運転免許更新

 運転免許更新に行ってきた。一般講習だったので書類を書いたり、写真を撮ったりするのに約1時間。講習も約1時間で合計2時間で完了できた。
 あたしの誕生日は3月13日。5年前に新潟で40キロオーバーの交通違反をやっているので、3年の更新だ。このときのことも日記に書いた記憶があるが、実はほとんど睡眠をとっていない状態での運転、おまけに台風が近く、雲が激しく流れていた。何とか糸魚川までたどり着き、このダイナミックな雲と糸魚川の風景を撮影したいと空をにらめっこしながら、少々焦っていたのだが、その雲を見ているうちにトランス状態?あるいは半覚醒状態に陥っていたようだった。あたしを付けてきたパトカーはずっとサイレンを鳴らして追いかけているのに、逃げるわけでも無く、また止まるそぶりも見せず、20~40キロオーバーで走り続けているあたしを不思議に思ったという事だ。居眠り運転ならとっくに事故を起こしていたと。多分居眠り運転の手前だったのだろう。
 あたしはかなり時間が経ってからバックミラーに映っているパトカーに気がつき、その後サイレンに気がついた。もしもここで捕まえてもらえなかったらきっと大事故を起こしていたに違いない。だからこの違反は私にとっては消えてくれないほうがいい、記念碑? あるいはマイルストーンのような記憶だ。
 違反の点数の累積と免許上の行政処分上の違反のとらえ方は全く違い、5年間無事故無違反でないとゴールド免許は交付されない。(免許更新日まで5年間連続して無事故・無違反で続けた場合ゴールドになる。新たに免許を取得してから5回目の誕生日の1ケ月後までが有効である。この場合は5年ではないので注意。)あたしの場合次の免許の更新は5年後なので前回の違反以降10年を費やさないとゴールド免許証は頂けないわけだ。
 ゴールド免許が欲しいわけではないけれども…。こんなことは今まで知らなかったのでつい書いてしまった。それよりも気になったのは視力の低下だ。例の片目を閉じたり両目で見たりしながら、わっかの一角がかけたヤツがどの方向を向いているのか、というやつ。だんだん見難くはなっていたのだが、とうとう今回「間違い」をやってしまった。でも試験官は「ほんとに?」「もう一度よく見て」といってくれ、あてずっぽうで「下」というと、「合格」といってハンコを捺してくれた。これで良かったンだろうか? いづれにしろ5年後には絶対に眼鏡が必要だろうなあ。車のフロントグラスにカメラのファインダーのように視度補正機構があればいいのに。
 最も今はほとんど車を運転することはない。ほとんどタクシーかアシスタント君の車でOKだもの。こんなわけで次回にゴールド免許になってしまう確率は結構高い。でもこれって結局余り…いいえほとんど運転しないヤツがゴールド免許で、毎日運転しなくてはいけない人はそう簡単にはゴールドになれない。これが現状じゃないか知らん。今の日本で毎日かなりの距離を運転し、いっさい事故や軽い違反無しで運転し切れる人間はどれくらいいる事か?…あたしには無理だった。
 ところで自転車の2段階右折って、左折専用車線を直進するんだって知ってました?おまけに通常は2段階右折をしなければならない三車線道路に、逆に2段階右折禁止、というところもあるんだって。
 走っている自動車を運転しながら、これだけの情報を一気に判断する自身があたしには無い。携帯電話を使用しながら(もちろんハンズフリーだが)運転する自信を失ったのも車をやめた理由の一つだが、さらに自信をなくしてしまった。あたしは本来は運転免許を返上したほうがいいのかもしれない。でも、日本には写真つきの身分証明証がこれしかないからなあ。実際は運転できないけど形式だけの免許証って無いのか知らん? 本末転用。

2月のセミナー

 さっそく午前中に田海さんから「北上川捜索願事件」のお見舞いの電話を戴いてしまった。ほんとに反応が速い。いくつかの打ち合わせを慌ただしく午前中に行い、午後のセミナーにはいる。
 今日はカラーマネージメントの項目だった。環境光の講義をしながら、そう言えばあたしのスタジオ、4Fは遮光カーテンになっているけど、セミナーに使っている3Fはまだブラインドのままだった事を思い出してしまった。これでは紺屋の白袴…。早速カーテンを購入する事を決意する。
 やはり必要なものは外光を遮り、室内が暗くなり過ぎないような明るめのグレー。もしグレーが存在しなければ、ややブルー。なぜかというと当然太陽光を須古氏でも通すとそこで色温度の低下が起こってしまい、やや暖色側に転んでしまうからだ。そして、できれば分光反射特性が無い事。そう考えると、簡単に人には頼めない。
 珍しく今日は午後余り電話が鳴らず、これ幸と速めに帰る事にした。いまだに咳、痰の症状が残る風邪を早く治すためだ。

建国記念日…だからといって特に理由はないのだが

「捜索願」はでたものの、あたしは無事に古川経由の新幹線に乗り、秋葉原に帰って来る事ができた。ホテルに泊まらずに移動と撮影を繰り返してきたので、結構疲れていたようだ。昼まで寝ていて、その後マンション前のそば屋「万蔵そば」でそばをたぐる。“久田”は今日は新年会で明け方にらないと帰ってこないそうなので、そのまま日本酒に走り、ゆっくりと午後を過ごすことにした。

捜索願


ホテルでは、昨日あたしが帰れなかった事を知らなかったらしい。11時過ぎで締め出してしまうっていうのもなんだよね。朝になり、朝食の時間を確認しようとして、あたしがいない事に気がつき、会社に電話を入れた。会社から“久田”に電話が回り、あたしの携帯電話を呼び出したが、電池切れ。昨日のホテルへの電話を繰返しているうちに無くなってしまったらしい。充電器はホテルに置きっぱなしだった。つまりあたしは行方不明。

早速警察に捜索願が出され、地元の警察(これもホテルから200m位のところにある)が部屋を確認し、あたしが撮影にでたまま昨日帰らなかった、という事が確認され、「まさか北上川の撮影に胃って雪で足を滑らして?」と女房殿は思ったそうだ。北国の雪の中の撮影は考えればいろいろな事が頭を駆け巡るらしい。おまけにあたしは携帯の電池が切れてしまった事も知らず、昨日の深酒が効いて9時半までぐっすり。

こんな大騒ぎになっていると言う事を知らないあたしは、のこのこホテルに荷物を取りに戻ったら、ホテルの人が心配していたんですよ! っていう。心配するんならもすこし客の管理をちゃんとして欲しいものだ。鍵をフロントに預けてでているのだから。“久田”に連絡して無事をつげ、警察に出頭して「白いダウンを着た坊主頭の50男はあたしです」って報告。“久田”から聞いたところによると警察の人は「余り叱らないであげてくださいね」ですって。あたしがどこかにしけこんだものだと思ってるようだ。単にホテルに締め出しを食っただけなのに。

なんにせよ一件落着。あたしは「かっちゃん」の車に乗って、ママとお孫さんと白鳥を撮影し、その後登米に戻り、昨日撮り残したいくつかの建物を撮影し、駅まで送ってもらい、東京のスタジオに戻った。早速パスを切るお仕事が待っており、20点ほどパス切りして自宅に帰る。本日の写真は明治に建った小学校の中に復元されていた当時の授業風景。何だかすごく生々しいでしょ?

そうそう、風邪はだいぶよくなったが、咳と痰はまだ残り、咳が続くと頭痛になる。

北上川


仙台をゆっくりと出発し、登米町に向う。自称東北の明治村。明治期の建築物、武家屋敷などが多く残ると聞くので、写真を撮りに一日お休みをもらい、行く事にしたのだ。
釜石等で二回乗り換えをしなくてはならないため、距離の割には時間がかかる。
なぜ、こんな田舎の町がこれだけの繁栄をできたのか? 
答えはひとえに北上川だ。日本海、まわりの北前船は冬はあまりに危険で運航できない。太平洋まわりはもあるが、やはり港まで運ぶ作業が大変。
北上川は東北の中央部を縦断してはるばる下り、東北の富、穀類等の物資を釜石に運び込む役割を担い、柳津から先(旧北上川)はいきなりの急流になるので、北上川を下る東北のすべての富と実りはいったん登米に集まる事になったのだそうな。
そのため、東北地方にしては珍しく、武家屋敷なども多く存続を可能にし、明治期にはお金をかけた建築が可能だったのだそうだ。

写真は夕ぐれる北上川。遠山という当時の船着き、荷揚げの場所だ。そこから柳津側、つまり下流を見ているのだが、この辺りは流れは実にゆっくりでほとんど上下を感じさせない。なるほど、船着き場を作るには持って来いの地形だ。この辺りは流れに任してもほとんど動かないため、河であっても帆をかけていたそうだ。

予約をした旅館は、移転をしてしまっており、元の場所には無かった。インターネット上に掲載されているものは住所も地図も昔のまま。あたしは重い荷物を持ったまま50分近くかかって探し当てなければならなかった。旅館のつもりでいたのに、そこは立て替え時にホテルになってしまっており、全く味気ない。今日は仕事ではないのだから、こんなビジネスホテルには泊まりたくなかったのに。なぜ電話で予約した時に、この旨を伝えてくれなかったのだろう? しかも夕飯は無いのだそうだ…。

そこで北上川を撮影し、その場所にあった看板を見て、「なかむら」という居酒屋に潜り込んだ。あたしはもう充分に暗くなり、呑み始めてもいい頃だと思っていたが、実はまだ5時半だった。

写真を撮りに来ている事など話していると、明日新田へ車でつれて行ってくれると言う。伊豆沼という場所があり、そこに鶴が群を成しており、アマチュアカメラマンが望遠レンズの砲列をなしているのだそうだ。あたしはあんまりそういうのは撮らないんだけれど…。せっかくだし。お話しているうちに、年もほとんど同じと言う事が分かり、ちょっと大騒ぎ。

気がつくと11時を過ぎていた。これはホテルが心配すると思い、電話を入れてみたが、誰もでない。ママが運転代行を読んで送ってくれると言うので(ママの自宅とホテルはすぐそばだった)それに甘えて送ってもらいホテルに入ったが、普通、こういう場合は鍵がフロントに置かれているのだが、それもなく、ベルを鳴らしても誰もでてこない。あたしは仕方なく、さっきまで一緒に飲んでいた地元の「かっちゃん」のお家に泊めてもらう事になった。(彼のうちもホテルの近くだった)

仙台


新幹線の中でうとうとできたので(終点ではないと、どうも新幹線って寝にくい。乗り過ごしたら、結構大変な事になってしまう)仙台に着いたのが何となく今日の始まり。あたしにしては珍しく大雪に迎えられてしまった。今日の私の出番は30分。11時からちょこっと解像度の認識、についてお話した。

実は朝一番のセミナーは私の新・優しい電塾の卒業生が初めてお客様のまえでセミナる、というシーンだったので、それを拝見する事が一番の目的だった。自分が始めてセミナーという物を行った時は、「あのぉ~」と「言い訳」、「自分だけの納得」の連続だった。それに比べれば、加藤氏はやや自信なさげではあったが、きちんとまとめていたと思う。惜しむらくはテキストだけでなく、データを実際にもっと見せたほうが理解はしやすいのではなかったろうか??それでもあたしの時よりずっと優秀!。

久しぶりに博進堂の皆さん、あたしのお兄ちゃんがお世話になっている八戸の夏坂写真館さんと結構遅くまで楽しく呑む事ができた。

また徹夜

午前中はたまった見積もり、請求の整理1月はものすごく仕事したなあと思っていたが、金額的にはさほどでも無く、がっかりする。ここまで忙しい月は生まれて初めてだったのに。やる意味はあるけど、お金にはならない仕事があまりに多かったからだね。

午後から立ち会いの撮影。7時くらいまでかかり、処理は明日にしようとのんびりしていたら…あたしはセミナーの日を一日間違えていた。学校写真関係のセミナーが仙台であるのだが、これが明後日ではなく、明日だったのだ。これに気がついたのが夜の3時。会社に戻り、画像処理をして、FTPで送り込み、予定の仕事をすべて終了させ、7時36分の“はやて”に飛び乗る。

また徹夜してしまった…。

仕事はゆっくりと始まった

今日のロケは時間が自由になるので朝、耳鼻咽喉科に行きのどの調子を見てもらう。少しは腫れが引いているそうだ。会社に少し遅れて社長出勤し、石川と本日のお仕事を分担する。あたしは、市谷のロケにでかけるが、今日は撮影対象がはっきりしているのでなんと三脚とライト、ライトスタンドを一個ずつリュックに詰めて、それだけで出かける事ができた。ワンカッタの撮影だったが、10時30分に出かけ、12時30分には帰ってきてしまった。
あたしの友人に源籐という男がいる。阿佐谷美学校時代からの腐れ縁で今は北海道の夕張に住んでいる。日記にもたまに登場しているのだが、彼の息子がなんと高校を卒業し、しっかり大学に落ち、まるであたしたち(つまり源ちゃんとあたし)が初めてあったころの歳になってしまった。今彼はどのような友達を持っているのだろう?
それはいいのだが、どじぶりはおやじ譲り。今年の入試の検定試験の願書を出しわすれており、夕張からだと銀行振込をしてから願書を出すと間に合わなくなってしまうそうなのだ。そこで、宅急便で願書を東京に送り、“久田”が銀行に振り込み、東京から願書を送付するという、アクロバットをやるは目になった。
万が一、ここでこけると、あたら若い芽を摘んでしまう事になるかも…と思うと気が気ではない。後は無事に受かってくれる事を祈るだけだ。
ちょっとだけ方角が変わって、良い結果になる事もあったりして。
午後は数カットの撮影をし、スキャニングするポジの選択。そして1月はさぼってしまった歯医者に行き、かなり念入りに歯垢をとってもらう。
その後中野の接骨医。今日はお医者さんを三件も回ってしまった。あたしってもう養老院のおやじ??
最後に浅草橋の札幌ラーメン天竜に行ったが、札幌の札幌ラーメンよりも惜しかったかも…。今日は大きな問題もなく一日が過ぎた。さっさと寝て風邪を治そう!

日曜日

今日はさすがにいくつかの撮影をこなさなくてはならない。ま、日曜日だと言うことで、午後からゆっくりスタジオに行くと、いきなり電話とメールの山。これではお休みにならない…。いい加減にしてくれといいたいところ。今日は少しだけ仕事をしてゆっくり体を休めようと思っていたのに、結局夜まで仕事をしてしまった。そういうときはいっさい会社に行かないようにしないといけないね。

また、熱が出始めた。

休日。ついにお休みゲット!!

朝7時に目覚めて薬を飲み、また寝る。お昼に起き出し、お粥を食べて、また寝た。ついに今日は1月2日以来の休日。

夕方、一週間ぶりに風呂に入ることができた。思えば札幌のホテル以来だ。(汚くてごめん。でも風邪をこじらせそうで…。風呂は入らなくとも結構死なないものだと思ったりして)

7時半に“久田”と根岸のレストラン「香味屋」で待ち合わせ。
昨日のハンバーグがむやみに頭にこびりついて、おいしいハンバーグを食べなくてはもう我慢ができなくなった。ここは銀座の帝劇の下にも支店があるのだが、あたしは根岸の本店の方が好き。個人的に味が合うようだ。

んまい!いきなりハンバーグにビーフシチューにオムライスという、どれをとってもデミグラスソース味の三品を頼んでしまった。しかし、これってあたしの大好物三点セットなのだ。ひどい頼み方だが、ほっといてくれ。
最後に、ここは牡蛎料理も得意分野だったと思い出し、さらに牡蛎のグラタンを発注。これで風邪も退散するか?