ジムホール


二ヶ月ほど前の話。久しぶりに事務ホール…じゃない、ジムホールという名前をテレビで観かけた。富士通の JAZZ ELITE 2004 で日本にやって来るのだそうだ。女房が久しぶりにライブに行きたがってるあたしを見て、インターネットでチケットを検索してくれ、なんとうちの会社のすぐそばのライブハウスを探してくれた。こんなところ(神田岩本町といえば繊維問屋街。およそJAZZとは縁が無さそうに見えた)でやるんだ。お一人様10000円というかなりのお値段。それでも大きな会場でほかのグループと一緒にやるのを見るよりは、と、こちらの方のチケットを取ってもらった。それが昨日嵐がさったあとに行ってきたライブ。

かって私がジャズにもめり込んだのは10代の半ばから25歳くらいまで。増尾好秋がソニーロリンズのバンドにいた頃(1970年ころか?)からマイルスのアガルタを確か新宿の横断陸橋の橋の上で(やたらに小気味よく響くムトゥーメのコンガの音が印象的だった)聞いていたころまでだった。むろんロリンズは大好きで、ザ・ブリッジやドントストップザカーニバルのサイドメンにジムホールがいた。そのころの彼はほとんどリーダーアルバムは出していなかったように記憶しているが、名だたる名盤、あるいは名演にちょくちょく顔を出している俗に言う「サイドメンとして最高」のプレイヤーだったように思う。取り立ててものすごいテクニック、とは聞こえないが、小気味のよいバッキングや見事なコード進行、和音と単音の絶妙な融合。大好きなプレイヤーの一人だった。アランフェスを録音して一躍日本で脚光を浴びたのはあたしが熱心にJAZZを聞いていた頃だとに記憶している。(ディスコグラフィーを調べたら1975年の事でした)

さて久しぶりに再会した(もちろん向こうは私の事など知らないのだが)ジム・ホールは当年とって75歳。かなり猫背がひどくなり、いかにもおじいちゃん然としていた。最初は何だかヴェーベルンの様な音楽で始まったのだが、それはあたしの知ってるジムホールではない。彼もこの年になってこんな事を始めたのかしら? まるで一時代のマイルスが譜面を描いたような曲であまりメロディアスではない、しかもギンギンの変拍子。おまけになんだか指がおぼつかない感じでミスタッチが多い。ああ、今日のジムおじいちゃんは大丈夫なのかしらって心配になってきちゃった。

しかし、太鼓の人がむちゃくちゃかっこいい。本人は普通のいかめしい黒人で愛嬌はあるのだが、太鼓ってこんなにいろんな音色を持っているのかと思わせるテクニックの持ち主。激しいドラミングはいっさいないが、実に軽快な、しかもこむつかしいリズムを軽やかにたたき出す。ベースももちろん(白人の大男)見事で、実力の半分くらいで演奏しているふうに思える。取り合えずこのリズムに身を任せていれば心地よいと思った。

4曲目くらいにボディ&ソウル(やっと知ってる曲が出てきた)を演奏し、これが編曲がかっこいい。バースからずっとアドリブで、終わりのコーラスになってからやっとテーマが出てくる。指の動きも滑らかになり?それ以降は皆が知っているバラッドやセントトーマスなどの演奏になった。実は計算していたんだろうね。前の方で実験的なものをやってしまおうって。もちろんスカイラークもやり、ラウンドミッドナイトも。久しぶりに美しいバラードを聴かせてもらった。コード進行と8種類以上の音色とメロディアスなライン。ジムホール節も随所に現れ、すっかり引き込まれて心地よく揺れているともうおしまい。あっという間だった。彼は丁寧にアナウンスし、タイトルだけでなく作曲者名も話してくれた。最後にアンコールでアランフェスのハシリを軽く演奏し、もうこれ以上はやんないよ、て感じ。おじいちゃんだから観客もそれ以上は要求しないが今日は日本公演の最終日なのだ。も少し聞けても良かったのにと思ってしまう。

実は写真を撮れたら良いなと思ってRD-1に28mmをつけてひそかに持ち込んだのだけれども、そんな隙は無かった。私たちは前から三列目の比較的よい場所にいたのだが、すぐとなりがレジでお兄ちゃんが座っており、直接許可を取るというわけにも行かなかったのでライブハウス外側の写真をとってしまった。

にしても良質の音楽…音だけでもものすごく良かった…を堪能できた事は嬉しい事。幸せな一日です。