私が“おかく”と暮らしていた頃、岡谷のとある小さな百貨店に毎週撮影に同行してくれていたデザイナーさんからSOSのメールが飛び込んできた。社内のデジタルフォトのワークフローを何とか良い方向に持っていきたいので助けて欲しいという内容だった。
どう見積もっても2泊3日のスケジュールになり、最初はセミナー料金がかかるよと脅かしたのだが、彼は周りの知りあいのカメラマン、デザイナー、製版にも声をかけ、社外からも仲間を募り、何とか航空チケットや宿を手配してくれるという。
そういわれるとこちらもその気になり、かれこれ10年以上前の知りあいからのSOSに何とか答えてあげたいと考え出しついに、彼のふるさと、沖縄にでかける事になった。
今年は毎週台風が週末になると訪れており、今回も出発の金曜日、沖縄に向かう飛行機は台風とすれ違う事になり、どうなる事かと冷や冷やしたが、飛行機は大きく台風を迂回し、無事に那覇空港に到着する事が出来た。私のその友人は新垣君といい、空港まで出迎えにきてくれていた。
彼の運転でホテルにチェックインだけして早速会場のセッティングを始めたが、アイワンでプロジェクターのキャリブレーションをしていると、それを見ていた新垣君の上司はいたく感銘を受けた模様で、早速アイワンを購入しようといい、その場でいきなりシャープネスの講習会まで発展してしまい、そのまま夕食、というか飲みに入り、大盛り上がり。ホテルに帰るとすでに3時を回っておいた。
そういえば、確かにおいしい店だったのだが注文してから小皿や付け出し、料理はどんどん並ぶのだが、いつまでたってもビールが来ない店だった。変なの。普段だったらきっと起っているが此処は沖縄time。珍しく広い広い心でやり過ごす事が出来た。
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“ぺこ”の宝物
“久田”が何かあのライブでもらってきた小型のマラカスは“ぺこ”の大のお気に入り。音がするのところころ転がってくれるのがいいのだろう。しかし、ある日を境にそのマラカスが見当たらなくなった。
そこで時間が出来た日に大捜索をする事になった。
ずいぶんベッドの下を掃除していないことに気がつき、試しに棒を突っ込んで見ると、埃の中から出てくる出てくる。
私が無い無いと言って探していた掃除機のアダプター、ソフマップの抽選で外れたドラえもんのウマカ棒。以前のお気に入りだったスーパーボール。私の枕の中身の塩ビ製の中身。それに私が散らかしたビニール結束具。“久田”が無くした指輪。そして問題のマラカス。
何でもかんでも遊んでいるうちにベッドの下に転がし込んで、そのまま忘れ去っているらしい。
残念ながらすっかり忘れていたへそくりのたぐいは出てこなかったが、ベッドの下が綺麗になって少し満足。
久しぶりに、実に久しぶりにお休みをした日曜はずっと雨が降っていたので、白い巨塔を2本、四話分を鑑賞し、こんな事をしていた。
“ぺこ”のいたずら。
自宅用に固定になってしまっているiBookがある。
突然ディスプレイがブラックアウトしたり、ほんの少しの振動でフリーズするようになってしまっていたし、さすがにG3/500MHでNikon Capture4.1やPhotoshop CSは駆動するものの、使い物にはならない。
そこで“久田”の自宅用のマシンとなったのだが、朝起きると、そのiBookのキーボードが飛び散っている。どうやらこれで爪研ぎをしたものらしい。どうしても見つからなかった英数キーをテーブルの裏のさらにそのおくから発見して何とか修復をした。
いたずら好きの“ぺこ”は最近“おかく”のような顔をする事がある。“おかく”が乗り移ったのかと思うほど、ものすごく賢そうに見えてしまうのだ。それなりに熟成してきたのだろうが、その顔が2分と持たないのが何だかいかにも“ぺこ”らしい。
中部電塾
今回は私の建築写真というテーマでのセミナー。自分が普段やっている事をそのままお見せできればいいと思っていたが、どうも中途半端でおわってしまったような気がする。というのはやはり普段の仕事は集中している中でいくつかの事を同時進行させながら処理をしており、説明しながら処理をするのは勝手が違っていたようだ。明部と暗部を合成する方法、色温度の差を収集させながらトーンを統一させる方法など、仕込んでおいた部分はかまわないのだが、細かいところのチューニングを説明し出すとうまく行かない。
なれたつもりでもプロを相手にするセミナーは肩が凝るものだ。
それと今回はあまりに新製品の情報が多い。Nikon D2X 、CANON EOS 20D、 FUJIFILM Fine Pix S3 Pro 、コニカミノルタα7デジタル、イストD、ニコン クールウォーカー、匠プリント。実はこれだけで4時間は使ってしまう内容だもの。
あまりの腰の痛さに、今回は我が大蔵省である“久田”に特別にグリーン車で行ってこいと暖かいねぎらいの言葉をかけてもらい、往復ともらくちんをさせてもらったのだが、実は帰りの切符を9時32分で取ってしまっていた。これは朝の9時32分だったのだ。当然、帰ろうと思い名古屋の新幹線のホームに行くとそんな電車はない。当然、(半日前にでているのだもの)乗り遅れているわけなのだがあ
まりに時間の照合があった所為か、車掌さんは空いているところにどうぞ、といってくれた。ありがたい事だ。感謝。
中部電塾では結構ショッキングな出来事があり、少し頭がくらくらしているが、取り合えずこれで一連の騒動が終わる。この件につてはまた後ほど。
このところ、満タンになったサーバの移行に手間取っている。ハードディスクからハードディスクへの移行なのでそんなに大変では無いと思っていたのだが、ところがどっこい。問屋が卸さない。
当社のサーバはギガビットに変え、1ギガバイト1分の転送速度を誇る。ほとんどローカルディスクと変わらぬ速度だ。しかし、120GBのディスクが8っこあるのだ。一個に関して2時間はかかる。しかもパーミッションの設定で転送できないデータがあちこちに隠れていた。そのほとんどはノートンが作ったファイルで、これに当たると転送が止まってしまう。いちいち、不可視ファイルをはずして転送しなくてはいけない。
というわけでいまだにサーバの移行は現在進行形。実に手間のかかる仕事になってしまった。
便利なようで、以外と存在する落とし穴。あたしはコンピュータの専門家ではないので、こういった時につらい思いをし、またひとつ賢くなったと慰めている。
お通夜
足の痛みはやっと和らいできた。もう普通に歩ける。何とか建築の撮影の塊(一気に二口も入ってしまったので)もこなす事が出来たと思ったら、私の空手の先生、…空手を習ったわけではなく、高校から大学にかけての人生でいろいろお世話になったかたが、空手と整体の先生だった、という意味なのだが…が急になくなった。打ち合わせを午前中に変更してもらい青森へ。
作曲家の嵯峨、化学者の阿部、カメラマンの私は高校から大学にかけて、いつも一緒の仲間だった。三人とも、サハラ、というジャズ喫茶に入り浸り、そこのマスターがかの恩人、太田氏だった。いつの間にかカウンターに入るようになり、シェーカーを振るようになり、そこで大人になっていったように記憶している。
10年ぶりになるのだろうか、久々に雁首をそろえた私達は通夜の後、朝4時近くまで飲み続けた。思いでは止めどなく、お互いの近況を離し合うだけでも時間はどんどん過ぎていく。私はホテルで1時間も寝ないままいちばんの新幹線で東京に向かう。10時に約束があったのだ。
新幹線の座席で3時間身動きもせずに爆睡していたが、その所為か腰が痛い。結構狭いマンションの撮影を行い、夕方までに完了させたのだが帰ってから、後ろを振り向く事も出来なくなってしまった。夜には横なっていてもつらく、ろくに眠れない。
また、中野の中国式治療院…整体、針、カッピングなどをしてくれる…のお世話になる羽目になってしまった。おかげさまで今日はやっと歩けるようになる。通常の方法ではもうダメージから回復できない体になってしまったのだと痛感する。
マスター。彼は私に写真を教えてくれた。最後は FUJIFILM Fine Pix S2 Pro を使っていたという。でたばかりのデジカメ実践ガイドブックを手向けてきた。合掌。
火事!!
前日の電塾で少し飲みすぎた私は今日はゆっくり寝ているつもりだッたのに早朝7時半ごろにけたたましいサイレンの音で目を覚ました。家のマンションの窓の下に消防車が集まっている。まだ寝ぼけたまま外にでるとあたしのマンションのすぐ裏から真っ黒な煙がモクモクと上がっている。正真正銘の火事だ。しかもそのすぐ表はガソリンスタンドなのだ。そう思うと結構怖い。
しばらくばかのように見ていたが、放水はなかなか始まらない。実は裏からも始まっていたのかもしれないが、マンホールを開け、ホースをつなぎ、さらに延長する様子を見ていると確かに動作はきびきびしているのだが、私が見ている側の放水が始まったのは消防車が集結してから約40分経った後。
ちょうど自宅用のデジカメはなく、携帯電話の画像ですいません。ちょっと汚いけど臨場感はあります。ちなみに右の端っこに写っているのが私が住んでいるマンションです。すでにこの時に日記に乗せる事を考えて写真を撮ってしまった自分が何だか情けない。
放水が始まった後も交通規制はなく、乗用車やトラックがホースを踏んで走っていく。1時間以上たってから交通規制が敷かれた。
燃えていたのは裏のメッキ工場。当然さまざまな薬品があり、煙の色がさまざまに変化する。どうも有毒ガスも発生しているようでその頃からやじ馬も整理させられ始めた。確かに何だか目が痛い
実はその会社の社長さんが家のマンションに住んでいるらしい。聞き取り調査などをされたりして、鎮火し始めた頃に自宅に帰る。解団式を行い最後にかんかんという音を残して、彼らが帰っていくころはすでに4時間を経過していた。
お昼のニュースでこの映像が流され、7件まで延焼したと聞いて驚いた。いやいや、凄いもので、あの火と放水の後は何も使い物にならないだろうと思う。改めて火事は怖いとおもう。
今日はその後エアコンのクレーム交換があったりして何だかゆっくりできなかった。
私の友人に作曲をなりわいにしている梶という男がいる。
学生時代、いろんなばかな事をしたが、こんな事があった。
いつものようにばか飲みした彼は、当時いつも集まっていたマンションに帰ってきた後、119板に電話をかけ、
「梶です」
と言ってそのまま寝てしまった事がある。電話は逆探知され、
「火事はどこですか!」
とせっぱ詰まった声がかかってきた。
その前のいきさつを知らない私達はおちついて
「梶は此処です」
と答えた。
「どんな様子ですか?」
「寝てます」
「ふざけないでください!」
「いや、確かに梶は6畳間で酔っぱらって寝てます」
「?…」
よいこの皆さんはマネしてはいけません。
お後がよろしいようで…。
コリア!病院へ行く
昨日、というかもう今日になるのだが李君と別れてホテルに戻り、日記を書いたりして寝たのが2時過ぎ。結構酔っぱらっていたらしく、インターネットに接続するために机の下からケーブルを引っ張っていた時、足を机の柱に思いきりぶつけてしまった。その後風呂に入り、寝たのだが5時半ごろ激痛で目が覚めた。右足のひざの横がとてつもなく痛い。試しに立って見てようとしたがそれさえ出来ないのだ。
私は骨折などした事がないのだが、これはひょっとしたらひびでも入っているのではないかと不安になる。朝、李君と朝食を食べようと約束していたので彼に電話をして湿布薬を買ってきてもらったが、それだけではどうにも心もとない。海外旅行保険の会社に電話をして病院で必要な書類などを確認し、タクシーを呼んでもらい、病院に行った。幸い大きな外科病院がホテルのすぐ近くにあり、結構速いスピードで診察をしてもらった。これも李君が適切に通訳をしてくれたおかげだ。
此処が痛い、というところにいきなり注射され、たって見ろという。なんとあれだけいたくて右足では立てなかったのに、すんなり立津古とが出来た。その後レントゲンという順番。
昨日、日本の私のスタジオは100カット近くの撮影をこなしていたらしいのにぼけっと垢すりなどで遊んでいたたたりかしら?
今日はレントゲン台の上で綺麗なオネイサンに、上を向け、横になれ、うつぶせになって足をもて、と昨日に引きつずきグレコローマンスタイルで転がされる。韓国ってこういう事になる国なのかしら? でも今日のオネイサンは優しくて大好き。
幸いレントゲンの結果は問題なく、もう一本お尻に注射されて退院。病院代が4600円だったのだが、診断書…これが必須だと保険会社のお姉さんに言われていたのだが、は1万円もした。これって…保険など思いつかない方がよかったのか?
づっと李君に介護してもらいながら、セミナーの打ち合わせ、セミナー、(もちろんJ00さんという見事な通訳つき)とこなし、反省件食事会となる。みんながんがん飲んでいるのだが、あたしは鎮痛剤の事もあるのでお酒抜き。何だかつまらない。明日は5時起きで成田に帰りそこから横浜に直行していとこの結婚式だ。
今回のお土産は韓国の病院の診察カード!韓国はサイトシーイングはいっさいなし。何時の日かリベンジを!!
コリア!
電塾に置いて東京ではなく、離れた場所でのセミナーというとなぜか温泉。この元凶は中部電塾の夏の台合宿にあるのは周知の事実だ。最近、東京でもこんな事が合ってもいいのじゃないかと思う私はすっかり毒されているのかもしれない。
今日は韓国、ソウルにいるのだが電塾として関与する第一回目のセミナーのトリを勤める事になり、はるばるオリンピックから帰国した選手団にこっそり混ざって韓国入りした。時間が中途半端で午後の1時にソウルに入り、打ち合わせが夕方6時という事でサイトシーイングに出かけるには時間が短く、私の師である永嶋氏に習って垢すりに行って見た。
ホテルで紹介してもらい、オネーチャンのいる床屋はどうかとしきりに進める運転手の誘惑を振りきって東大門近くのお店でぼろぼろの垢すりを初体験した。この辺は尊敬する永嶋氏とまったく同じ経験だった。
びっくりするくらい垢、(これはごみ?)がでる。横になれ、後ろ向きになれ、ひっくり返れとグレコローマンで得点をたたき出すようにごろごろしているうちに気が大きくなり、ついつい足裏マッサージまで追加してしまった。
気がつくと請求は10万ウォン。お進めコースで6万8千ウォンのつもりがびっくりした。デモその差は日本円で3千200円。ま、どってことないか。
6時には無事ホテルに帰り、打ち合わせ。久しぶりに委君と合って12時まで飲む事になった。
いろいろと韓国の事情を聞きながら、一人進歩的?な立場になってしまった彼の身の振り方を思うと何だかいろいろと考えさせられる。
サンダーバード
八戸の三日目。電塾運営委員のPhotoshop エキスパートの方が楽しみにしていたというサンダーバードを見に行った。昼の間は全て吹き替えなので、字幕スーパーのレイトショウを狙って映画鑑賞。夕ご飯をお兄ちゃんのお宅でご馳走になり、すっかり満腹で映画館に向かうが、映画館には誰もいないのだ。八戸は一昨年、あまりの不興で全ての映画館を閉じてしまい、これだけの街に一件も映画館がない状態が続いていたいたのに市民が立ち上がり、ついに複合施設を完成したというのだが、こんなに人がいなくては来年は待たなくなっているのではないかという思いで不安になってしまった。ぜひ、来年も再来年も元気でいて欲しいものだ。
サンダーバードはきちっとお子まま向けの仕上がりで、まだ登場人物紹介といったところ。きっと続編も作るのだと思う。ペネロープが何だか昔と印象が違って少々まごついたが、あたしはこのお色気いっぱいのペネロープも好き。パーカーと元のサンダーバードにいないブレインズの息子とアランは実に出来がよい。ミンミン(だったっけ)も少し大きくなって、魅力的。でも人種が違うんじゃないかしら?このあたりは永嶋さんと討議しなくては。
兄ちゃんの誕生日
翌12日はもちろん八戸で目を覚ますが、ぐっすりと眠り、すでにお昼ころ。のんびり起きた後は「グレイス」に行って靴を2足作った。日本にも数少ないシューマスタの称号を持つ店主に足を測ってもらって、中敷を作ってもらうのだ。これが実は私がどれだけ歩き続けても疲れることがない理由だ。
あたしのお兄ちゃん、“松男”のお誕生日。実家でかあちゃん達とまたまた宴会をやってしまうが、プレゼントに選んだ卓上の拡大鏡がむちゃくちゃに受けたのが嬉しい。
今日もビールと日本酒を目一杯いただいて眠る。