キッチン浄化大作戦第1部 「レーゾーコの逆襲」

 62キロ。勿論、体重計は実家のもので、あたしのうちの体重計よりもいつも1キロは軽く表示するような気がする。

 9時、遅めに起床。普通、この時期の青森って言うのは、すでに涼風が吹き、海にはクラゲ。赤とんぼは我が物顔に飛び回る季節なのだが、玄関に備え付けられた温度計は32度を下回る事がない。昨日も思いきり寝苦しかった。東京なら、エアコンをつけるところだが、7月にだって暖房をつけるような待ちにエアコンなどあるはずもなく、ひたすら網戸を頼りに外の空気を入れ替える。寝不足の目をこすりつつ、今日は冷蔵庫を入れ替える。

 そう。あたしの親は、がんこものだ。あたしたちが、「古いものは捨てるね」っていうと、途端に態度が硬化する。でも、何とかして冷蔵庫の中の化石化した食物、あるいは得体のしれない液体を処分したいのだ。それで思いついたのが、「新しい冷蔵庫を買おう」運動。
 お隣に住んでいる長男が音頭を取り、コジマ電機に勤める次男坊が手配をし、三男坊のあたしが実行部隊ということになる。最前線を任されたあたしと“久田”は、実家では何も食べません、勝つまでは」の心で…それでもこれは素晴らしい作戦だと…。旅順とバルチック艦隊を同時に打ち破った頃の気概で遂に宣戦を布告した。

 あたしが片っ端から冷蔵庫の収蔵物を外に出す。“久田”が賞味期限、粘り具合、乾燥の度合いを確認しつつ、これは捨てる、これは次の使命を与えるの殺生決定権を発揮して、これ幸と、冷蔵庫の中身を整理する。新しい冷蔵庫は10時から13時のあだに配送され、そのタイムテーブルは明らかにされていない。いつ来るか分からないのだ。
 お尻が分からない状況で、まるで地雷撤去のような作業がこつこつと進められる。そう。家の冷蔵庫は、地雷とトラップのブラックホールだ。これは問題ないかな、と思って開けると、メタンガスのにおいに卒倒させられる。外面のいいタマネギに化かされる。なぜか奇麗な缶詰めが入っていて、安心すると、それは1900年代に賞味期限が切れている。(ま、これくらいは食えるだろうけど)冷蔵庫の中で半分ヘドロになりながら反対側がどんどん延びている不思議なネギ。ちょっとしたディズニーランドだ。

 八戸のゴミ回収システムは厳しく、これもあたしたちの作戦行動を困難なものにした。燃えないゴミの分別が6種類くらいあり、おまけに燃えるゴミと燃えないゴミのん見分け方がまるで違う。とても優秀な高温の焼却炉を備えているらしく、あたしたちが当初燃えないゴミに分離したゴミの半分は後に燃えないゴミだと分かり、再分類する羽目になり、戦術的に進行のために撤退を余儀なくされたりした。

2時間も経った頃だろうか? 冷蔵庫の秘境近くから回収されたごま塩が封入されたタッパーが発掘された。
 
 ふたを開けた途端に、小蝿の大群が“久田”を襲撃する。その後に残ったものはその予備部隊の蛆の大群。両方合わせると2個師団位か。“久田”はさすがに卒倒し、あたしの母親にそのタッパーを差し出し「お母さん!こんなになってるんですよ!!」
 敵の大将はさすがに貫録を付けて、「あら、それって1年くらいほっといたかしら?」
 当方の地雷除去部隊参謀は「これはあたしが宏さんと結婚した頃に見たことがあります!」

 あたしと“久田”は16年くらい前に結婚している…。なんと息が長い戦いなのだろう!。太平洋戦争よりも長い歴史になる。

 コジマ電機は12時頃に秘密兵器「電気代が安く、今よりもちょっとだけ大きく、金額は安い」新品の冷蔵庫を運んできた。最後の冷凍庫は思いきり素飛ばしてからにして野菜庫はほとんどじゅうたん爆撃。一気に新品と取り換える。しかしここにもトラップがあった。冷蔵庫の後ろにカンズメ。そして引き出しにカンズメ。食器庫にもカンズメ。そして冷蔵庫の下はネズミの糞と10年間の埃の山。(実は10年前にもおなじ作戦行動を取ったことがあるのだ…その時は冷蔵庫だけで住んだのだが…)
 
 冷蔵庫を新兵器に換装しつつ、カンズメの新兵とロートル兵士をより分ける作業が続き、そのうちに2番目のお兄ちゃん夫婦がわが戦線に追加参戦する。この参戦は輸送部隊としての能力が高く(自動車で帰ってきてくれた)さらに細かい新兵器の棚や実家の何処にもなかった住まいの洗剤を調達するための力強い援護となる。午前中はこれをしながら近くのDYIに思いつく度に徒歩で(あたしって歩兵??)買い出しにいっていたのだもの。32度を超す炎天下の中を!。

 でもレーゾーコだけでは戦いは終わらなかった。シンクの下、山のようにある段ボール、stock家具の中。賞味期限ととの戦いは長い。しかもそれらの中にはおんなじ黒酢が10っ本も!!。
不要物の撤去、廃棄、にはいちいち、「それはまだ使える」攻撃との戦いがつきまとう。あたしだってほんとはそう思っているわよ!。でも切りがないじゃない。これを捨てて、ちょうどいい大きさのものに替えないと収まりが付かないのよ!。

 段々ヒステリックになるあたしを、“久田”も、2番目のお兄ちゃんも、そのお嫁さんも、黙々と片づけ、分別することでサポートしてくれた。

 実は午後の4時から同窓会があり、ついつい写真は任せろ!なんて言ってしまっていた手前、早めに行かなくてはならなかったのだ。でも結局電話をして許してもらい、会場に着いたのは6時半。すでに皆でき上がっている。40年ぶりにあった当時の担任、仲間との楽しい時間をあたしはhighになったママ、高いテンションで盛り上がり、気がつくと朝の5時…。

 また、癌と闘いながら子供を育て、死に直面しなが生きている友人に合ってしまい(あたしこんな友達はもうすでに3人もいる…。そのうちの二人は昔の彼女だったりして…何とも言えない。)