真珠の耳飾りの少女、という映画を見てきた。タイトルを聞いた時、フェルメールの絵にしては耳慣れないタイトルだな、と思った。私は青いターバンの少女、として記憶していたのだ。
フェルメールという人は、彼が生きていた頃はかなりもてはやされた画家だったのだが、没後忘れ去られ、近世になって発掘された画家だという事も手伝い、その絵の詳細やタイトルもはっきりしないため、画題をそのままタイトルにし要する場合があるため、國、あるいは個人個人で違う呼び方をするのだろう。日本では“青いターバン”が一般的なようだ。
映画はフェルメールの伝記、というよりも、その絵の題材となった少女のお話。画家自身はこの映画の中ではホンの付け足し程度の存在だった。 ちょうど今フェルメールの中心としたフランドル派の展覧会が上ので行われているのでそれの自主タイアップかもしれない。
とにかくあの絵を題材にしていると合って期待どうりの美しい画面でおまけに至る所に婦長が隠されている。
お話だけ出てくるレンブラント、巧みなロウソクなどの光源を使ったシーンの後にラ・トールの話。カメラオブキュスラの現物。土間、台所などの風景はまるでシャルダンの絵を見るようだ。屋根裏部屋で絵の具を顔料から練っているところや鉱物、貝殻などを砕いているシーンは、その後フランスにおいて画期的な発明(チューブ入りの油絵の具)がなされるまではこんな事をして“絵の具”を得ていたのだ、という事を感じさせてくれる。実はフレスコ画や日本画などはいまだにこの世界なのだが。
主人公が時折見せるしぐさはまさにフェルメールの絵そのもの。もっとも彼の絵画はその性格がまさに「写真的」なのだから、もっともな話だ。深い陰影をあの堅いガンマ値を持つ映画の中で再現するのはよほど現像屋レンズ選びにに骨が折れた事だろう。(もっとも二ヶ所くらいどうしても色彩が合わないところも存在していた。現像の温度かレンズの質が違ったのかもしれない)
画家自身のアトリエが映画の中で描かれているのが興味深い。彼はほとんどの作品を自分のアトリエに構成して制作したらしい。そのため現存する作品の中から(特に今都美術館で公開されている画家のアトリエは善い素材だったろう)そのアトリエを再構成したようだ。
何だか立て込みのセットを見ているようで興味深かった。というか、あれはこの映画のために立て込まれたセットなんだろうなあ。という事は想像した立て込みのセットを再現した映画のための立て込みセット?
絵画とは写真の生みの親だが、まさしく、現在写真が合成、変形などで一枚の絵を仕上げている状態を実ははるか以前に地で行っていたのだね。
お話の内容はたいした事の無い(あたしにとっては)物だったが、2時間もの間、気持ちの良い写真を動画として見る事が出来たのは幸せな事だ。この映画を絵画的という人もいるのだろうね。私にとっては実に写真的な映画だったのだけれども。
映画館は銀座のシネスイッチだったので、5丁目の竹葉亭にお茶漬けを食べに行った。ネットで調べて行ったのだが、評判通り、お茶漬けはおいしかった。鯛茶漬けが絶品。しかし、うなぎが出てくるのが早い。あれはすでに用意されていないとあんなに早くは出せないだろうと思う。確かにおいしかったのだが、浅草の前川にはかなわないような気がする。ま、値段がまるで違うけど。実は会社のそばにも、神田菊川、ふな亀、といった有名どころがあるのだが、まだ行っていない。
それよりもほんとは登亭に行ってひつまぶしを食べたかったんだけど、ここは日曜日は5時で終わっちゃうんだよね。
この週末は久しぶりに休ませてもらいました。昨日は整体にもいけたし。幸せです。