カノッサンの屈辱II

知り合いのマックが壊れた。岡本という古い友達で、彼はすでに若い頃、7年前にこの世からおさらばしている。つまりその未亡人というわけだ。未亡人のお宅に深夜一人でお邪魔するなど、色っぽいお話に聞こえるかもしれないが、あいにくお互いに結婚前からの知り合いなので、(おまけに彼女の勤め先が偶然にもあたしのクライアントだったり、あたしの自宅のすぐそばだったりもしているので”今で淡々としたもつきあいが続いているわけだ。しかも無くなった旦那の親と二世帯住宅だし。

壊れたマックはPowerMAC G3/233。懐かしのベージュ色のヤツで、うちにもこのタイプはもう1台しか残っていない。(PowerMAC 7600というヤツでG3よりも2年ほど昔の機種になるが家ではいまだに現役でPictrography4000の出力用だ。それもPictrography4000のリース切れで、今期限りで仕事からは引退し、自宅用のマシンになってしまう)その子はプリンターが動かないという事で修理に出かけた。出かけたつもりだたのが、やっているうちにインターネットにつながらなくなるは、プリンタは認識しないは、最後はマシン自体の起動さえできなくなってしまった。終電の時間になり、とどめを刺したかに見えるあたしはすごすごと自宅に引き返した。

とは言え、やはり沽券にもかかわる事なので、早速OS9.1をインストールした起動ディスクと PowerBookG4 15 inch、SCSIカード、プリンタが壊れていた時のための買い替え用にUSBボードとフル装備で再度出かけた。お母さんの手料理をご馳走になり、ビールまでいただいて、作業開始。どうやらやはりプリンタが寿命だったみたいだ。何とかインターネットに接続できるところまでは復旧したが、アップルトークやら、TCP IPの設定やらややこしい事おびただしい。昔はあんな事を設定していたのだな、と改めて感じ、いつの間にか、OSXにすっかり慣れ込んでいる自分を再発見した。

今の周辺機器はほとんどがUSBやFireWireになり、接続も簡単、使用するポートを取りあう事もなく、環境に合わせて自在に設定してくれる。初期のOS Xはそれなりに使用しにくい事もあったが、現在使用しているv.10.3.2はそれらの自動認識をさらに推し進め、全く手間いらずの設定になってきた事に改めて感心した。そういう意味でももう古いOSには戻れないと感じる。もっともプリンタドライバ関係では開発が追いつけない(ドライバの開発側にいわせると、またさまざまな障害があるようだが、これもどんなドライバも簡単に使えるようにしたいというアップル側の意向もあるようだ。そのあたりの風通しがもっとよくなる事を望むが)模様で、いまだに使いにくい事おびただしい。このあたりがこなれたらしあわせなOSだろうな、と思う。

結局丸二日、お休みを潰した結果は原状復帰という惨憺たる内容で今回の無料出張サービスは終了した。情けない事おびただしい。うまくUSBのプリンタが動いてくれればいいのだが、このあたりも“水物”で、これだけ古い機種になると相性のいいものと悪いものがあるようだ。最悪の場合はマシンごと買い替えていただくしかないのかもしれない。というわけでeMACをお勧めしておいた。

実際、インターネットを閲覧したり、メールのやり取り、そのプリントアウトというあたりの仕事であれば、文句なくいい感じで動いてくれるのだ。もったいない事おびただしい。

骨が折れた割には、情けないサポートではあった、というお話。