島津製作所が高精細画像を広範囲で撮影できるフィルムレスのエックス線診断装置を発表した。しかも感度、解像度、共に従来よりも倍の数値を達成しているという。大きさは17インチ角のセンサーだという。つまり 43Cmの正方形。で…でかい!!いったいいくらするんだろう。
しかし病院にとっては、廃液、後処理、感度、解像感、ランニングコスト等良いことづくめでフィルムを使い続ける理由が見当たらない。となると…これまで銀塩フィルムの巨大な市場として君臨していた病院関係のエックス線用フィルムがついに終局を迎えるようだ。写真の世界では民生機のフィルムはすでに逆転し、プロも東京ではすでに50%の比率になったデジタル化。ついにもう一つのアナログの牙城もこれでゆらぎ出すのだろう。
このニュースを聞いた時、ああ、ついに全てがデジタルに変わっていくターニングポイントを迎えたのだな、と思った。
4年前までは考えもつかなかった事だ。デジタル化の速度はさらに加速されていきそう。
でもこれ、電塾で拝見したいと思うのは私だけ?
写真機ではないけど、すごく気になる。
さて、明日は待ちに待った大勉強会。私はキヤノンさんのブースにいるので、ぜひ声をかけてください。
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Think Padが!
「フォトのつばさ」の余りにも素晴らしい動きに感動し、撮影後の最初の仕事であるセレクト作業を全てこれにしようと、久しぶりにウィンドウズノートを…早川先生に言わせると「永嶋さんは長年のAPPLEへの操を捨てかけ、鹿野は秋葉原に走った」のだが、実は秋葉原では肝心のThink Pad X40のハイスペックモデルがどこでも置いてなかったため購入は不可能で、結果的には価格.comの最安値通販で買ってしまったのだけれども…購入した。スタジオのマシンにも「フォトのつばさ」を入れてあるのだが、ロケの空き時間や移動の時間をもっと有効に使いたいというのがその目的。
今日も400カット余りを撮影し、そこから50カットほどの候補をセレクトし、最終的に3カットのOKカットを得るという作業、つまり、どう見ても不要カットを捨て、残ったもののピントを確認し、これも別にして、残りをこれでもかを比較し、50カットほどまで絞る作業を帰りの電車の中で1時間もかからぬうちに終わらせる事が出来た。スタジオに帰ってからそれらを現像し、最終的に3カットをセレクト。そこまでは実に快調だった。
Think PadにはCDドライブがついてないので、外付けのCDを棚の上に用意していた時、棚においてあったドライバ(物理的なドライバで、プラスとかマイナスのヤツ)をおっことしてしまった。
ドライバはまっすぐに立っているディスプレイの薄いすき間(たぶん5mmも無かったろう)を見事に直撃し、液晶は短い命を終えてしまった。買ってからまだ1週間経っていないのに…。なんとも綺麗だったので写真は撮っておいたのだが…
ショックは大きい。目の前が暗くなった。
ちなみにIBM修理では90.000円。町の修理屋さんでは新製品で在庫が無いとかで、やっても80.000也との事。
X31に買い替えてしまおうかしら?
そうそう、Think Padを購入したので、電塾でも噂のCF32Aも購入した。途端にMac用のドライバも公開され、実に便利に使用している。CF32AとFireWire経由の取り込みとでは、殆ど差を感じない。という事はわざわざUSBのカードリーダーを持ち歩かなくてもよいという事だ。(もっとも予備という事で、持ち歩いてはいるが…)
千駄木の二人展
私にとって大恩あるイラストレーターである根岸さんの二人展が千駄木の雑貨屋さんでオープンしたので早速“久田”と二人でお邪魔してきた。お店の片隅を借りたささやかな展示会ではあるが、独特のタッチで描かれれたサンタさんのイラストとその人形(これは根岸さんのお友達で森さんという方が作られている)や帽子は私達の心を和ませてくれた。サンタさんのクリスマスの準備を描いた塗り絵は私の一番の気に入り。1時間ほど拝見し、近くのフランス料理屋で食事をご一緒する事になり、時期的にボジョレヌーボーに走り、また私的には初めてのチーズフォンデュをつつき、泥酔して帰宅することになってしまった。
もし千駄木付近に足を運ぶ機会がこの一週間にあるのでしたら、ぜひお立ち寄りくださいませ。小さな展示会ではありますが、結構楽しめる事請け合いです。とくに小さなお子さんをお持ちの方は。
About Cloth 二人展 11月29日まで
11時30分~よる7時まで
文京区千駄木2-29-4 Recherche(雑貨屋)にて
カノッサンの屈辱II
島村美紀というカメラマンと知り合ったのはもう10年以上前の事だ。知り合ったその日にお互いに廃虚好き、モノクロプリントにセピア調色、不思議な[ぼかし]好き、という共通項があり、昔は一緒に塀を乗り越えたり、廃虚を撮影して帰ってきたらば車がレッカー移動されていたりと、大変な目にあいもしたが、今は懐かしい思い出。一緒に撮影に行く事はなくなったけれども、いまだに付かず離れずのおつきあいが続いている。
最初は彼女は日大芸術学部を卒業したてで、アシスタントをやってもらっていたのだが、その内にあっという間にカメラマンになってしまい、私がもたもたしているうちに、さっさとどこだったかの大賞を取り、ニューヨークデモ個展を開き、もうすでに20回以上の個展を数える立派な作家タイプのカメラマンだ。
ここのところ招待状を頂いても拝見できない事が多かったのだが、今日はうまく時間がとれ、拝観する事が出来た。
久しぶりの彼女の作品は何だか熟成感が増し、柔らかな廃虚に見えた。徐々に変化するタイプの作家さんなのだと思う。
いくつかの廃虚情報を交換し、またあう事を約束した。
長崎は今日も大快晴だった
五島列島とハウステンボスのどちらに行こうかとずっと迷っていたが、五島列島に行くのなら、一泊はしたいと思い、今回は見合わせる事にした。早朝の出島を撮影しながら湊まわりで長崎駅へ向かい、快速電車でハウステンボスへ。長崎って、駅と湊が隣り合わせであるんだね。ちょっとびっくり。
初めてハウステンボスにきたけど、すぐそばに分譲住宅があり、これがもちろん全て大きな洋館。運河を引き込み、全ての家に船着き場があるというとんでもない所。ヨットの趣味は無いけど、自宅からシーカヤックで遊びに行けるって良いねえ。(でも電車は一時間に一本だ。クラスにはやはり不便か…リタイア生活をここにきめれば孫が喜んで遊びにきてくれるかも…
ま、アトラクションにはあまり興味がないけどパスポートをつかって入り、洋上クルーズやらキャナル(運河という意味。光瀬龍の東キャナルシティってしってます? 高校生のころにむさぼるように読んだのを記憶しています)クルーズは結構快適。5~6分置きに出ているので客が途切れたところで乗るのがコツです。三回のってやっとわかった。
ま、どこに向けても写真は撮れるけど、どうも画一的な社新になってしまうので、それならと、全て105mmマクロで撮ってやろうと決心し、あの広いハウステンボスを全て105mm をつかって切り取って見た。もっともこれも場所が広いから出来る事だね。
今回はバックアップメディアにEPSON製のP2000を持っていった。バックの中にほおり込んでおき、メディアがいっぱいになると次々に差し込んでバックアップすることが出来、最終的に5GBのバックアップが可能で、途中でどんな絵が取れていたのかも確認できる。ホテルや船内で PowerBookG4 15 inch にさらにバックアップ。こんな使い方で、最後にはバッテリーマークがでたが、これだけ出来れば十分でしょう。すぐれ物です。
長崎は雲ひとつ無いピーカンだった
12日の夕方から長崎印刷工業組合主催のセミナーに参加してきた。セミナーは第一部がカラーマネージメントが走れる道を作ろう。第2部がデジタルとアナログの違い。二つまとめてデジタルデータが正しく渡る道すじ、といういつものお題目ではあるが、夜の6時から9時までという遅い時間にもかかわらず皆さま一生懸命に聞いていただけたことが、幸せであった。
当日はセミナーが夕方からとあって、早朝に出かけ、長崎につき、観光、というか私の好きな羊羹じゃなく洋館の写真を撮りまくるためだ。しかしオランダ坂と間違えて何でもない坂を上ってしまい、かなり上に登ってから間違いに気づき無駄な体力を使ってしまった。長崎は例によって快晴である。晴れ男の面目躍如だ。やっとたどり着いた大浦天主堂は内部撮影禁止で、哀しくグラバー邸に上る。登ったところで下から簡単に登れるエスカレーターがあったのに気がつきしょげ返る。
長崎は交通信号が少ない。飛ばすことが出来ないほど坂道が多いせいだろうか? そして驚くほど猫が多く、皆丸々と太っている。おまけに飼い猫でもなさそうなのに、人に慣れている。あちこち道に迷ってさまよったおかげで20匹くらいの猫に遭うことが出来た。中でも洋館の休憩所に寝そべっていたコは3ヶ月くらいの小猫で“おかく”にそっくり。喉をなでると首を伸ばしてごろごろという。そのまま引ったくって東京に戻りたいという欲求を押さえつけるのにものすごく苦労した。この子をつれて還ればあたしは幸せだけれども、この子はマンションの中で飼われてかわいそう…この素晴らしい環境に比較すると、東京のマンション暮らしは最悪だよね。
サーバ容量拡張大作戦。
当社のサーバはRAID5が約700GB。その他の死なしておきたくないデータ倉庫に240GB。合計で約1テラバイトという構成だったが、1年を越した頃にもう行き詰まり出してしまった。そこでRAID5の分は増やせないが、データ倉庫の容量を拡張する事になった。今まで240GBだった第二サーバを250GB×4の1テラバイトに拡張。もう一台のマシンに250GBを2台搭載し、これは高速処理を目指してRAID1のストライピング。合計で2.2テラバイトになった。秋葉原の格安店の250GBのハードディスクが殆ど姿を消していた週があったはずで、その犯人は私です。
冗長データを持っていないサーバはなんの意味があるのか、と聞かれそうだが、実はRAIDをかけていないサーバーは、将来のデータ移行用で、全てまったく同じデータが120GBのハードディスク10台に記録され、自宅に保管してあるのだ。私はこれを手動遠隔ミラーリングと呼んでいる。
長期間の保存を考えた場合、どんなメディアでも、いずれ時がきて、読めなくなったり、壊れたりする。という事はある意味、常に新しいメディアに乗せ変えながら、長い保存期間を生き延びていくしかないのではないだろうか?
であれば、新しい体を乗っ取りながら不老不死を実現するSFを何かで読んだ事があるが、これを地で行くしかあるまい、と思うようになった。そうなると、データ移行をいかに簡単にするか、という方が問題になってきた。そこで1テラサーバが登場したわけだ。
これなら、丸一日かければ、全てのデータが、新しいメディアに移行できるし、手間もない。もし、CD-R(もう使わないか)、DVD-R(これだって、現行タイプはもう旧タイプになろうとしているが)などにバックアップしておいたとしたらば、メディアを乗り換える時にものすごい手間になる事は火を見る事よりも明らかだ。
そこで、現在1メガ当たりの単価がもっとも安い、120GBと250GBのハードディスクを選択したのだ。
なぜ120GBが入っているのかというと、当社にはまだ古い135GB以上のビッグドライブを認識できないタイプが半数を占めているからだ。
これもいずれは淘汰されていくのだろう。
話しは少し変わるけれども、私達はいつまでお客様のデータを保存しておく義務があるのだろう?
もし、このまま画素数競争が続き、16ビットのPhotoshop データを保存していたら、きっと死んでしまう。そこで提案。
撮影後のデータ保存はあらかじめ契約に入っていないはず。(銀塩の時代はフィルムを渡してしまったら、それで終わりだったはず)
デジタルになって無制限に保存の義務を背負わされてしまう前に、契約時に、2年、ないしは3年の保証期間を設けてはどうか?
チラシなんかは2年以上前のデータを使った事がない。
これって1年2ヶ月で十分だね。(一年前のデータを要求された事はあるし、在庫処分を考えれば、これは妥当な線)カタログなどは3年保管したらお役ごめんです。
電化製品だって保守部品の保守義務はせいぜい5年くらいだったと思う。
ただ、このような商業的な写真じゃなく、アーカイブしなくてはならない写真…もし土門拳の写真だったら別なんだろうと思うけど。
個人の写真にはやはりDVDとハードディスク2枚という三重バックアップをかけているのだが…あたしの写真ではあまり意味がないよね。パブリックに訴えるものの場合はまた別なんだろうけど。
CANON EOS 1Ds Mark II
昨日キヤノンさんで写真館、キヤノンクラブのメンバーを募った発表会があった。カメラだけでなく、プリンタ、プロジェクター(これが凄い。値段としては60万円でけっここう高価なのだが、今100万円オーバーで売られている反射がた液晶パネルというもので、投射された画像はプロジェクターと思えない色乗りがあり、細部もしっかり見えている。こんなプロジェクターがあるとは実は私知らなかった。)
なども展示され、望月氏がセミナーをやっており、私は奥で撮影のデモンストレーションをやっていた。
1600万画素という実力はご多分に漏れず、全身を撮影して顔がきちんと解像する。350dpiで立て36Cmの出力が問題なく可能だ。A3とは行かないが、A4をはるかに凌ぎ、これはもうレンズの解像能限界に達したと思う。下手なレンズをつけるとがっかりしてしまうだろう。
後一息で4×5の力を持った35mmデジカメがこの世に登場するのだろう。そういえばマミヤさんも2200万画素を100万円を切って販売すると発表していた。これはまだ触った事がないのでなんとも言えないけど。でもダルサのCCDを積んでいるんですよね。という事はそれなりの実力はきっとあるに違いない。転送スピードやドライバソフトがついてきてなくては意味がないけれども…
モデルさんは初めての方だったけれども初々しい肌の綺麗な方で至極満足。メイクさんとモデルさんと一緒に記念撮影。そういえば20年ぶりくらいで写真館時代の先輩に御会いしたが、ちっとも変わっていない。私といえば当時の3倍くらいに膨れ上がってしまっていて、しばらくは気がついてもらえなかった。その三瓶さんにシャッターを切ってもらった。
いったい今回の新製品ラッシュ、どれを買うのか(買えるのか)まったく迷ってしまう。おまけに今日見ると AdobeRGBノ色域を保証するLCDがナナオさんから発表されている。60万円以上はするんだろうなあ。
稼いでも稼いでも追いつかないあたし…
久しぶりに望月さんとのんでしまった。
沖縄!第三日目
9時ころに新垣君からこれから迎えにきてくれるとの電話が入り、やっとベッドを抜け出す。久しぶりにいっぱい寝たようだ。今日は新垣君が沖縄を案内してくれるというので、私の“趣味の廃虚”を目一杯リクエストしておいたのだ。写真は最後に観光をしたおきなわワールドの玉泉洞入り口でNikon D100で撮影されたもの。出口ではシータを使用したプリントアウトを¥1000で売っていた。写真の左右のお姉さんはサービスなのだろう。右側のお姉さんはとても綺麗だったがお持ち帰りは不可との事だった。私の隣が新垣君。
最初は米軍のダンスホール跡。通常基地の中だと申請をしないと無理なのだがこれは基地の外なので金網を乗り越えてもいきなり撃たれる心配が無いというので安心して撮影。
結構大きなものだが、廃虚としてはまだ若い。生活感がやごみが散乱していて、いまいちだが天井や窓辺には自然が侵食をし始め、少しいい感じになってきている。後20年もすると廃虚としての風格を備えてくるかもしれない。落書きはそこそこ上手だった。
その後世界遺産に指定されている中城(なかぐすく)城趾を見学。素晴らしい石積みに感動する。芝生も青々として、少し標高が高い所為か、吹き抜ける風が心地よい。沖縄にしては高い位置に存在するので、眺めも抜群。その中城の正門の向こうに今は使われていないリゾートホテルの廃虚があった。此処は巨大で多くの部屋、ホールがあり、まわりがジャングルのようなので、自然が人工物を侵食、風化させる力も強いようだ。全てを数えたわけではないが100程度の部屋があり、すべり台やプール、建築途中の構造物など、私の廃虚マニアとしての好奇心は満足させられた。でも中城の方がもっと良かったかな?とにかく広大な廃虚で歩き回っているうちに息が切れてきたし、そばの薮の中は「ハブに注意」の立て札がある。
ほとんど地元の人間だけでいっぱいに埋まっているお店で沖縄そばを遅めの昼にいただいた。ソーキそば、というのをもらったが、これが実にうまかった。ソーキとは豚のあばらの事を言うのだそうで、そばという割にはお腹がいっぱいになるものだった。
海に行って見たのだが、私の想像する沖縄は玄関がまっすぐは見えない垣根や塀に囲まれて、低い琉球瓦にシーサーが乗っている、と思っていた。そしてその細い道を緩やかに下っていくと、白い砂とヤシのビーチがあり、水着のお姉さんがパラソルのしたに転がっている…
実際のそんな家は数えるくらいで、琉球村にでも行かないと見られない。そして沖縄のビーチはは黒い砂にタイミング的に家族連れ、ヤシの実はほとんど見られなかった。
知念村の斎場御嶽を見学。此処から四方に向かって祈るのだそうだ。この聖地も世界遺産。沖縄はジャングルだったとおもう。一軒家の廃虚を案内してもらい、今日は廃虚三件を一気にはしご。最後に私が沖縄らしい風景を見たいというので琉球村で観光。沖縄をたっぷり堪能させてもらった。
中身の濃い沖縄。セミナーはうまくいったかどうか?今後のワークフローがうまく行くかどうか、全ては基本にかかっていると思う。
私は出来rだけ多くの情報を伝えようとしたが、結局はこれだけ。露出、ホワイトバランス、適正な解像度。そしてバランスのとれたデータ。それを実現させるための環境作り。これさえ落ち着いたら、なのも問題はないはずです。心から、成功を祈ります。
沖縄!第二日目
昨日が昨日だったので、ものすごく心配していたのだが、何とか朝7時半に起きる事が出来、朝食をとった。海藻を混ぜ込んだお粥はなかなかのもの。新垣君も赤い目をしながら時間通りに迎えにきてくれた。
写真は最後にモデルの役目をしてくださったデザイナーさんとのツーショット。独身。
セミナーは10時から始まり、デジカメのデータの素性、観察環境、ディスプレイキャリブレーション、Photoshop の設定で午前中は目一杯。
昼食を挟み、ホワイトバランスと露出の重要性、データの適正化、平均化、トーンカーブマニュアル、色相・彩度マニュアル。此処ですでに3時をまわり、予定をオーバーしていたのだが、先方からもっと続けて欲しいというリクエストでもう一時間、CMYKデータとRGBデータ、解像感とコントラストとシャープネス。JpegデータとRAWデータの解説を行い、もう一度休憩を挟み、実際に撮影して見ようという事になった。
デザイナーさんの一人にモデルになってもらい FUJIFILM Fine Pix S2 Pro を使用して撮影。メイン光と抑えの光のコントラスト、トップライトのバランス、適正目標値、などを実験し、いきなり、これだけ大量に情報を詰め込まれても、理解しきれないな、と思いながら、6時過ぎにセミナーを終了した。
同じ部のデザイナーさんの送別会があるというので、そのまま今日も一緒に流れ、またまた飲み会に参加した。女性連は子連れで参加し、盛り上がる。沖縄の飲み会は元気が良い。仕事を終え、食事をしてお風呂には入り、9時ころにそろりそろりと飲みに出かけるのだそうだ。
時間は一応決まっていても、順繰りに集まってきて、帰りもそれぞれの事情でさらさらと帰っていく。誰もそれを無理にとどめもしない。何だかいいもんだなと思った。それでもさすがに8時間しゃべりっぱなしだったので10時ころにはすっかりつかれ、ホテルに戻った。
途端に携帯電話のベルが鳴り、横島さんからの電話。
「鹿野さん、大丈夫ですか!」
「何が大丈夫なの?」
「雨ですよ雨。」
「いや台風はとっくに行ってしまいましたよ。」
「今テレビで秋葉原駅が冠水しているって言ってますよ」
「あ、そっか。あたしは今沖縄なんだ。」
「!!」
心配してわざわざ電話をくれたのである。ありがたい事だ。そういわれてテレビをつけて見ると、確かに凄い台風で、トラックは横倒しになるは、千代田区は腰まで浸かった人が歩いているはで、此処は我が女房殿に心配しているふりをしておこうと電話すると
「今日は雨なんで目一杯買いだめして6時まで寝てたんで知らなかったのよ」
「起きてテレビ見たら確かに凄かったわ」
とのたもうた。ま、マンションだからそんなに心配することも無かったか
実はその台風の影響はその後私に振りかかった。ホテルのエッチビデオが写らないのだ。フロントに文句を言うと、子のビデオは東京から送信されているのだが、電波状態が最悪で、申し訳ない、との事。なんだつまらない。さっさと風呂に入って寝ようっと。