9時新大阪発の新幹線に乗り込み、名古屋で乗り換え。特急信濃は普通席がとれなかったので久しぶりのグリーン車。名古屋から松本までの2時間をゆっくりと過ごせたのは幸せ。12時に松本につき、1時にはセミナー会場の浅間温泉に入る。さあ、これからはただの受講生だ。あっそぶぞお!!
と思う間もなくセミナー開始。内容はきっと中部電塾がレポーとしてくれるだろうかからそちらに任せて、宴会、お風呂、また宴会。またまた深夜まで飲んでしまった。お風呂の大騒ぎのCMS談義は3階の部屋まで聞こえていたそうだ。うるさかったろうなあ。2泊3日のセミナーの始まりでした。
Author Archives: sika
関西JAGTのセミナー、デジカメ実践編。
つい先月も関西電塾に参加したばかりなのだが、その関西電塾の小林様に誘われて、JAGATに参加する事になった。いつものカメラマン向けのセミナーと違い、全てが製版、印刷会社の関係者。どうしても緊張してしまうものです。すでに電塾の助教授、阿部氏が第一回の基礎編を行っているのだが、やはりデジタルカメラのデータの素性を理解してもらうのが基本だ。綺麗なデジタルデータはどんなものか、ということからお話しを始めました。
“綺麗な”RGBデータは、環境(ディスプレイのキャリブレーションとPhotoshop のカラー設定)、露出、グレーバランスの三つに尽きる、という事だが、カメラマンではない彼らには多分、目新しいお話しだったろうし、なぜそんなことをわざわざ聞かなきゃいけないのか、という疑問もあったと思う。実はこれを知っていただくのは必須項目だったのだ。これを知っていただく事で、初めてどうしたらまともにきれいなRGBデータを受け取る事が出来るのか、という事を知る事が出来ると私は考えているのです。
その後、RGBチューニングは目的によって変化する事…Color Ginius DC やピクチューンなどの変換ソフトを通すにはどちらかというとリニアよりの展開をしておいたたほうがよいがプロファイル変換でそれをやると結果的に地味な印刷ができ上がってしまう。プロファイル変換は魔法の変換ではなく、あくまでLab上の元の色彩と極めて近似した新しい色空間上の位置に色彩をプロットするものだという事が大前提です。つまりトーンリプロダクション、カラーリプロダクション、おまけにハイライトセットアップがRGB上で完成されている必要があるのだ。変換ソフト、テーブルを使用する場合トプロファイル変換をする場合はおのずと違ってくるでしょう。
プロファイル変換が一般的になればなるほどRGB上での色補正、トーン補正が必要になってくるでしょう。もうRGBはわかんないとか言ってる場合ではありません。そこで16bitを使用した色補正、変倍、シャープネスとアンシャープマスクに付いて解説を付け加えました。ここまで来ると、カメラマン相手とさほど変わらないですね。大幅な変更こそRGB 上で行っておくべきです。
最後に撮影時の失敗を救済するとして偽色の低減方法、ノイズの利用法を解説。時間足らずで焼き込み、覆い焼き、修復ツールまでは解説できなかった のが残念です。
私のセミナーはどうしても色彩を含んだ再現にかかる比重が大きい。そのためNEC三菱電機ビジュアルシステムズ株式会社 RDF225WGを借り出していただいたのですが、ディスプレイを切り替て画面が小さくなった途端に、後ろの席はディスプレイがみえなくなってしまったようです。改めてプロジェクターのセッティングに sRGBモードがあるエプソンのプロジェクターのありがたさを実感しました。もうこのクラス以外のプロジェクターではセミナーはやりたくない。
今日はそのまま大阪に宿泊。明日は松本に入る。福島さんと連絡が取れ、安くて、うまいすし屋と御機嫌なバーに連れていっていただき、深夜まで飲むことになりました。福島さん、楽しかったです。ありがとうございました。タクシーにホテルニュー大阪とホテル新大阪を間違えてつれていかれたのにはまいったけど。
ちょっとびっくりした事
銀一製のシルクグレーカードをご存知の方も多いでしょう。ご使用になっている方もかなりいらっしゃるはずです。基本的にロットの差が少なく、値段も安い事もあり(2枚highって1100円)、私も愛用していますが、ちょっと青っぽい気がするのです。試しにマクベスと同時に撮影し、マクベスのグレイスケール(明るいところから三番め)でグレーバランスをとるとR109, G110, B112位になります。もっともこれは十分許容範囲に入っているのですが、少し気になります。せっかく安定しているのだからもう少しRGB 値がそろうと良いな、と思っていたのですが、なんと、裏の白いところはR216, G216, B215と素晴らしい数値を出していました。そこで最近はこれを半分ずつ裏表で張り合わせて使用しています。
もう一つ。エプソン純正のフォトマット紙。これも私の常用のペーパーなのですが、これがR215. G215. B219と少々青い。もしやと裏をためして見たら、R211, G211, B211ときれいにそろっているではないですか?意外なところに無彩色が存在していました。
探すともっと身近にありそうですね。
笠井様から聞いた塩ビの水道パイプもなかなか良かったです。ハンズで売っていた塩ビのシルバーグレーの板もR110, G111, B111と結構良い数字でした。これは60×90Cm位あるんで広角レンズを使用する時には便利ですよ。
奈良
朝、6時に目覚ましで起きるが喉がからからで頭が痛い。どうやら昨日、宿に着いてから追加したビールが効いたようだ。つい、もうちょっと、と二度寝したらすでに9時。慌てて近鉄線で奈良に向かう。
奈良、明日香は私が大阪の大学に在籍した一年間、ほとんど学校に行かずにぶらぶらしていた場所。古都という事もあり、そんなに大きな変化を見せていない…はずだたのだが、明日香はまるっきり変わっていた。石舞台はばかでかい公園になり、亀石は完ぺきに見せ物になってしまっている。昔は畑の真ん中や山すそ、道端にひっそりと風情があったものだが…。
奈良のお寺さんも以前より撮影禁止が多くなり、不自由になった。しかし、そのたたずまいは20年前と大きくは変わらない。小雨の煙る風景を目指して来たのだが、11時ころからすっかり晴れて強い日差しが降り注ぐ古都になった。実はエプソンのRD-1 を使用したテスト撮影にこの奈良を選択したのだが、東大寺は伽藍の中も撮影自由で、以外と面白い写真が撮れたとおもう。薄暗いところでもミラーショックから開放されるというのは大きなメリットだ。ついでにレンズシャッターというものがあっても良いかな?
このところ歩き続ける事がなく、ほとんど座りっぱなしだったので、ちょっとあるくともう足が痛くなってくる。早々に切り上げて新幹線で東京に。6月の電塾レポートでも紹介したが、ノートブック用の汎用外付けバッテリー電源を今回は持ってきた。ロケの間のバックアップ、新幹線と活躍し、Photoshop をばりばり使用して2時間強、持った。後は内蔵バッテリーで2時間弱。合計で4時間をフルパワーで駆動できた。これはありがたい。
関西電塾
一年半ぶりに関西電塾にお伺いした。今回は、きれいなRGBデータとは何か、を根掘り葉掘り、阿部さんのように重箱の隅をつつき回すようにやろうと6~9時間分のプログラムを用意してお伺いした所、シンボリックコントロールさんのピクチャーラボやNEC三菱電機ビジュアルシステムズ株式会社 さんのRDF225WGというAdobe RGB色域をカバーするディスプレイの紹介があり、3時間ほどのセミナーになってしまった。
しかし、ピクチャーラボはPhotoshop と並んで完全にカーマネージメント対応のソフトであり、よい意味での無個性のソフトだと思われる。仕上がりが「標準的なの」を目指したところ、フェーズワン社の仕上がりに近似した、というのもなかなか面白い。また、汎用ソフトの割りには独自のファイル形式を持ち、どんなRAWデータでも自信のファイル形式に変換し、現像パラメーターを保持してRAW のまま再保存が出来るという特徴を持っていてこれは評価できる。もちろん、RAWからの書き出しにも自信を持っていて、他の汎用ソフトにけっして負けない仕上がり、直接エプソンのプリンタにCMSを適用させて描き出し出来るなどのアドバンテージも持っている。
また、RDF225WGも初めてこのディスプレイを見た方々にはショックだったようだ。実際にその場で撮影したデータをディスプレイに写し、DDCP(ファイナルプルーフ)で出力するという、離れ業をやってのけていた。実は今回は富士写真フィルムさんの会場をお借りして行ったので、そんなことまで出来るのだった。
私は話したりなかったのか、二次会でしゃべりまくり、声が嗄れてしまい、タンタカタンという青じそ焼酎ですっかり記憶がどこかえ行ってしまった。今日は大阪に一泊なので安心していた所為だろうか?昨日に40ページの原稿を仕上げてしまう事が出来たからだろうか?
ジムホール
二ヶ月ほど前の話。久しぶりに事務ホール…じゃない、ジムホールという名前をテレビで観かけた。富士通の JAZZ ELITE 2004 で日本にやって来るのだそうだ。女房が久しぶりにライブに行きたがってるあたしを見て、インターネットでチケットを検索してくれ、なんとうちの会社のすぐそばのライブハウスを探してくれた。こんなところ(神田岩本町といえば繊維問屋街。およそJAZZとは縁が無さそうに見えた)でやるんだ。お一人様10000円というかなりのお値段。それでも大きな会場でほかのグループと一緒にやるのを見るよりは、と、こちらの方のチケットを取ってもらった。それが昨日嵐がさったあとに行ってきたライブ。
かって私がジャズにもめり込んだのは10代の半ばから25歳くらいまで。増尾好秋がソニーロリンズのバンドにいた頃(1970年ころか?)からマイルスのアガルタを確か新宿の横断陸橋の橋の上で(やたらに小気味よく響くムトゥーメのコンガの音が印象的だった)聞いていたころまでだった。むろんロリンズは大好きで、ザ・ブリッジやドントストップザカーニバルのサイドメンにジムホールがいた。そのころの彼はほとんどリーダーアルバムは出していなかったように記憶しているが、名だたる名盤、あるいは名演にちょくちょく顔を出している俗に言う「サイドメンとして最高」のプレイヤーだったように思う。取り立ててものすごいテクニック、とは聞こえないが、小気味のよいバッキングや見事なコード進行、和音と単音の絶妙な融合。大好きなプレイヤーの一人だった。アランフェスを録音して一躍日本で脚光を浴びたのはあたしが熱心にJAZZを聞いていた頃だとに記憶している。(ディスコグラフィーを調べたら1975年の事でした)
さて久しぶりに再会した(もちろん向こうは私の事など知らないのだが)ジム・ホールは当年とって75歳。かなり猫背がひどくなり、いかにもおじいちゃん然としていた。最初は何だかヴェーベルンの様な音楽で始まったのだが、それはあたしの知ってるジムホールではない。彼もこの年になってこんな事を始めたのかしら? まるで一時代のマイルスが譜面を描いたような曲であまりメロディアスではない、しかもギンギンの変拍子。おまけになんだか指がおぼつかない感じでミスタッチが多い。ああ、今日のジムおじいちゃんは大丈夫なのかしらって心配になってきちゃった。
しかし、太鼓の人がむちゃくちゃかっこいい。本人は普通のいかめしい黒人で愛嬌はあるのだが、太鼓ってこんなにいろんな音色を持っているのかと思わせるテクニックの持ち主。激しいドラミングはいっさいないが、実に軽快な、しかもこむつかしいリズムを軽やかにたたき出す。ベースももちろん(白人の大男)見事で、実力の半分くらいで演奏しているふうに思える。取り合えずこのリズムに身を任せていれば心地よいと思った。
4曲目くらいにボディ&ソウル(やっと知ってる曲が出てきた)を演奏し、これが編曲がかっこいい。バースからずっとアドリブで、終わりのコーラスになってからやっとテーマが出てくる。指の動きも滑らかになり?それ以降は皆が知っているバラッドやセントトーマスなどの演奏になった。実は計算していたんだろうね。前の方で実験的なものをやってしまおうって。もちろんスカイラークもやり、ラウンドミッドナイトも。久しぶりに美しいバラードを聴かせてもらった。コード進行と8種類以上の音色とメロディアスなライン。ジムホール節も随所に現れ、すっかり引き込まれて心地よく揺れているともうおしまい。あっという間だった。彼は丁寧にアナウンスし、タイトルだけでなく作曲者名も話してくれた。最後にアンコールでアランフェスのハシリを軽く演奏し、もうこれ以上はやんないよ、て感じ。おじいちゃんだから観客もそれ以上は要求しないが今日は日本公演の最終日なのだ。も少し聞けても良かったのにと思ってしまう。
実は写真を撮れたら良いなと思ってRD-1に28mmをつけてひそかに持ち込んだのだけれども、そんな隙は無かった。私たちは前から三列目の比較的よい場所にいたのだが、すぐとなりがレジでお兄ちゃんが座っており、直接許可を取るというわけにも行かなかったのでライブハウス外側の写真をとってしまった。
にしても良質の音楽…音だけでもものすごく良かった…を堪能できた事は嬉しい事。幸せな一日です。
50mmF1.4
Nikon D70用にまたレンズを買ってしまった。モデル撮影があったためだが、私はニコン系でそれにふさわしいレンズを持っていなかったのだ。
昔々、今はまったく使わなくなってしまったAGFA STUDIOCAMというスキャナータイプのデジタルカメラのマウントがニコン仕様で、そのために買ったmacro55mmと同じくmacro105mmはまったく使用しなくなってしまった。その理由はNikon Capture4.1のごみ取り機能が使えないためだ。そのためにわざわざシグマのmacro50mmを購入したのだ。そこで、まったく使用しなくなってしまったこれらのレンズを持って中野のフジヤカメラに持ち込んで見た。(腰の治療にいくついでもあったので)
なんとこれが日本で1万円で下取りしてもらえたのだ。そこで勇んで50mmF1.4を購入。合焦スピードには難があるが、75mm相当という焦点距離やレンズの明るさにはまったく問題がない。今日は“ぺこ”しか撮っていないが、そのうちにまた使用感をレポートしようと思う。
あ、そういえば昨日浅草橋の駅で大方さんと田海さんに偶然お会いした。やはり35mmF2はニコン系のデジタルカメラに相性が良いと言うお話に終始した。皆さん同じ感覚をお持ちのようだ。
眠れぬ夜。最近は写真が無いなあ。
シロクマ…といってもあの南極だか北極だかに住む獣の事ではない。“久田”やその妹、母、それにあたしが通っている中野にある整体の先生の事だ。全ての治療が終わり、まっすぐに立とちょうど正面に寝ころんだシロクマの写真が貼ってあり(これは本物の白熊)それが目に飛び込んでくる。先生の雰囲気がその写真の熊に似ているという事で、私たちの間では尊敬と感謝を込めてシロクマというニックネームで呼ばれている。そのシロクマさんのもとになかなか治療に行けないでいる。おかげでどうも最近寝起きが悪い。寝起きが悪いだけならまだしも、昨日はまったく眠れなかった。もともとあたしは寝つきが良いほうで、布団に入るとすぐにいびきをかいているのだが、昨日はどうしても眠れなかった。久しぶりに早朝に出なくてはいけないロケだったせいもあるのだろう。転々としているうちに4時になってしまい、ここで寝たらばもう決して起きれないと判断し、車を引っ張り出して出かける事にした。鹿島神宮に向かう道は早朝という事もあり、がらがらにすいていて、80キロ順光で走っても1時間半もかからずに現場に到着して、さて、ここでしばらく眠ろうと思うのだが、やはり眠れない。
今書いている連載と新しく引き受けたムックの構想が、昨日、一昨日とうまくまとまらずに困っていた。テキストも写真のセレクトもほとんどケリがついているので、久しぶりに土日を休み、一気にまとめてしまおうと思っていたのに、だらだらと時間を過ごしてしまった。われながらなんのために休んだのかわからなくなり、情けなさも手伝って、ふてくされたように阪神巨人戦を見ていた。そのまま飯になり、あまり面白くないSF映画を見ているうちにいきなり、ここからまとめていけばいいのだ、天啓のようなものが(大げさな)ひらめいた。そこで、ぱたぱたとまとまり始めてしまったのがいけなかったのかもしれない。すっかりアドレナリンが出てしまったようだ。こういう時でもきちんと寝る事が出来るようにヨガや精神修業を積まなくてはいけないなと思いながらも凡人の悲しさ。結局コンピューターをたたき起こし、仕事をする羽目になってしまう。今日はちゃんと寝れるだろうか?
真珠の耳飾りの少女
真珠の耳飾りの少女、という映画を見てきた。タイトルを聞いた時、フェルメールの絵にしては耳慣れないタイトルだな、と思った。私は青いターバンの少女、として記憶していたのだ。
フェルメールという人は、彼が生きていた頃はかなりもてはやされた画家だったのだが、没後忘れ去られ、近世になって発掘された画家だという事も手伝い、その絵の詳細やタイトルもはっきりしないため、画題をそのままタイトルにし要する場合があるため、國、あるいは個人個人で違う呼び方をするのだろう。日本では“青いターバン”が一般的なようだ。
映画はフェルメールの伝記、というよりも、その絵の題材となった少女のお話。画家自身はこの映画の中ではホンの付け足し程度の存在だった。 ちょうど今フェルメールの中心としたフランドル派の展覧会が上ので行われているのでそれの自主タイアップかもしれない。
とにかくあの絵を題材にしていると合って期待どうりの美しい画面でおまけに至る所に婦長が隠されている。
お話だけ出てくるレンブラント、巧みなロウソクなどの光源を使ったシーンの後にラ・トールの話。カメラオブキュスラの現物。土間、台所などの風景はまるでシャルダンの絵を見るようだ。屋根裏部屋で絵の具を顔料から練っているところや鉱物、貝殻などを砕いているシーンは、その後フランスにおいて画期的な発明(チューブ入りの油絵の具)がなされるまではこんな事をして“絵の具”を得ていたのだ、という事を感じさせてくれる。実はフレスコ画や日本画などはいまだにこの世界なのだが。
主人公が時折見せるしぐさはまさにフェルメールの絵そのもの。もっとも彼の絵画はその性格がまさに「写真的」なのだから、もっともな話だ。深い陰影をあの堅いガンマ値を持つ映画の中で再現するのはよほど現像屋レンズ選びにに骨が折れた事だろう。(もっとも二ヶ所くらいどうしても色彩が合わないところも存在していた。現像の温度かレンズの質が違ったのかもしれない)
画家自身のアトリエが映画の中で描かれているのが興味深い。彼はほとんどの作品を自分のアトリエに構成して制作したらしい。そのため現存する作品の中から(特に今都美術館で公開されている画家のアトリエは善い素材だったろう)そのアトリエを再構成したようだ。
何だか立て込みのセットを見ているようで興味深かった。というか、あれはこの映画のために立て込まれたセットなんだろうなあ。という事は想像した立て込みのセットを再現した映画のための立て込みセット?
絵画とは写真の生みの親だが、まさしく、現在写真が合成、変形などで一枚の絵を仕上げている状態を実ははるか以前に地で行っていたのだね。
お話の内容はたいした事の無い(あたしにとっては)物だったが、2時間もの間、気持ちの良い写真を動画として見る事が出来たのは幸せな事だ。この映画を絵画的という人もいるのだろうね。私にとっては実に写真的な映画だったのだけれども。
映画館は銀座のシネスイッチだったので、5丁目の竹葉亭にお茶漬けを食べに行った。ネットで調べて行ったのだが、評判通り、お茶漬けはおいしかった。鯛茶漬けが絶品。しかし、うなぎが出てくるのが早い。あれはすでに用意されていないとあんなに早くは出せないだろうと思う。確かにおいしかったのだが、浅草の前川にはかなわないような気がする。ま、値段がまるで違うけど。実は会社のそばにも、神田菊川、ふな亀、といった有名どころがあるのだが、まだ行っていない。
それよりもほんとは登亭に行ってひつまぶしを食べたかったんだけど、ここは日曜日は5時で終わっちゃうんだよね。
この週末は久しぶりに休ませてもらいました。昨日は整体にもいけたし。幸せです。
向日葵の日記
向日葵の日記を書き終わってしまった。実はProfessionalDTPに連載を始める事になり、あたしみたいな人間が連載を二本も抱えるなんて(向日葵の日記はまったく個人的なものなんだけれど)これは身の程知らず。締め切りを守るためにも、そろそろ終わらせなくてはいけないと思たのだ。そういうわけで、実は2月ころにはもう書き上がっていたのだが、何だかこれをアップしてしまうとまた、“おかく”と別れなくてはいけないような気がして、小出しにしていたのだ。
それでも出しているうちに最後のネタまで放出してしまったので、一昨日の電塾で自己主張のときにこの報告をさせてもらったのだが、思わず拍手を頂いてしまった。とても嬉しかった。嬉しくはあるけれども…
新しい猫を飼う気にもなれず、“久田”と“ぺこ”をとり合う日々が続いている。最近の“ぺこ”は私へのなつき方の進展が著しく、夜などはあたしのおなかにくっついて丸まっているので“久田”が焼きもちを焼くほどだ。
そろそろ、誤字、というか誤変換文字を直したいとはおもっているのだけれども、何時の事になるやら。この日記は私のサイトに残っていますのでものすごく暇のある方はぜひ、遊びにきてくださいませ。