北上川


仙台をゆっくりと出発し、登米町に向う。自称東北の明治村。明治期の建築物、武家屋敷などが多く残ると聞くので、写真を撮りに一日お休みをもらい、行く事にしたのだ。
釜石等で二回乗り換えをしなくてはならないため、距離の割には時間がかかる。
なぜ、こんな田舎の町がこれだけの繁栄をできたのか? 
答えはひとえに北上川だ。日本海、まわりの北前船は冬はあまりに危険で運航できない。太平洋まわりはもあるが、やはり港まで運ぶ作業が大変。
北上川は東北の中央部を縦断してはるばる下り、東北の富、穀類等の物資を釜石に運び込む役割を担い、柳津から先(旧北上川)はいきなりの急流になるので、北上川を下る東北のすべての富と実りはいったん登米に集まる事になったのだそうな。
そのため、東北地方にしては珍しく、武家屋敷なども多く存続を可能にし、明治期にはお金をかけた建築が可能だったのだそうだ。

写真は夕ぐれる北上川。遠山という当時の船着き、荷揚げの場所だ。そこから柳津側、つまり下流を見ているのだが、この辺りは流れは実にゆっくりでほとんど上下を感じさせない。なるほど、船着き場を作るには持って来いの地形だ。この辺りは流れに任してもほとんど動かないため、河であっても帆をかけていたそうだ。

予約をした旅館は、移転をしてしまっており、元の場所には無かった。インターネット上に掲載されているものは住所も地図も昔のまま。あたしは重い荷物を持ったまま50分近くかかって探し当てなければならなかった。旅館のつもりでいたのに、そこは立て替え時にホテルになってしまっており、全く味気ない。今日は仕事ではないのだから、こんなビジネスホテルには泊まりたくなかったのに。なぜ電話で予約した時に、この旨を伝えてくれなかったのだろう? しかも夕飯は無いのだそうだ…。

そこで北上川を撮影し、その場所にあった看板を見て、「なかむら」という居酒屋に潜り込んだ。あたしはもう充分に暗くなり、呑み始めてもいい頃だと思っていたが、実はまだ5時半だった。

写真を撮りに来ている事など話していると、明日新田へ車でつれて行ってくれると言う。伊豆沼という場所があり、そこに鶴が群を成しており、アマチュアカメラマンが望遠レンズの砲列をなしているのだそうだ。あたしはあんまりそういうのは撮らないんだけれど…。せっかくだし。お話しているうちに、年もほとんど同じと言う事が分かり、ちょっと大騒ぎ。

気がつくと11時を過ぎていた。これはホテルが心配すると思い、電話を入れてみたが、誰もでない。ママが運転代行を読んで送ってくれると言うので(ママの自宅とホテルはすぐそばだった)それに甘えて送ってもらいホテルに入ったが、普通、こういう場合は鍵がフロントに置かれているのだが、それもなく、ベルを鳴らしても誰もでてこない。あたしは仕方なく、さっきまで一緒に飲んでいた地元の「かっちゃん」のお家に泊めてもらう事になった。(彼のうちもホテルの近くだった)