遠のいていく。
戦いは終わり、日が暮れ、戦場は遠のく。
どうやら、明日から、また新しい戦いが始まりそうだ。この戦闘日記は、帰りの新幹線の時間ほとんどを費やして書かれた…また無駄なことを!。
新幹線は郡山を既に過ぎ、もうすぐ大宮。MacBook Proのバッテリーは赤くなり、残りは既に10%を切っている。テキストだけの使用なら、何とか3時感知書く動くのだけれども、これって何とか長くできないのかしら?省電力モードって、テキストを打っていても反応が遅くて嫌い。
キッチン浄化大作戦第2部 「魔境・キッチン床下収納庫」
体重を計ることさえを忘れた。
何しろ、ここは朝早くにゴミ車がやって来る。しかも、前日の夜にゴミを出してしまうと周囲の友好国からも国交断絶を言い渡しかれない地域だ。1時間しかねていない眠い目をこすりつつ、朝の奇襲作戦は弁別ゴミの日なので、アルミ缶のゴミ、使えるガラス瓶の塊、使えないガラス瓶とキャップなどの燃えないゴミ、牛乳パックをはがして洗ったもの、古新聞…物すごい作業量になる。分別するのは構わないけど、アルバイト料金くらいは欲しくなる。あるいは金さえ払えば分別しなくても良い、というシステムの方が良いのかも…
閑話休題
昨日の作戦では処理を治めたものの、本日の戦線は、場所が変わり「魔のキッチン下収納庫」あたしの記憶ではここには数多くの梅酒、シソの酒、得体のしれない傷薬、10年もの水産高校特製の鯖の水煮と鯖の味噌煮、漬物などのおぞましい特殊部隊が潜んでいるはずだった。
おっちょこちょいの次男外気なりその蓋を開けようとするのを、「止まれ!止まらんと軍法会議だぞ!」と制止し、その周りに、除菌アルコール、ぞうきん、高性能そーじ機(これも最近買ったばかりの新兵器だ)キチンペーパー一個師団を配備し開けてみるとあらがっかり。 特にたいしたものはなく、割れたグラスやススの付いた鍋、こわれた夜間などで、あっという間に制圧。この作戦は午前中で完了し、あたしの秘密景気で有る“久田”は名誉の除隊をして、あたしよりも一足先に東京へ帰っていった。
2番目のお兄ちゃんと「しおで」にラーメンを食べに行く。煮干しだしのラーメンで、あたしの大好物のひとつ。でもその帰りのかんかん照りの太陽に、思わぬ攻撃を、ダメージを受け、帰ってから2時間ほど昼寝をしてしまった。30分横になる友利だったのに…。
その後は目につく敗残兵を掃討し、新しい什器を導入、投稿した「まだ食える…賞味期限がぎりぎりかその辺りの、人間が食べても良いもの」を捕獲、陳列、その陣地を確保するために、まだ抵抗する母親をなぎ倒し、もったいながる急須や湯飲みの山を次々に処分する。昨日たたき上げた戦果は30リッターゴミ袋5つ分くらいだったのだが…もっとも中身は濃かった…本日作り上げたゴミは燃やせるゴミ(この言い方がもっとも正しい気がする)30リッター16袋、45リッター5袋、燃やせないゴミ、30リッター10袋、45リッター10袋…。皆焼却炉、あるいは強制収容所行きだ。
午後の6時をもって本日の戦闘は終了。その後、すっかり機嫌をこわした母親をなだめるのに、2時間もかかってしまった。
あたし、昨日は1時間しか寝ていないのに。(昼寝は2時間)。さすがにこの日は就寝ラッパが鳴るのも早く、11時過ぎには三々五々、布団に潜り込む。
母親とけんかしてしまったのが気になり逆に寝つけない…。
キッチン浄化大作戦第1部 「レーゾーコの逆襲」
62キロ。勿論、体重計は実家のもので、あたしのうちの体重計よりもいつも1キロは軽く表示するような気がする。
9時、遅めに起床。普通、この時期の青森って言うのは、すでに涼風が吹き、海にはクラゲ。赤とんぼは我が物顔に飛び回る季節なのだが、玄関に備え付けられた温度計は32度を下回る事がない。昨日も思いきり寝苦しかった。東京なら、エアコンをつけるところだが、7月にだって暖房をつけるような待ちにエアコンなどあるはずもなく、ひたすら網戸を頼りに外の空気を入れ替える。寝不足の目をこすりつつ、今日は冷蔵庫を入れ替える。
そう。あたしの親は、がんこものだ。あたしたちが、「古いものは捨てるね」っていうと、途端に態度が硬化する。でも、何とかして冷蔵庫の中の化石化した食物、あるいは得体のしれない液体を処分したいのだ。それで思いついたのが、「新しい冷蔵庫を買おう」運動。
お隣に住んでいる長男が音頭を取り、コジマ電機に勤める次男坊が手配をし、三男坊のあたしが実行部隊ということになる。最前線を任されたあたしと“久田”は、実家では何も食べません、勝つまでは」の心で…それでもこれは素晴らしい作戦だと…。旅順とバルチック艦隊を同時に打ち破った頃の気概で遂に宣戦を布告した。
あたしが片っ端から冷蔵庫の収蔵物を外に出す。“久田”が賞味期限、粘り具合、乾燥の度合いを確認しつつ、これは捨てる、これは次の使命を与えるの殺生決定権を発揮して、これ幸と、冷蔵庫の中身を整理する。新しい冷蔵庫は10時から13時のあだに配送され、そのタイムテーブルは明らかにされていない。いつ来るか分からないのだ。
お尻が分からない状況で、まるで地雷撤去のような作業がこつこつと進められる。そう。家の冷蔵庫は、地雷とトラップのブラックホールだ。これは問題ないかな、と思って開けると、メタンガスのにおいに卒倒させられる。外面のいいタマネギに化かされる。なぜか奇麗な缶詰めが入っていて、安心すると、それは1900年代に賞味期限が切れている。(ま、これくらいは食えるだろうけど)冷蔵庫の中で半分ヘドロになりながら反対側がどんどん延びている不思議なネギ。ちょっとしたディズニーランドだ。
八戸のゴミ回収システムは厳しく、これもあたしたちの作戦行動を困難なものにした。燃えないゴミの分別が6種類くらいあり、おまけに燃えるゴミと燃えないゴミのん見分け方がまるで違う。とても優秀な高温の焼却炉を備えているらしく、あたしたちが当初燃えないゴミに分離したゴミの半分は後に燃えないゴミだと分かり、再分類する羽目になり、戦術的に進行のために撤退を余儀なくされたりした。
2時間も経った頃だろうか? 冷蔵庫の秘境近くから回収されたごま塩が封入されたタッパーが発掘された。
ふたを開けた途端に、小蝿の大群が“久田”を襲撃する。その後に残ったものはその予備部隊の蛆の大群。両方合わせると2個師団位か。“久田”はさすがに卒倒し、あたしの母親にそのタッパーを差し出し「お母さん!こんなになってるんですよ!!」
敵の大将はさすがに貫録を付けて、「あら、それって1年くらいほっといたかしら?」
当方の地雷除去部隊参謀は「これはあたしが宏さんと結婚した頃に見たことがあります!」
あたしと“久田”は16年くらい前に結婚している…。なんと息が長い戦いなのだろう!。太平洋戦争よりも長い歴史になる。
コジマ電機は12時頃に秘密兵器「電気代が安く、今よりもちょっとだけ大きく、金額は安い」新品の冷蔵庫を運んできた。最後の冷凍庫は思いきり素飛ばしてからにして野菜庫はほとんどじゅうたん爆撃。一気に新品と取り換える。しかしここにもトラップがあった。冷蔵庫の後ろにカンズメ。そして引き出しにカンズメ。食器庫にもカンズメ。そして冷蔵庫の下はネズミの糞と10年間の埃の山。(実は10年前にもおなじ作戦行動を取ったことがあるのだ…その時は冷蔵庫だけで住んだのだが…)
冷蔵庫を新兵器に換装しつつ、カンズメの新兵とロートル兵士をより分ける作業が続き、そのうちに2番目のお兄ちゃん夫婦がわが戦線に追加参戦する。この参戦は輸送部隊としての能力が高く(自動車で帰ってきてくれた)さらに細かい新兵器の棚や実家の何処にもなかった住まいの洗剤を調達するための力強い援護となる。午前中はこれをしながら近くのDYIに思いつく度に徒歩で(あたしって歩兵??)買い出しにいっていたのだもの。32度を超す炎天下の中を!。
でもレーゾーコだけでは戦いは終わらなかった。シンクの下、山のようにある段ボール、stock家具の中。賞味期限ととの戦いは長い。しかもそれらの中にはおんなじ黒酢が10っ本も!!。
不要物の撤去、廃棄、にはいちいち、「それはまだ使える」攻撃との戦いがつきまとう。あたしだってほんとはそう思っているわよ!。でも切りがないじゃない。これを捨てて、ちょうどいい大きさのものに替えないと収まりが付かないのよ!。
段々ヒステリックになるあたしを、“久田”も、2番目のお兄ちゃんも、そのお嫁さんも、黙々と片づけ、分別することでサポートしてくれた。
実は午後の4時から同窓会があり、ついつい写真は任せろ!なんて言ってしまっていた手前、早めに行かなくてはならなかったのだ。でも結局電話をして許してもらい、会場に着いたのは6時半。すでに皆でき上がっている。40年ぶりにあった当時の担任、仲間との楽しい時間をあたしはhighになったママ、高いテンションで盛り上がり、気がつくと朝の5時…。
また、癌と闘いながら子供を育て、死に直面しなが生きている友人に合ってしまい(あたしこんな友達はもうすでに3人もいる…。そのうちの二人は昔の彼女だったりして…何とも言えない。)
キッチン浄化大作戦…序章
63キロ位…だって青森だもの
夏の恒例の行事、里帰り。新幹線が延びてくれたおかげでずいぶんと楽になった。
午前中に“ぺこ”を病院に送り出し、あたしたち両親は子供のいない気軽さで手に手をとってお弁当とビールを買い込み東北新幹線に乗り込む。
かつては、特急列車はくつるで8時間。急行の十和田2号だと夜行、しかも夜行で14時間はかかったろうか?。“おかく”が生きていた頃は当然車なので、渋滞の中をまる2昼夜運転する事も珍しくなかった。それが車内でビールを飲んで飯を食って、しかも仕事もして気がつくと実家近くまで運んでもらえる、この幸せはなんとも、ありがたい。もっともお盆の帰省ラッシュ。車内は満員、立ち席があるほどだ。でも車内アナウンスでは、全席指定。指定券がないと乗れないという。じゃあ、たっている人たちは何ナノ?
指定席料金を払って指定席がない。それでも良いという方々なのかしら?
何かうまい方法論って無いのかしら?
途中で「ぼてじゅとう」いう八戸では老舗の料理屋で、お宮のお鮨を握ってもらい(新幹線の中から、明日の「高男」、その次の「喜代志」というすし屋を予約する。こんな芸当ができるのも、携帯電話の発達のおかげだ)
なぜなら、今日からあたしたちは、「実家のキッチン浄化大作戦」の選任実行部隊なのだ。
あたしの実家は今母ちゃん(もちろんあたしの生みの親)が一人で住んでいる。80歳を超し、もうろくも進み、30年取り換えられたこのとの無いキッチンマット、なぜか40ッコ以上あるタマネギ(そのうちの10個はキッチンテーブルの下に積み上げられた段ボール箱したに5~6年埋もれていた。キッチン無いのあらゆるところからタマネギを捜索し、全てのタマネギを発見、処理をしてほっとしてリビングで外を見ると、窓の外に10個くらいのタマネギがつるしてあるという…。
賞味期限が2~3年前に切れた食い物が地層のように折り重なるキッチンで作られたものをあたしは食べたくない。どれだけ、あたしを生み、育ててくれ、かわいがり、慈しんでくれた親が作ってくれても…。今回はそのために、キッチンを浄化し、安心して食べ物を食べられるようになるために帰ってきたのだ。
で、キッチン浄化大作戦が終了するまでは、あそこで作られた食物を口にする気がない。いや、母親にも食べて欲しくない。それで、大盤振る舞い。
特になし
体重63.5キロ
体脂肪率19%
BMI 22.9
内臓脂肪レベル9
体年齢43
いいんだか悪いんだか…。いや、ほんの少しづつ悪いほうに向かっているようだ。食事に変更はないので、多分運動不足だろう。できるだけ歩く機会を増やすようにしなくては。お昼も近くではなく、秋葉原駅の辺りまで出かけることにしよう。
8時に起床。トイレに行って、体重を量り、朝ご飯にうどんをゆでて、“ぺこ”のトイレを掃除してスタジオへ。いつもと変わらぬ日課。