この日は早川氏と同行で東北電塾を行うため、山形に向かいます。…さて…
中世ヨーロッパ史のハイライトの一つである「カノッサの屈辱」事件…1077年教皇と、教会を統治の手段に利用していた神聖ローマ皇帝との間に叙任権闘争と呼ばれる衝突が起こり、グレゴリウス7世は皇帝ハインリヒ4世を破門した。その後、皇帝はこれを好機とするドイツ諸侯の反乱をおそれて、はるばる雪山をこえてイタリアのカノッサで教皇に謝罪した…この事件とは全く関係ありません。もちろんその後のオスマントルコへのクルセーダス派遣に至る史実にあやかってもいません。(私が好きだった仲谷昇がナビゲートする深夜番組…覚えておいでの方もいらっしゃると思う…何となく気になっていたタイトルでした)
ただ単にごろ合わせで決まったタイトルです。あたしが大学時代(大阪時代と東京時代があるのですが、大阪の方でのこと)何故か「しかの」ではなく「かの」と呼ばれていたことに起因します。あたしは浪人時代が長く大概の学生より3つは年上。おまけに「まばらなヒゲ」をはやして、自分のことを「わし」という癖があった。だから皆からは「かののおっさん」とよばれ、それが短くなって「かのおっさん」–「かのさん」–つまって「カノッサン」ということになったらしい。「屈辱」は…特に意味はないのですが日記なんて屈辱のうっぷん晴らしだったり、反省だったり…ってことでタイトルを『カノッサンの屈辱』とすることに…。あたしが敬愛する現代音楽の作家、クセナキスのアナクトリアやメタスタシス(舌を噛みそうです)に響きが似ていないこともない。(ギリシャネーム?)
こんなタイトルで「カノッサンの屈辱」が開始されたのが2002年12月のこと。こちらはサーバ移転に伴って、「カノッサンの屈辱II」となり10年間続いてきました。実はこの1年前に1999年から2000年にかけて「過不及無庵電術撮影日記」というタイトルで連載していたこともあります。足かけで13年の連載になるのですね…。子供の頃は三日坊主だったのに…大人になるってすごいわ!
そしてついに「カノッサンの屈辱」は v.III となって再開します!少しだけキャッチの写真が付きました。