“ぺこ”を車で病院jに預け、“アトム動物病院”さんのサイトの写真のうち数点の色温度を調整し、家のそばの万蔵そばでおそばとビール。午後2時の新幹線にのる。もちろんの車内は満杯だが、また、ビールを2本飲んでしまう。またまた締め切りが迫っている原稿を校正しているうちに爆睡。それでも“はやて”は走り続け、車窓に岩木山が見えるころに、目が覚めた。車内であたしが寝る前から叫びつつづけている子供はまだ叫んでいる。今年は青森県八戸市も34度を越し、熱くて熱くて眠れないと脅かされていたのだが、自宅側の新井田川の河原に立と寒いくらい。自宅に荷物を置く暇も無く、そさくさと飲みに出かける。
八戸で音楽をなりわいにしている嵯峨君を中心に10人ほどのメンバーがそろい、いきなりウエルカム宴会。ほとんど今日しか一緒に飲む機会がないと言うことで鬼とケンカするような勢いで焼酎を11本並べて飲みつづける。東北の歌姫K子ちゃん、すし屋の娘、チャコちゃん、楽器商の戸川さん、永いつきあいになるボーカルの加奈ちゃん、続々と集まってくる。最後に飲んでいたのはジュニアという不思議な飲み屋で、そよ風にのって、や伊東ゆかりの夢見る思い、シャボン玉ホリディーのエンディングテーマのスターダストなどがかかっている。もちろん、このお店の本職はJYAZZバーなので、本来はJAZZがかかっているはずのお店。あたしのシュミに合わせてくれているのだ。八戸に帰るといつもここに寄る事になっている。さすがに朝3時ころにはすっかり寝ている菅野君に二十年ぶりに合ったギター弾きの小山君、飲み屋の大将花田君に、“久田”とあたしだけになってしまった。確か電塾運営委員のPhotoshop エキスパートの方が八戸は不親切、燃えない「冷たい」街だ、とおっしゃっていたが、が、けしてそんなことはけしてない!!ただ、“乗る”のが不得意なだけ…あたしは違うらしいけど。一夜に燃えた八戸の夜でした。
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マシンは壊れる
やはり私のマシンは起動ディスクがすっ飛んでいた。久しぶりに聞く、からん、からんという音は実にいまいましい。もっとも、私は常にまったく同じ起動ディスクのコピーを同じマシンの中に別のハードディスクに保持している。そして基本となるデータ、作業中のデータは全て1T(テラバイト。もう珍しくも何ともないですね)のメインサーバ内にRAID5で保管されているので、個人のマシンが吹っ飛んでも復旧には問題がない。
はずだったのが、なんとエマージェンシー用の起動ディスクからも起動できなくなっていた。普段持ち歩いているパワーブックG4/1.25Gもほとんど同じ構成なので、取り合えずそのコピーで起動させる事は出来たが、メインの起動ディスクはやはり一から鍛え直す事になり、締め切りを二つも抱えたお盆休みの直前はとてつもなくいそがしい事になってしまった。その中でもほっとする事がひとつ。通常なら5本もインストールしなくてはいけないメインのアプリケーション類が一気にインストールできるAdobe Creative Suite。この効果はとても大きかった。
フロスト警部の日記に、書きたい事多くある時はそれだけ書くんだ、というお話しを読んだ。まったく同感である。これはすぐにも書きたかったのだが、あたしは電塾のレポートを書いているので電塾明けは結構頭がいっぱいで日記まで気が回らない、といよりも全部そっちで書いてしまって抜け殻になっているのだもの。
久しぶりにお互いにエールを送り合い、(二人とも申年で仲が善いんですよ)しこたま飲んだ一日でした。なんとなあ熊田熱射病から抜けきれていない…
高千穂
あたしは高千穂に中学生のころからあこがれていた。天孫降臨の場所、という事以上にあの盆地、渓谷、そしてやや荒々しさを持ちながら神々しい山並みの眺めが大好きだったのだ。(いや、まだ一度もその地を訪れた事はないのだが、多分ドキュメンタリーや山好きのお兄ちゃんの本で知っていたのだろう)
昨日、懇親会、二次会、ラーメンとお付き合い願ったお二人のうち、電塾のBBSにも時々登場している長谷さんが私を高千穂に連れていってくださるという。実はレンタカーでも借りていこうかと思っていたのに、ナビゲーション機能付きの運転手と4WDという最強の組み合わせが突然私の目の前に現れたのだ。彼のご好意に完全に甘え、さっそく、デリカで高千穂に向かう事になった。
途中、阿蘇の全容を見せていただいたりしながら、最初に天岩戸神社にむかう。天岩戸は神域で撮影禁止との事でさっさとパスして天安河原に向かう。奥深い流れの上流にそれは位置し、八百万の神々が岩戸開きの相談をしたというところ。なぜか石が積んである。日本は泉はみんなトレビの泉にしてしまうし、河原なんでも賽の河原にしてしまう傾向があるようだ。クマンバチのような蜂に襲われて永瀬さんに退治していただいたりしながら、往復で6キロ近くの石段の上がり降りしてもまだお腹は空かない。昨日のラーメンがまだお腹にのこっているようなのだ。
メインの高千穂渓谷に入るが、さすがに男二人でボートに乗るのは遠慮した。歩いてその深いV字型の渓谷の造形美を楽しむ。流しそうめんをやっていたが、それはさておき、私は高千穂牛の牛丼、長谷さんは鱒寿司そして二人ともビール。なかなか良い感じになってきた。
国見ケ丘に登り、連なる山並みと雲を楽しんでいるうちに遠くからごろごろと雷の音が聞こえてきた。
そろそろ引き上げないと、雨に降りこめられそうなので、撤収する事にしたが、個人的には国見ケ丘の眺めがもっとも気に入った。私はきっと、これを見たくて高千穂にきたのだ。
帰りはいくつかの石橋、灌漑の用水路などを見学して空港に向かう。南九州の石組みの文化を改めて見せつけられた思いがする。高千穂は九州のどの空港からも同じように遠いのだそうだ。
念願の高千穂を堪能した私は長谷さんに感謝しながら、また飛行機に乗って東京に帰る。一日仕事をしないで会社に行かなかったのは久しぶりの事だ。しかし帰って見ると、軽い熱射病にかかっていたらしく、とにかくビタミンと睡眠をとる事にした。
ただし、気になる事がひとつある。会社の私のマシンが起動しなくなり、かたかたいってるのだそうだ。あれって起動ディスクのバックアップを取ってあったっけ?
デジタルカメラセミナー in 熊本 松本コロタイプ。
朝8時15分の飛行機で熊本に向かうが、私はマシンをひろげたまま、爆睡してしまった。そんな私をのせたまま、飛行機は居座る熱帯低気圧のおかげで少々遅れたものの、無事機熊本に到着。早速肝心のセミナー用ディスプレイの設定にかかる。マシンを取り出し、起動をしてここではたと気がついた。電源のプラグについているアダプターが違うのだ。これでは充電できない。すでに機内で少々バッテリーを使用していたので、多分のこりは持って1時間半。取り合えず省電力モードで駆動する事にした。
プロジェクターはナショナルの製品だが、ナチュラル、というモードは sRGB なのだそうだ。確かにそのモードでまともな色彩を得ていた。しかし、190人近い受講生の数があり、かなり後ろの方まで人数がいるので、画面を大きくしないといけない。当然暗くなってしまう。天井の照明を全て消す事で何とかバランスを保った。しかしこれがさらに災いを呼ぶ事になってしまった。
壁に張り出したサンプルでお話しが出来る場合は、マシンを立ち上げずに行い、時間を稼ぐ。しかし、省電力モードのマシンはふと気がつくとスリープしてしまう。全ての照明を消しているので、マシンがスリープすると会場が真っ暗にってしまうことが判明した。仕方なくまた、パワー全開モードに戻してセミナーを続行するが、スリープという手を使えなくなるとやはり消費量は激しく、前半だけで残量が28%と表示され、仕方なく近所のヤマダ電機にスタッフに走っていただく事にした、ノだが、会場の中にすぐそばに事務所があり、アダプターを持ってきて、お貸ししてくださる方があり、やっと私は安心してセミナーをつずけることが出来るようになった。
救う神もこの世には存在しているのだ。
チェックインしたホテルは熊本城の目の前。窓を開けるとご覧の通り。何だか日中にこの部屋で過ごさないのは何だかもったいないほど。
おかげさまでセミナーは滞りなく終了し、懇親会、二次会と熊本の夜は馬刺しと焼酎で更けていく。
最後に熊本ラーメンを食べにいったが、私がみそラーメンを注文したら、ホンマモンはこれや、と別のラーメンを差し出され、結局私はラーメンを2杯食べてしまった。
三回忌
三年ぶりにあるクライアントさんが撮影を依頼してくださった。今回も立ち会いで、新商品のプレオープン用の撮影。三年前というとまだ私達が練馬に住んでいた頃。思い出して仕事を回してくださる、という事は私達にとってとても幸せな事だ。仕事が始まってしばらくして、あの猫ちゃんはまだ元気なんですか?と聞かれた。彼女は“おかく”の事を覚えていてくれたのだ。印象的な猫だったので…と。
こちらに越してからいくらも立たないうちに死んじゃったんですよ。
そのことをお話しすると、残念がってくれた。彼女も今年、まだ年の若い猫を失ったばかりだという。しばらく仕事そっちのけで、向日葵の日記の話題に興じてしまった。
そう。2年前の8月3日朝早く、“おかく”は私達の元から去った。特に何をするわけではないが、今日は“おかく”の三回忌だった。
向日葵の日記を5月に書き終えてから三ヶ月経った。ほとんどの思い出を書き終えてしまったと思っていたらこんな日に“おかく”のことを覚えていてくれる方にまた合う事が出来た。どこまでも一筋縄では行かない猫だね。
臆病猫の“ぺこ”がいるので、いまのところ新しい猫を飼う気が起きない。というよりも練馬の内にいた頃と違って猫との出会いが少ないのだ。家はいつも入り猫。私達が選んで猫を飼うのではなく、猫達があたし達のところを“選択”してやってくるのだ。
また誰かに“選択”してもらう時がきっと来ると思う。それまでは“ぺこ”と“久田”との三人の暮らしが続く。思い出をほとんど書き記したにしても、あたしは今でもその思い出の中でふわふわ遊ぶ事が出来るし。
そろそろ向日葵の日記の中の誤変換を直そうとお思うのだが、それもそのまま。
水漏れ。
スタジオのエアコンのドレンホースが外れ、1時間ごとにバケツを交換する事故があり、自宅のエアコンのドレンホースがつまり、水浸しになった事は前の日記にも書いた。昨日はマンションをでるときに、一階のロビーで天井から水漏れしているのに遭遇した。
今度は何がああるのかと思っていたら、大阪の親戚でとても親切にしてくださっていたおじさんが亡くなったという。翌日がお通夜なのだと聞いた私は、スタジオ改造計画の最後の仕上げ作業を深夜まで行い、夏の礼服を新調し(明日の11時仕上がり)、お昼ころに出かける予定だった。しかし夜になって、お通夜が明日だというのは誤情報で、実は今日すでに終わっていて明日は10時半からお葬式だという事が確認された。なんてこった。
仕方なく冬物の礼服を取り出し、台風で蒸し暑い大阪に向かって5時起きで新幹線に乗ることになった。ああ、熱そう。準備のなんやかやで寝たのが2時半。新幹線の中は爆睡できた。
83歳でなくなったおじいちゃんだが、お別れに数人のお孫さんたちが泣きはらし、お棺のの中のおじいちゃんに触っているのが印象的だった。奥様はその陰に隠れて目頭を押さえておられた。私の知る当人らしく、お孫さんたちにも優しいおじちゃんだったのだろう。
12年ほどもご無沙汰していた親戚のうちにそのままお邪魔し、12年分の昔語りをして東京に向かう。結局帰りは最終列車の一本手前になってしまった。
スタジオ大改造
レギュラーの仕事が一段落し、私もセミナーがちょうど一段落したところ。現在のスタジオに引っ越してから2年半が過ぎ、そろそろスタジオの使い方にもある程度固定できる事、あるいは改良点などが見えて来たので、ここで一気に改造をしようと言う事になった…もっとも言い出しっぺはもちろんあたし。先週の土曜日から2年半使用しなかった余分なものを破棄。あるいはほこりをかぶっていたガラスの小物などはガラスの扉のケースを買ってその中に収納。スタジオの半分を占めていた事務、コンピュータスペースを一気に切り詰めて空き地を作り、蛍光灯ライトで撮影できる小物撮影スペースを確保。先週の金曜日に開始して(というのは燃えないごみが土曜日の収集なので)今日になってやっと形が見えてきたのです。
というのは撮影が無かったはずの月曜日、火曜日に飛び込みの撮影があり、致し方なく見切り発車でスタジオを稼働させてしまったので、ここまでずれ込んでしまったのです。まだまだ、高さを切り詰めてもらったり、新しく発注したごみ箱が出来ていなかったりしますが、大枠では完成といっていい状況にやっとたどり着きました。(そうそう、私達が入っているビル自体も外装の工事で、エアコンの引き込み口の一体化、新しく動力船の引き直しなど、この一ヶ月は大騒ぎでした。外壁の亀裂などを埋めるためのドリルの振動がものすごく慌ててサーバーを停止させ、一時仕事が出来なくなる事もありました。什器の移動で会社のエアコンはドレンホースが外れ水浸しという事もありました。おまけに自宅のエアコンはドレンホースが詰まり、自宅も同時に水浸し。このホースは壁の中を伝って排水されていたので丸二日この熱帯夜にエアコンが使えない…おまけにあたしの住んでるマンションは2階なんで、窓を開けてもちっとも涼しくなく、熱気と騒音でとても眠れたものではありませんでした。マンションの施工会社とエアコン設置、エアコン会社とマジに戦ってしまい。ものすごく疲れました。今は動いていますが、新品交換になるかどうかは一週間しないと答えが出ません。)
仕事はまともにしていないのに、そんな嵐のような一週間でした。さすがにあの熱帯夜は日記を書く気力も出てきませんでした。そのため(エアコンのメンテナンス)に会社を休み、それも後かたずけが遅れた原因のひとつでした。
でも、一生懸命にやった成果でしょうか?今まで自分のスタジオを何度か作り直しましたが、今回はとても気に入っています。ストロボや電源などの配線はほとんど天井を伝うようになり、つり下げ式になりました。(場所が狭いための苦肉の策)やたらに細長いスタジオになりましたが、おかげでモデル撮影は105mmレンズで全身が撮影できるようになりました。普段は二つにわけて真俯瞰用と小物立ち物の撮影セットの二つに別れます。小物セットは簡単に来客セットにも変更できるようになりましたので、今までよりは居心地が善いはずです。ぜひお近くをお通りの際はお立ち寄りください。
何といってもエアコンの機器が良くなった事は特筆ものです。何とかこれで猛暑もやり過ごす事が出来ればいいなと思っています。
さあ、明日は真俯瞰用と小物用のメインライトのセッティングをして、新しい撮影台が納品されるのを待つだけです。楽しみ楽しみ。
湯浅さんのグループ展に行ってきた
キヤノンの柳沢さんにメールでいくつかの質問をしていたら、今日が湯浅さんたちのグループ展(デジタルの戦士たち、キヤノンサロン)のオープニングだという。午前中はどたばたしていたが、午後には一段落し、銀座に向かった。デジタル写真の可能性については私はもっとも期待している人間の一人だと思うのだが、今となってはデジタルだからこそ、というようなよりも銀塩と対等によい写真として評価されるべきものに変化してきた様な気がする。ただ、いじれる事が、綺麗すぎる写真を作ってしまったり、勘違いをしてしまう事もある。私自信も改めて戒めなければいけない。そんな中、ビビッドな写真表現、ストレートな表現が多かったのは好感のもてるグループ展だったと思う。
もっとも私は知り合いが少なかった事もあり、杉森さんや柳沢さんとコロッケ(これ、とてもおいしい)や枝豆とビールをしこたま頂いていた。後から公開したのだが、白いご飯を持参すれば良かったと…。
また今日も飲んでしまった。
夏の大合宿in松本浅間温泉に参加してきた。その3
11時半に眠い目をこすりながら(半分鹿野は寝ていたという説もあるが)最後の公開討論会が終わった。私は2時の電車の切符を持っていたので、少々時間があり松本城、旧制中学などを市内循環100円バスで巡りながら観光写真を撮影して時間を潰した。ふらっと入ったそば屋が運良く蕎麦を切らしていて、打ち立てを食べる事が出来、とてもおいしかったのは幸せ。やっと四日間にわたって毎日深夜から朝まで飲みながら、毎朝早朝に起きるという生活から開放された。(そうそう、大阪に向かう前の日に現代音楽の作曲家の梶君と飲んでいたっけ)今思う事はまだこれだけ体力があるんだなあ、って事だけ。でも中身の濃い日々であった事は確か。直接技術のお話しで“へえ~”というような事はなかったものの、いろいろな方とのお話しでためになるお話し、思わぬ撮影のヒント、撮影の姿勢、営業の秘術など実りは多い。さあ、稼ぐぞ!!
夏の大合宿in松本浅間温泉に参加してきた。その2私はだれ?
宴会には大田原氏が立案したという、“私は誰?”のコーナーに私はこんな姿で登場、といっても昔の写真です。もちろん今はやりたくても出来ません。大学生のころの写真で、体重48キロの時代でした。早川塾長や永嶋氏の写真、郡司さんや前野さん、江口さんといった講師陣の写真、なかなかうけていました。
合宿の中日は朝から深夜までの大セミナー大会。 朝10時から夕方6時まで。こちらは中部、信越電塾さんからレポートがあると思いますので、はしょってしまいます。ただ、こんなに集中的にセミナーを受けたのは久しぶり。また、セミナーの内容がすでにデジタル技術論ではなくどの講師も「仕事をする写真家」像について熱く語っておられたのが印象的です。永嶋氏の「Jpeg圧縮率=値引き率」論には心から感動しました。(しりたい?知りたければ永嶋氏に合いに電塾に来てください)私の仕事の種類によっては“時速8カット以上たたき出さないと儲けがない”論※1に通じるものがあります。まさしく早さも値段のうちです。
最後は私のこの夏のイチ押しのデジカメ、エプソンRD-1の紹介。その地元、エプソンさんから思わぬ贈り物があり、(スキャナー、コピー、プリンタの一体型)激しいじゃんけん争奪戦の上、中部電塾の坂野氏がゲットしていました。(これにもとんでもない大騒ぎだったのですけど…)
二日目の夜は私がいた部屋では郡司さん、前野支部長を中心とする車談義、飛行機談義。私たちのグループはなぜか関西電塾の賞品荒しこと、山本陽子ちゃんをいじって深夜3時過ぎまで(私は早々に退散させていただいたけど)また大騒ぎ。翌日確認した情報によると、阿部氏はまた別の部屋でピクセルスマートの効用について明け方までまさしくセミナーをしていたそうな。
そんな中、私たちがやっと寝ついた朝4時に起き出し、美ケ原高原に早朝撮影に出かけたD1クラブの面々もいたとか。なんと会長の山田氏の一声で11頭ものボルゾイが集結していたそうな。それだけでも凄いイベントになりますね。
※1旧い私の日記を読んでくださった方々は覚えていらっしゃるでしょう。あの頃は毎日今日の撮影は時速10カットで12時間走った、などと書かれていたものです。