これで四国で行うセミナーは4回目になる。高松、高知、松山、そしてもう一度高松。セミナーは阿佐の9時半から始まるため、前日入りをした。せっかく前日入りをするのだから、早めに入り、まだ知らない風景を撮影させてもらう事にした。
空港からレンタカーを借り、まっすぐに徳島の大歩危小歩危、かずら橋に向かう。約1,5時間で大歩危につき、ちょうど船が出るので、観光遊覧。斜め45度に「盛りあがる砂岩の斜行葉理」を堪能し、祖谷渓で祖谷蕎麦をいただき(通りすがりに入ったお店でしたが、ここの祖谷蕎麦は実に蕎麦の実の量が多く、つなぎが少ない「本格派」でした。たまにはこんなラッキーもあるのですな。)かずら橋に至と…。あんぐりと口が開き、開いた口がふさがらず、途方に暮れつつ、きた道をひきかすはめになってしまった。
観光資源を有効に活用する、という事は重要な事だと思う。しかし、「調和」を忘れたそれは、自然と歴史と、古き良きものを破壊するものでしかない。美しい渓谷を削り落とし、アンバランスな大駐車場をドッカ~ンと置き、人もまばらな大土産物置き場を建設し、せっかくの美しく趣のある渓谷をだいなしにしている。そこを通ってかずら橋を見ても、すでに興味の大半は大駐車場に車を乗り入れた瞬間に渓谷を崩れ落ち、そこここの大小の岩にぶつかって粉々にされ、吉野川に向かってすっかり流されてしまっている。
悲しくエンジンをかけ、なんの為に500円も払うのかとまた駐車場の出口で腹を立て、ハンドルを土柱に向けて切る。ほんとはここから剣山に向かい、そのそばにあるかずら橋はまだ俗化されていないという話だったのだが、「もし…万が一次も…」という恐れにおののき、また予定外に観光船に乗ってしまったために浪費した時間をかんがみ、少し戻って高速道路を使用して土柱に向かうコースをとった。
しつこいようだが、あのての「施設」という物は寂れて見捨てられると、実に痛々しい物になる。あたしは廃虚好きだが、どうも病院や、観光施設、ホテルの廃虚という物は好まない傾向にあるようだ。廃虚としての風格を持てるようになるには、2~30年程度の時間では、なかなか「良い感じに枯れる」ことができないようだ。逆に、工場、駅などで、煉瓦作り、あるいはコンクリートであれば、比較的早くそれなりの風格持つようになるような気がしている。かずら橋を離れるときに、後ろを振り返り、薄汚く汚れ、見捨てられた駐車場が見えてしまった気がしたのは気のせいだろうか?
祖谷蕎麦まではすこぶる諧調だったのに…例によって雨、または曇り時々雨の予報を聞きながらの高松入りだったのだが、曇り、目的地に着くと晴れ、という天候にも恵まれていた…ここで思いきりこけてしまった。
阿波の土柱も少し残念。というのは方角も気にしないで行ったのだが、午前中でないと正面からの写真は光の具合がよろしくない。つまりもろに西日を食らってしまうのだ。その為、ぐるりと回り、逆光になるポイントを探したが、そこは見るからに地盤の緩い絶壁の上。命あっての物種だ。こわごわとカメラを差し出しながら撮影する。
時間に遅れても困るので早めに切り上げて空港に戻ることにした。空港には約束の1時間前にたどり着いたので、気になっていた空港の裏手に車を回した。
気になる物というのは国産唯一の旅客機、YS-11のこと。最後に減益を迎えたYS-11は高松空港に下り立ったのだ。そしてその機体は今も公園内に美しい姿で保存されている。残照に浮かぶ機体を撮影してすっかり機嫌を直し、すっきりしてレンタカーを返却する。結果的には、高松の観光は空港だけで、後は皆徳島県だった。
お迎えにきてくださった小山氏と合流。セミナー会場に向かう。