新潟電塾

 2002年の年の暮れ。大みそかだ。やっとスタジオの掃除も終わり、自宅に帰って、風呂場とトイレを掃除する。今年もさっさと過ぎていくようだ。この日記はぎりぎり2002年にかかれているため、去年と今年が混同してしまいそうだがそれを念頭に置いていただきたい。節目というものは理屈ではないようだ。

 昨年まで阿部助教授とふたりで関西電塾、中部電塾を運営してきた。ちなみに渋谷にある写真学校でも週一回、3コマ(つまり約7.5時間)の講義も受け持ってきた。東京の電塾と合わせると月に7~8日の出動である。ま、その間に本なんぞを書くという大それたことを始めてしまったので、毎日のほとんどが訳が判らなくなってしまっていた。特に関西、中部電塾は毎回それなりのネタをお持ちしないと申し訳ないので、準備に時間とない頭を使う。ネタを見つけて、画像を仕込む。この作業がとてつもなく重い。(もちろん私にとっては、という意味だが)
 私の場合は頭の中の引きだしが少なく(しかも中身が薄いと来ているので)このネタを仕込むのに時間がかかるのだ。しかも学校の講義のネタも毎週更新しなくてはいけない。テーマを変えるたびにこの作業を繰り返していた。もちろん私にとってはとてつもなく良い勉強の機会となり、私なりにひとつの“色彩論”というものを練り上げる土台となったのは確かだ。これは元々は小山大人の12色相回転法が引き金になり、学生時代に昔散々勉強した色彩論に焼けぼっくりに火が付いた形で個人的に燃え上がってしまった物だ。おかげさまで私的には“全ての目に見える事象は色彩の対比に由来する”という結論にたどり着く(そんなことは誰でも知っているか?)きっかけとなってくれたのだから多いに感謝しなくてはならないのだが。
 さすがに仕事がおろそかになり初めて、昨年はどうも本業の成績が芳しくなかった。しかも新しくやりたいことが首をもたげてきたので、というのは以前計画して練馬の奥という環境からやり切れなく、現在は頓挫しているアマチュア向けとプロ向けのデジタル講座の事なのだが、せっかく秋葉原に出てきたので何とか再開したいという思いが強く、やむなく整理することになった。昨年末に写真学校には通知していたが、関西、中部電塾も運良く卒業?(引退という説もある)ということになりこれで体をそちらの方に向けることができる、と思っていた。

 ところがどこでどうなったのか、新潟電塾の風間さんから、私に新潟電塾の年間計画と実際の運営に参加するようにとのオファーが入った。光栄ではあるが、さすがにちょっと考えてしまう。でもこの性格、色彩論を中心に年間計画をたてることを条件についOKしてしまった。

 ご承知のように新潟はうまい県である。米、酒、へぎそば、魚、カニ、ああ、もうたまらん。そんなことも誘惑のひとつだったのかもしれない? とにかくカリキュラムを新たに考え、また新しい一年を踏みだすことになった。
 ホントは書きつづけていた本も今年の年頭には完成している予定だったので、OKしたのだが、これが事情により更に半年も伸びることになってしまったのだ。(もっともその最初の原因は私にあるのだが)

いやいや、これがボディブローのようにじわじわと効いてくる。結局デジタル講座はお預けのまま、この年もくれようとしている。

皆さまもよいお年を。