マンションの理事会

昨日の疲れがまだ完全に抜けきってはいないのだが、今日は朝からマンションの理事会があるので、起きなくてはいけない。日曜日なのに…。
理事会は必要事項を淡々と処理し、12時には終了。その後せっかく起きたので。会社に行き、PIEのニコンブースでD200を解説する資料の制作に入る。プリンタのノズルがつまってしまっていて、しばらくうまくプリントができない、という事態に陥ったが、ノズルを清掃してやっとスタート。8時ころに自宅に帰り、皇帝ペンギンの映画鑑賞。本編よりもメイキングが面白いのはドキュメンタリー映画の醍醐味で、なんと2時ころまで見続けてしまった。本編の映像は素晴らしく、ペンギンの位置する生態系、卵やひなを一夫一婦制で守って行く姿には感動を覚えるが、ちょっと感情移入しすぎ。あたしはもう少し淡々としているほうが好きだけど…。
バックの音楽などは、かわいくて良かった。ナレーションがフランス語なのでちょっと違うほうを見ているとすぐに訳が分かんなくなってしまうのには参った。
明日は確かそんなに忙しくないはずなので…。

呉、尾道


朝、7時にすっきりと目が覚める。風邪は押さえ込む事ができたようだ。しかし天候はやはり良くない。朝食をとったあと、も一度寝て10時に呉に向う。ぶらぶら歩きたかったのだが、雨の中ではどうもそういったわけにも行かず、情けない事に戦艦ヤマト記念館に行ってしまった。とにかくおぞましかったのが、人間魚雷。神風特攻隊は本来戦闘機であった物を流用したわけだけれども、これは最初からそのために設計された物。というより、魚雷に人間が入る部屋を無理やり作った物だ。今でいうホーミングの役目を人間にさせようと言う考え。鹿もこれは軍や科学者が考えたのではなく、20歳そこそこの少尉かなんかが考え、自ら実行した物なのだそうな。
尾道に着いたのはすでに3時過ぎ。最初からあまり期待はしていなかったが、雨の尾道もちょっといい物だった。ただし、片手に傘を差し、カメラを抱えてのそぞろ歩きは、結構しんどい。夕方になると、確実に汗と雨ですっかりきている物が湿ってしまい、また風邪が盛り返してきたような気がする。
尾道に戦艦大和の事物大セットがあると言う事に着いてから気がついたが、何だかもう食傷気味でそれはパス。
帰りの飛行機を少し速めて東京に帰るが羽田の上で30分ほど旋回する…。

「南風10号」

昨日とは打って変わった、抜けるような青空の高知。東京や青森と比較して空気の透明度がはるかに高い。当然青空の彩度も高い。東京に住んでいると、これの感覚をつい忘れてしまいそうで怖い。両手に貼り出しようのサンプルとプロジェクターを持ち、ノートパソコン二台にカメラが入ったリュックを背負って歩くのがあまりにきつく(昨日の酒も少し残っているし)写真を取る気力がわかないまま、高知駅にたどり着く。
今日の足は「南風10号」(いい名前だね)。多分こうなるだろうと思っていたので、グリーン車をとっておいたのが正解だった。ゆっくりとくつろいで移動ができる。「南風10号」は四国を縦断し、瀬戸大橋をわたり、岡山にむかう。瀬戸大橋が見え出して、やっとカメラをとり出したが、窓がすごく汚い。昨日の大雨で汚れてしまったのだろう。今回はちょっとついていない。
岡山からは、順調に新幹線で広島に向う。
今日はハイデルさんのセミナー。例によって二次会までご一緒したが、少し熱っぽさがああったのでお先にホテルにチェックイン。なんとまだ7時だ。風呂はやめて風邪薬とお粥を買ってきて今日は早くねる事にする。
インターネットが自由に使えるホテルだったので少しだけ接続したが、明日の天気を見てがっかり。
昨日までは快晴で18度の予報だったのに、曇り後雨になっている。

南国土佐

羽田は曇っていたのでカメラをしまってしまったが、雲の上は快晴で、雲海の中の富士山はすてきによく見えていた。全く悔しい。串本辺りから天候は怪しくなり、土砂降りの高知に迎えられた。セミナーは高知県印刷組合さんの主催。例の「印刷会社に物申す」という物々しいタイトル(これ、郡司さんがつけたタイトル)で約3時間。途中で一回15分ほど休憩しただけで、相変わらずすっ飛ばしまくる。
南国の夜はお酒が豊富。もちろんカツオのたたきが山盛り。オネイサンも山盛りだった。もちろん野球拳なんかはやらない。楽しくお話をしただけ。最後にギョウザとラーメンを(これがまた絶品にうまかった)頂き、ホテルにたどり着くとすでに2時を回っている。明日は午後までに広島に着かなくてはいけないのに!

お仕事は突然に

あたしのふるい知り合いから突然、急いで撮影して!のオファーがあった。本来、今日はいくつかのデータの仕上げ、プリントアウトの作成、いくつかの仕事の見積もりになるはずだったが、急いでエビスに向う。
仕事の相手は、彼女の旦那さんでパスカル。ベルギーの人だ。やり取りはもちろん英語。
長い間使っていなかったのですっかり錆びついているし、単語などほとんど覚えていない。最初は困った物だと思っていた。おまけに撮影する物と言うのが変なイスと変な服。イッセイミヤケの作品なのだそうだ。どのようにでも変化する組み合わせで、彼がやりたい事を理解するのが一苦労だ。
それでも何とかやって行くうちに、怪しげながら、「意思の疎通」ができるようになった。昼飯も食わずに(3時ころにさすがにそばを食いに行ったが)撮影し、7時過ぎに終了。
スタジオに戻り、やらなければいけなかった事を片っ端からかたずけて、明日の準備。
明日からは高知、広島、福山という中国四国地方巡業ツアーだ。

誕生日

今年は“久田”さんのプレゼントがふるっていた。死ぬ少し前のマイルス イン ベルリン。もちろん日本版ではなく、洋物。ものすごく久しぶりにステージの上を歩き回り、ほとんどホモみたいにギターやサックスに寄り添う彼を見た。
それとこれはきっと自分が見たかったのだろうが、ディープブルーと皇帝ペンギン。もちろんあたしも見たいヤツだったので歓迎なのだ。しかし、なかなか二人で一緒に見る機会が無さそうだ。ふるい映画はあたしんちのディスプレイでも充分に見れるが、ワイドスクリーンのヤツは会社にあるiMacG5で見たほうがきっときれいだろう。(どれともこれのためにS2410を買おうかしら?。よっぽど高く着くプレゼントになってしまいそう。

お仕事II

ま、写真で飯を食っているわけだから仕事をするのは当然だ。これが無くなってしまったら、電塾も何もあった物ではない。ただ、今日が日曜日だ、という事を除けば。
昨日撮影したバックの物撮り。以外と手間取り、大変な撮影になった。もちろんだれもお手伝いしてくるはずもなく、一人でコツコツ。粛々と撮影。半日作業だと思っていたら、しっかり8時間かかってしまった。
自宅に帰り、トルームレイダーIIを見る。

お仕事

ま、写真で飯を食っているわけだから仕事をするのは当然だ。これが無くなってしまったら、電塾も何もあった物ではない。ただ、今日が土曜日だ、という事を除けば。
以前、まだフリーカメラマンだった時代にお世話になったかデザイナーの奥様がアートフラワーの教室を開いており、その撮影で久しぶりに早朝から練馬に“久田”と行ってきた。その後夫婦の息子さんはサンマのからくりテレビに出てくる加藤さん。
その撮影が終わり、スタジオに戻ってバッグの撮影。今日はモデル絡みの撮影で、バッグを手に持っている様子のイメージ。“久田”にスタイリング、コーディネートをお願いし、夫婦で一日セットの仕事をするのも久しぶり。そういえば練馬時代はこうやって普通に一日に3社くらいの仕事をこなしていたっけ。天気が良かったので、神田川沿いでロケまでしてしまった。
最もD200を使用したD2Xとのモデルを使用した比較画像がまだ撮れていなかったので、ついでに取る事もできたのでちょっとラッキー。
でみんな帰ったあとに明日の撮影の準備をしていたら、何と言う事だ。モデルを使用したカットをワンカット撮影しわすれていたことに気がついた。
当社の最終兵器、「あたしのかみさん」(=“久田”)に電話をして、出先から帰ってきてもらうことにした。夜の10時ころになってしまったが、手元だけの撮影だったので、最終兵器に登場してもらい、何とか撮影終了。
その後、二つ分の撮影の処理に12時ころまでかかってしまった。土曜日なのに、朝7時に起きて、17時間も移動を含めて働いたわけだ。

誕生日

今日は“久田”の父とあたしの合同お誕生会。父の本当の誕生日は1月なのだが、あたしたちが忙しく、伸ばし伸ばしになっているうちに、なんとあたしの誕生日(明後日が本当の誕生日)が近くなってしまい、なし崩しに「それなら合同で」という事になってしまった。場所は池袋の“文流”というイタ飯屋。結構安くてうまい。特にあたしの好物は「小海老とニンニクのソテー」。以前の物とはちょっと違うが、みんなでお代わりをしてしまった。特に出し汁にパンをつけて頂くとおいしい。
ハウスワインで出た白が以外といけた。きりっとした辛口。しっかりした度数。口の中に残るオイルをうまく洗ってくれる。アラカルトで始めたのだが、前菜をいっぱい注文し、パスタに入った頃には、すっかりおなかがいっぱい。ほとんど前菜で満足してしまった。だんだんこんな食べ方になってしまうのだろうなあ。

万世橋


 そうそう、この撮影にはNikon D200を使用したのだが、18~200mm VRを装着し、薄暗い場所なので、常にVRを効かせた状態で撮影した。装備は、フル充電をしたバッテリーを一個と4GBのマイクロドライブを一個(実はバックアップももって行ったのだけれども、一個のバッテリーでどれだけとれるかを見たかったの)。4GB(圧縮RAWで450カット)撮影し終った時にバッテリーの残りマークが一つになっていた。もう一枚のカードを差し、撮影できなくなるまでシャッターを切ってみたが、30カット程でバッテリーマークが点滅し出して、それ以上は撮影できなかった。(もちろん、予備はもって行っていたのだが)VR+マイクロドライブ(それもあたしのはかなり遅い)の組み合わせは、最もバッテリーを消費するセットだと思うが、こんな物なのだなあ。
 今度エクストリームIIIを使用してわざとVRを効かせない状態でも試してみようと思う。D200のバッテリーの持ちはD70 の2/3といわれるけれども、どうも実質は1/2に感じてしまうのはあたしだけ?。D70のバッテリーがもちすぎるのだという意見もあるけど。
 万世橋駅というのが明治期に作られ、それはそれは素晴らしい駅だったそうな。今の東京駅を、ちょっと小型にしたような感じ。その頃のターミナル駅である、新橋、上野よりもはるかに立派だった。(もっとも設計者が辰野金吾で同一人物なので当たり前だが)
 なぜそんなに立派だったかと言うと、反物、問屋が集まる秋葉原、岩本町に近く、かなり栄えていた事と、中央線の延伸も完成したことなどを受けて、日本初の総合ターミナルステーションとして開発されたのだそうだ。
 その後、現東京駅が完成し、ターミナル機能はそちらに移り、万世橋駅はただの通過駅になってしまい、おまけに関東大震災で完璧にたたきのめされ、その後お情けのような再建はされたものの、結局廃駅となってしまったのだそうだ。
 それでも廃駅になる前に、交通博物館が新橋から移動してきて、それなりににぎやかになったのだが、第二次世界大戦中に不要と決定されたのだそうだ。まさしく関東大震災と戦争の犠牲者だ。その後も万世橋交通博物館として残ってきたのだそうだ。今、ついにその交通博物館も埼玉県に移転する事になり、ついに駅の名残はいっさい無くなってしまう。そういえば、神田川、万世橋の下にも幻の地下鉄駅跡があるんだそうな。これは地下鉄銀座線。
 東洋初の地下鉄として、浅草~上野間に地下鉄銀座線が開業する少し前に、神田川の地下を掘るために難工事が予想され、とりあえず万世橋までの仮駅として使用されたそうだ。もちろん本線が開通した時には廃止され、今では通風口がその名残を止めるに過ぎない。結構乗降客も多く、存続の話もあったらしいが、末広町駅との間があまりに近かったため、はやり廃止されたのだそうだ。
 万世橋というとてもおめでたい名前の駅は、どうも名前とはうらはらに、「早めに衰退する」という宿命を背負っているのだろうか?