送別会

28
平均目標:身長165.5cm
体重60.0キロ
体脂肪率16%
BMI 21
内臓脂肪レベル5
骨格筋率34
体年齢38

本日の数値
体重58.1キロ
体脂肪率15.8%
BMI 21.0
内臓脂肪レベル6
骨格筋率33.0
体年齢37

だいぶいい感じになった。58キロに戻るのに1週間かかった計算だ。なんとかこらえることができたのはいいことだ。

朝から石川の仕事を飛ばす。あたしが手伝える撮影は2カットのみ。それ以外はボディの中に薄紙を仕込むことと、たたみを手伝う。イメージ付きで68カットの撮影を何が何でも6時までに終わらせるためだ。午前中かなり飛ばして結構いけそうだったので、午後はLabの締めとハンディの締めを“久田”から受け継ぐために教わる。あたしはもの覚えが悪い生徒で、何度繰り返してもなかなか覚えない。なぜこんなことをしているかっていうと今日は“久田”の送別会だから。

長い、長い間。あたしの34歳の誕生日から19年間(その前の個人事務所だった、Quanosson Fhoto Factory時代を入れると20年を軽くこす)有限会社ハンディを引っ張ってきた相棒が会社を去ることになった。いくつかの事情が重なっているのだが、今回の最大の理由はがん。1月の終わりに胸のしこりを除去する手術を行ったのだが、生体検査の結果、それが癌だったということが判明した。再手術後の病理検査で、リンパに転移が4つ認められ、体中に小さな癌が転移している可能性が出てきて、フルコースの(先に抗癌剤治療でその後放射線、最後にホルモン治療)治療を受けることになり、とてもじゃないが仕事を続けていけなくなったため。

振ってわいたような悪夢。あたしは、3人のガールフレンドを乳がんで失った。あたしの友人の母親も何人か乳がんで亡くなった。基本的に乳がんって、再発の確率が高く、ものすごく危険な癌だというのが、あたしの認識だった。ところがここにきて、乳がんを克服して生き延びている友人が二人、知り合いの知り合いに二人、合計4人が身の回りに出現し、乳がんを克服して生き延びる確率はあたしの知り合いの中で50%になった。

これは抗がん剤治療が乳癌に適用され始めた結果らしい。5~6年前から、事前に抗がん剤を使用し、転移初期の小さなやつはたたきつぶし、それなりの大きさになってしまった癌は1cm以下になるまでたたいてから、放射線治療や摘出を行う。抗がん剤って、値段もむちゃくちゃ高いし、苦しい治療なのだそうだ。癌細胞をたたきつぶす、ということは、健康な細胞も同時に痛めつける訳で、初期よりもどんどん痛めつけられて、体中が疲弊して、体力が落ちた時がもっとも大変で、そのとき感染症にかかりやすくもなるのだという。

とはいえ、通常発見不可能な小さな転移したがん細胞を、無差別攻撃でたたきつぶしてしまう訳だから、ここで「がんの再発」の確率を思い切り小さい数字に押さえ込むことが可能なのだろう。だから、最近は「乳がんの施術後3年経って健康体ならば、また入れるがん保険」なるものも登場してきている。高い回復率を実証していなければ、こんな保険が出現するはずが無い。

という訳で、治療は大変だが、“久田”はきっと健康体に回復するに違いない。そのためにも、全力で治療できる環境を作るべきだろう。ハンディに帰ってくることは無いだろうが、一年後にはあたしたちと同じ、この東京できっと元気に仕事をして暮らしていくだろう。

送別会に参加したのは、あたしと石川。スタイリストの黒須さん…。彼女は、ハンディ設立当初からうちとおつきあいしてくれている、大切な外部スタッフで、“久田”とも相性がいい。わざわざ、このために車で仕事場か直行してくれた。ありがとう。送別会にはあまりふさわしくない焼き鳥屋で宴会。焼き鳥屋なのに客単価で6000円は払うという高価なお店。高い分、うまいのだ。久田と一緒にいくのは初めてだったが、何のことは無いサラダや焼き鳥をを「確かにこれはうまい」といってご満悦の様子だった。

久田さん。あたしが生まれてからこれまで、人生の半分以上をともに過ごした人。時に優しい妻であり、時には頼もしい相棒で、いつも楽しく信頼できる友人。最高のパートナーだと信じていた。あなたと、一緒に人生の一時期を過ごすことができたことを誇りに思うし、その記憶はあたしの宝物だ。女性としてもっとも輝く時期を、私と過ごしてくれたことに。あたしの半生のお礼をこめて。
ありがとう。
そして、最初はつらい治療だろうがきっとそれを乗り越え、あたらしい船出を迎えることを。
心から、秋葉原から、祈り続ける。

もっとも彼女が通う病院は三井記念病院で、あたしの自宅から歩いて3分のところ…。